May 16, 2021

想いを馳せる

素敵な誰かを羨んで、
自分もこの人のような素敵な人になろう、と真似るなら、

成功した誰かに憧れて、
自分もこの人のように成功しよう、と真似るのなら、

その人が
今何をしているか、今どうしているか、ではなく
その人が
かつて何をしてきたのか、を真似る必要がある。


輝かしい今の姿、眩しい今の笑顔、ではなく、

この人は、
これまで一体どれくらい悔しい思いをしてきたのか、

これまで一体どれくらい屈辱と孤独を感じてきたのか、

これまで一体どれくらい絶望の涙を流してきたのか。

・・・に想いを馳せなければならない。



「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」
(ゴッホの言葉)  


  



Posted by exceedblog at 23:24めざすべきもの 
January 05, 2021

凪の突風

良いと思うことをしようとすると、

苦しんでいる人を救おうとすると、

大切な人を支えようとすると、

あっという間に自分の限界に達してしまう。



それでも



目を背けられないから、

あきらめきれないから、

歯を食いしばって進もうとするのだけれど、

大抵は、やがて疲れきって、崩れ落ちて、沈んでしまう。



大切な想いの灯は、
「無関心」や「見て見ぬフリ」という、
「凪」の突風によって、かき消されていく。



今この瞬間にも、疲れ切った人がいるかもしれない。

隣の家に、今、崩れ落ちそうな人がいるかもしれない。

大切な家族の誰かが、今、沈みかけているかもしれない。



顔を上げて、ちゃんと前を見て、
ほんの少しだけフレームをずらすと、本質が見えてくる。

今まさに向き合うべき、
あなたが今そこにいる理由、あなたがそこに用意されていた理由が見えてくる。  


  



Posted by exceedblog at 06:37あなたから誰かへ 
November 01, 2020

その日の天使

かつてマザー・テレサは、
最も悲しむべきことは、自分が「誰からも必要とされていない」と感じること
だと言っていた。


もしも、今そう感じている人がいるのなら、
あるいは、明日そう感じる瞬間があったなら...、

そんな自分もまた、誰かにとっての「その日の天使」として、
ささやかではあっても確実に、その誰かの役に立っているのだ、と
安心して、自分自身を認めてあげてほしい。


  
    その日の天使(一部抜粋) 中島らも
 
死んでしまった ジム・モスリンの、なんの詞だったのかは
忘れてしまったのだが、そこにThe day’s divinity, the day’s angel”
という言葉が出てくる。
 
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくは こういう風に
受けとめている。「その日の神性、その日の天使」
 
大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。

その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
  
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分に おちている時には、この天使が一日に一人だけ
さしつかわされていることに、よく気づく。
  
こんな事がないだろうか。暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと
考えている時に、とんでもない友人から電話が かかってくる。
あるいは、ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。
それは その日の天使なのである。
  
夜更けの 人気が失せたビル街を、その日、僕は ほとんど よろけるように
歩いていた。体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。
家の中も もめている。
それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。
腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきた。
  
「♪おっいも〜っ、 おっいもっ、ふっかふっか おっいもっ、 まつやのおっいもっ♪
買ってちょうだい、 食べてちょうだい、あなたが選んだ憩いのパートナー
まつやの イモッ♪」
  
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。
  
  
ramosan  


  



Posted by exceedblog at 00:37あなたから誰かへ 
August 23, 2020

それを自力で掴み取る

夏の大会も終わり、中学3年生の息子が学校の部活(野球部)を
引退したが、午前中に引退式を済ませた足で、そのまま午後から
硬式野球クラブに入門して、硬式野球を始めた。

彼は、受験勉強の方でも最難関校をめざして頑張っているので、
親としては、本当にやりたいと思っていることを、やりたいだけ
おもいっきりやらせて、それをただ精一杯に応援するだけだ。


本当にやりたいことをおもいっきりやる。

言葉で言うのは簡単だけど、実際には、生涯で一度も(あるいは
大人になって久しく)その機会なく、閉塞感の中で毎日を悶々と
生きている人がどれだけいることだろうか。


ドラマや映画で、主人公が生き方に行き詰まった時などに、
満天の星空を眺めたり、地平線を眺めたり、オーロラを見たり、
高層ビルの屋上から地上を見下ろしたりすることで、人生が
大転換して、本当に生きたかった自分らしい人生を歩み始める...
なんていう演出がずっと使われ続けている、ということは、

ほとんどの人が(あなただけではない)、本当はもっと自分らしく
生きたいと感じているが、いまだブレイクスルーのきっかけがなく
閉塞感を抱いていて、
なおかつ、
ほとんどの人が(あなたも含めて)、壮大なもの(景色とか)を
見たり感じたり体感することが、そのブレイクスルーのきっかけ
になるであろうことに実は共感している...のだと考察できる。


