June 17, 2006

G線上のアリア

CF_MINOLTA長年、TVCFのプロデュースをやっていた
こともあって、アーティスティックなCFには、
今でも心を奪われる。

最近では、吉永小百合さん出演のアクオス
(SHARP)のCFが流れる度に、テレビの
画面に見入っている。

BGMの「G線上のアリア」に乗せ、吉永さん
のイメージ、声質、ゴッホ、絵画、カフェテラス、
柔らかな黄色の配色、メッセージ性あるセリフ
といった1つ1つのピースが重なり合うことで、
見事な調和で語りかけてくる。

それぞれが、決して強い自己主張をせず、互い
を活かし合いながら、静かに深く、視聴者の心
にメッセージを響かせる。
こういう作品は、アート(芸術)と言い切れる。


グラフィックアートに夢をはせ、志半ばにして事故で指をダメにした時、夢敗れた
ショックと希望の見出せない未来に、毎日を死人のように過ごしていた1ヶ月半。
その頃に出会ったのが、ミノルタのCF(写真:高田万由子さん出演)。

何気なくつけたTVで、描きたかったメッセージと同じ「想い」が込められたCFを
見て、「これならできる!」と、もう1度、命を吹き込んでもらった。
それ以来16年間、自分は生かされている。


人は誰でも、前に向かって生きている限り「メッセンジャー」である。

誰かに対して、何かに対して、想いを込めて生きている「メッセンジャー」だ。


たとえ素晴らしいことができなくたって、たとえ素晴らしいことを言えなくたって、
ただ真っ直ぐに生きているだけで、ただ黙って信じ続けてあげることだけで、人は
誰かに対し、メッセージとして「勇気」や「希望」を与えることができる。
それこそが自分の存在理由であり、それをすることが存在意義なんだと思う。

限りある時間の中で、そういう想いを持って生きていきたい。
大切な人に、今、そういうことを伝えておきたい。  



  



Posted by exceedblog at 23:22clip!想いを込めて 

19

20歳の頃、『ベストヒットUSA』の時代に流行った曲だ。

その頃は正直なところ、何度聴いてもピンと来なかったのだが、
もうすぐ長女が18歳になろうという近頃、この曲の歌詞が
心に突き刺さる。

この「19」や、ジョン・レノンの「イマジン」など、我々は
先人たちのメッセージを真摯に受け止めなければならない。
そして、それを自分の意志と行動で、大切な人たちに伝えて
いかなければならない。

イラク情勢や北朝鮮問題など、戦争の匂いが耐えない現代だが、
妻や妹や子供達には、心から幸せな時代を生きてほしいと思う。



     ■ 19 / Paul Hardcastle ■


  1965年、ベトナムは単なる他国の戦争と思われていた。
  しかし、それは違っていた。
  それは多くの点で違っていた。
  それは戦っていた兵士についても同じだった。
  第2次世界大戦、兵士の平均年齢は26歳だった。
  だがベトナム戦争では“19歳”だった。

  サイゴンの北西25マイルで2週間前から始まった
  最大の戦闘は、今日も続いている。

  “僕は何がどうなっているか分からなかったんだ”
  19歳。

  ベトナム従軍兵士の兵役期間は12ヶ月とされていたが、
  彼らはほぼ毎日、敵の砲火にさらされていた。

  サイゴンのアメリカ軍スポークスマンによると、
  緊張が続いている国境地帯における北ベトナム軍の
  戦死者は、700人を超えるということである。
  なお南ベトナム全土における北ベトナム軍の戦死者総数は
  2,689人と報じられている。

  戦争のことを憶えている者ならば、その目で見たものを
  忘れはしないだろう。
  平均年齢19歳という、青春の真っ只中の若者を
  戦争は破壊してしまった。

  退役軍人管理局の調査によると、ベトナム帰還兵の約半数が
  精神病理学者が言うところの、戦争体験による精神疾患に
  侵されており、その多くが、疎外感や暴力衝動、罪悪感などを
  訴え、中には自殺を図る者まで出てきているということである。

  期間後8年から10年経つというのに、今も80万人もの
  男たちが、ベトナム戦争を戦っているのである。

  英雄たちを喜びで迎え入れる者は一人もいなかった。

  19歳。 サイゴン。
  19歳。

  ベトナム、サイゴン、ベトナム、サイゴン、ベトナム、サイゴン
  名誉戦傷賞、サイゴン、名誉戦傷賞、サイゴン

  “僕は何がどうなっているか分からなかったんだ”
  19歳。  


  



Posted by exceedblog at 07:03clip!想いを込めて 
June 04, 2006

時間には限りがある

小学校4年生の時、それまで親友だったアツシ君が白血病で死んだ。
このことは、自分の人生において、ものすごく大きく影響している。


3年生の頃から頻繁に学校を休むようになって、それ以降はずっと
入退院を繰り返し、薬の副作用で別人のようになったアツシ君は、
その日、2ヶ月程の長い入院後、久方ぶりに登校してきた。

嬉しくて、休み時間になったらスグにアツシ君と遊んだ。ちょうど
時代はヨーヨーブームで、彼は長い入院期間、毎日ヨーヨーばかり
やっていたそうで、かなりの腕前になっていた。

次の休み時間、「その技を教えてくれ」と、クラスのみんなが彼を
囲んでしまい、一緒に遊べなかったことがつまらなくて、つい、
ちょっかいを出してしまって、アツシ君と口論になってしまった。

次の休み時間、謝ろうと思ったのだけど、ちょっと素直になれなくて
つい、謝りそびれてしまった。

給食の時間になって謝ろうと思ったら、アツシ君が見当たらない。
「どうしたんだろう?」と考えながら給食を食べていた時、何気なく
窓の外を見ると、祖母に手を引かれて校門を出て行くアツシ君の
姿が見えた。

(・・・そうか。まだ体力が続かないから、今日は午前中で帰るんだ)
「しかたない。明日、謝ろう」

でも、その明日は来なかった。
彼はそのまま入院してしまい、その2週間後に死んでしまった。
だから、とうとう彼には「ごめんなさい」を言うことができなかった。


  時間には限りがある。 自分にも、相手にも。

  伝えたいことは、今、伝えなくっちゃいけない。
  相手への感謝も、今、伝えなくっちゃいけない。
  やるべきことは、今、やらなくっちゃいけない。
  大切な人は、今、大切にしなくっちゃいけない。



このことが、自分にとって最大のパラダイムシフトであり、それ以降の
すべての判断基準になっている。
 
 
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