本当に生きたい人生を生ききる。

昔から「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、人生において
大切な「それ」を自力で掴み取る(させてあげる)ことこそが
大事なのだというわけだ。


経営コンサルタントとして、
「花屋は花を売っているんじゃない」
「お客様は花屋に花を買いに来ているんじゃない」
という趣旨の、
「あなたの会社は何を売っているのですか?」
「あなたの会社は何を売っていくのですか?」
という、
商売の根幹にかかわる話をする際に、事例の1つとして何度も
名指しで紹介してきた中村隊長の著書を紹介します。

良いことも辛いことも、考えさせられることも、エクスプローラ社
のことも1つ1つ誠実に語られている、嘘偽りの無いドラマチック
な物語を通して、大切な「それ」に気づかせてくれます。

dj_title  


  



Posted by exceedblog at 13:03ビジネス・成功 
July 05, 2020

ポテンシャルを信じて

街角でベビーカーを押すお母さんや、子どもの手を引く
お母さんがいると、つい子どもの顔をのぞき込む。

寝顔だったり、笑顔だったり、泣き顔だったり、時には
ふくれっ面だったりする知らない子どもたちの姿を見て、
ちょっと笑みがこぼれたり、優しい気持ちになれたり、
すべての物事に感謝したい気持ちになれる。


人は誰でも、ボーダーラインを持っている。
それは、ルールと言い換えられるのかもしれない。

ここまでは許すけれど、ここからは許せない。
これはOKだけど、ここがこうなったら絶対にNG。

そんな自分のボーダーラインは、年齢を重ねる度に、
少しずつ変化していく。


昔は、電車やエレベーターでは「降りる人が先」だと
思っていたのに、毎日疲れて、いつの間にか、いつも
自分が先になってしまったり。

昔は、仲良くなりたかったら自分から相手を信じた
のに、いつの間にか、自分を信じてくれる人しか信じ
られなくなってしまったり。

いつもは相手のことを真っ先に考えてあげられるのに、
それを重ねて自分が辛くなってくると、つい自分の
ことが最優先になってしまったり。


いつでも、いつまでも、そのままの自分でいることは
難しいかもしれない。 余裕がないかもしれない。

でも、子どもの顔を見ていると、ほんの数秒間だけは
昔のままの自分に戻っていたりする。

もしかすると、本当に戻れなくなったんじゃなくて、
戻らない言い訳をしているだけなのかもしれない。


今を生きる大人たちが、ほんのちょっぴりずつでいいから、
昔の自分に戻れる時間を長くできたら、ありのままの
本当の自分を生きる時間を長くできたら、世の中は
劇的に変わるのかもしれない。

苦しいことや辛いことを我慢して、頑張り続けることは、
それはそれで大事なのかもしれないけれど、大人であり
続けることも大事なのかもしれないけれど、でも、
ターニングポイントは、考えて選んで進むより、心で感じて
進む方が、いつでも正解に辿り着く。


明日は今日より1分でいいから、ありのままの自分でいられる
ように、そのままの自分を生きられるように。
それを、ほんのちょっとずつ長くしていけるように。


見知らぬ子どもを愛しめる気持ちがある限り、世の中は
まだ捨てたもんじゃない、と思う。

そのポテンシャルを信じていきたい。


※2012年の記事より  


  



Posted by exceedblog at 00:00想いを込めて 
April 04, 2020

創るしかない

最近、昔お世話になった会社、お世話になった業界、お世話に
なった方々に対して、今、自分に何ができるだろうか、どんな
恩返しができるだろうか、と考える。

まだ未熟だった自分は、たくさんの大切なことを教えていただく
ばかりで、何の役にも立てず、迷惑をかけてばかりだったが、
今の自分に何か恩返しができないだろうかと。


世の中がコロナ禍で、活動自粛で家にいることが多いからかも
しれないし、毎日の報道で、死を身近に感じているからなの
かもしれないが、

しかし、誰もが限りある時間の中を生きているのだから、
親に対しても、恩人に対しても、感謝を伝えづらい相手に対しても、
いつまでもそのための時間があるわけじゃない。


コロナ禍で、世界はすっかり変わってしまったし、もう元には
戻らないだろう。


新しく創るしかない。創らなければならない。
向かうしかない。向かわなければならない。  


  



Posted by exceedblog at 01:15想いを込めて 
March 31, 2020

Happy Birthday

人生の最期に、誰に何を言い残せたら幸せか。
 
 
その自分の大切な想いを、毎日顕して生きることが大事で、
それこそが、限りある時間の中で、与えられた1日1日を
生きることの意味であり、価値なんだと思う。
 
 

 
 
この曲は、この上なく美しくて、完璧だ。 僕にとって。  


  



Posted by exceedblog at 00:00私からあなたへ 
December 25, 2019

咲き誇る

どんなに大切な想いがあったとしても、
それを誰かに伝えなければ、
大切な人に届けなければ、
わかってもらうことを諦めてしまったら、
いつか、
それは無かったことになってしまう。


誰もが振り返るような、
美しく気高いものではないかもしれない。

誰もが認めるような、
強くて立派なものでもないかもしれない。


それでも、
それがあなたにとって大切な想いなら、
どうしても届けたい人がそこにいるのなら、

どんなに風が強くても、
どんなに雨に打たれても、
何度も踏みつけられたとしても、

あなたは命をかけてそれを守り、
手渡す日まで、咲き誇らなければなりません。


あきらめないこと。
自分をあきらめないこと。
自分であきらめないこと。


  


  



October 30, 2019

ありったけの勇気を

ビジネスは、レベルアップとレベニューアップを如何に最適に行なうか
という方程式(計画・戦術)によって成り立ちます。

そして成功とは、そのベクトルが「自分の求める生き方」であることが
最大にして唯一の条件であり、全てはそこが基軸でなければなりません。


でも、人間はそんなに強くないから、
次のステップへ進もうとする度に「過去の遺産」に引き戻され、忘れたい
モノを引きずっている自分と向き合わされ、いつまでたっても成長がない、
求める生き方に近づけない自分を感じてしまうこともあります。

そんな時は、ありったけの勇気を持って、「自分の求める生き方」と、
もっともっと深いところで向き合ってみてください。


あなたが尊敬する人、こうなりたいと思う人は、どんな人でしょうか。
見た目も才能も実力も実績も人格も、全てが完璧な人なのでしょうか。
苦しい時、そんな人に手を差し伸べられて、あなたはその手にぬくもりを
感じて全てを委ねることができるでしょうか。

すごいと思うことと、心から信頼できることとは、天と地ほどに違います。


あなたが心から信頼する人は、決して完璧ではなく、不充分なところや
ダメなところをいくつも持っていて、あるいは捨てられない過去を今でも
ひきずりながら、しかし凛として顔を上げて生きている人ではないですか?

そして、あなたが大切にしたい人が心から求めている相手も、そういう人
なのではないですか?


だから、

あなたは完璧になる必要はないんです。
もちろん、強がる必要もありません。

あなたは過去の遺産を捨て去る必要も手放す必要もないんです。
そうした痛みと苦しみを持つあなただからこそ、必要とされるのです。


あなたが本当にめざす生き方をしていくために、必要だったそれらの
全ての出来事に感謝して、顔を上げてまっすぐに目の前の人を見てください。
その人との関係を通してあなたの求める生き方を実践し、求める成果を得る
方法が見えてくるはずです。


今のままの、ありのままのあなたでいいんです。
でも、今までのあなたのままではダメなんです。


ありったけの勇気を持って、過去の全てを一生引きずって生きてください。
そして、あなたを必要とする人から、
「あなたに会えて良かった」と言われてください。

そこにこそ、あなたの存在意義があるはずです。


※2008年の記事より


  


  



Posted by exceedblog at 00:00私からあなたへ 
July 05, 2019

私に何が出来ますか?

私は無宗教だけど、いつもこんな風に考える。

神様は「祝福のカード」と「鉄槌」のカードしか持っていない。


いいことをすれば、祝福され、ふっとゴッドブレスを
一息かけて、自分を前進させてくれる。

よくないことをすれば、鉄槌が振り下ろされ、ふっと
一息かけて、今いる場所から落とされる。

そしてきっと、
「実は祝福されたくてやっていた自分に気づいた瞬間」や、
「よくないことだと途中でわかった瞬間」こそ、じっと
見ているのだと思う。


そう考えると、
いいことほどさりげなく、当たり前のこととして行い、
よくないことはきっぱり断り、間違ったらすぐに謝って正す、
っていうことが大事なんだろう。


当たり前のこと。
でも、その当たり前のことが、なかなか出来ない時もある。

何かを恐れて(つまり何かに怒って)、本当の自分と真っすぐに
向き合えない状態の時とか。

そういう人が1人いると、その場の空気も雰囲気も悪くなる。


そうなると、つい言ってしまいたくなる。

「私に何ができますか?」


関わる人には皆、今日も祝福のカードを受け取ってほしい。  


  



Posted by exceedblog at 09:51あなたから誰かへ