December 24, 2006

たいせつなともだち(童話)

以前に、自信満々で「童話コンテンスト」に応募したところ、まるっきり
かすりもせずに落選した作品があるのですが、けっこう出来は良いので、
皆様へのクリスマスプレゼントとして、その童話作品をアップします。
 
  (他にもあるので、いずれ機会があれば絵本にしようかと・・・)

ブタさん












        【 たいせつなともだち


ボクは、ブタ。 ウレタン入りの、ぬいぐるみ。
さいたまの工場で生まれたんだ。

2年前にデパートにならんでいたところを、トコちゃんのママが買って帰った。
それからずっと、ボクはトコちゃんと一緒にすごしてきたんだ。

1才になったばかりのトコちゃんには、
たくさんかみつかれたり、ひっぱられたりした。
ずいぶん毛玉もできちゃったし、左の耳も、ちょっぴりちぎれてしまった。

だけど、ボクはいつだって笑顔でトコちゃんを見守ってきた。

トコちゃんがヨチヨチ歩きをはじめた時には、そっと横から支えてあげた。
トコちゃんがころびそうになった時には、さっと後ろにまわって守ってあげた。
トコちゃんがカゼをひいた時には、ずっと夜中も看病してあげた。
トコちゃんが夜中にないてしまった時には、やさしくおなかをトントンしてあげた。

今では3才になったトコちゃんは、とってもいい子に育っていて、それがボクの
1番のじまんなんだ。

ボクたちは、寝る時も出かける時も、いつも一緒だ。
きっと、世界で一番の親友なんだと思う。



そんなボクにも、ざんねんなことがある。
それは、ぬいぐるみは、絶対に人間の前でしゃべってはいけないこと。

自分の声を人間に聞かれてしまったぬいぐるみは、2度と声を出したり
動いたりすることができなくなってしまうんだ。
だから、親友だけど、ボクはトコちゃんとお話することができない。

だけど、とてもうれしいこともある。
それは、もうすぐ12月1日がやってくること。
クリスマスがちかづくこの日を、ボクは毎年ずっと楽しみにしている。

なぜなら、大好きなトコちゃんに何をプレゼントしてもらうか、サンタクロースに
お願いしに行けるからだ。

サンタクロースにプレゼントをお願いしに行くのは、
ぬいぐるみの大切な仕事なんだ。
そしてその役目は、もちろん、トコちゃんの親友であるボクに決まっている。

ほかのぬいぐるみたちと相談して、今年は、もうじき字が読めるようになる
トコちゃんのために、絵本をお願いしに行こうと思っている。



12月1日。
夜中、家族みんながねむっているのを確かめて、ボクはサンタクロースに
会うために、こっそり家を出た。

うれしくてワクワクしながら、でも、外はあぶないので、ちょっとドキドキ
しながら、ボクはサンタクロースの家をたずねて行った。

サンタクロースの家は、ちょっぴり遠いけど、道にまよったりなんかしない。
行くとちゅうで、ほかの子のぬいぐるみたちにも会うからだ。

サンタクロースの家には、たくさんのぬいぐるみたちが集まっていて、
順番にならんでいたので、ボクはその1番後ろにきちんとならんだ。

サンタクロースはとてもやさしいおじいさんで、ボクがトコちゃんへのプレゼント
をお願いすると、大きな手でボクの頭をなでて、いい子いい子してくれた。

サンタクロースの家を出ると、もう空も明るくなりかけていたので、
ボクは急いで家に帰った。
クリスマスにトコちゃんがよろこぶ顔を思いうかべながら、ボクは走って帰った。



やっと家の前まで来た時、ボクはおどろいて、心臓が止まりそうになった。
家の外に、トコちゃんが1人で出てきていたからだ。

きっと、朝おきたらボクがいなかったから、さがしに来たんだ。

その時、通りのむこうから、新聞配達のオートバイがやって来た。

「トコちゃん、あぶない!」

ボクの声を聞いたトコちゃんは、おどろいて立ち止まり、
その横をオートバイが走りさった。

そして、家の中からトコちゃんのママが出てきて、トコちゃんとボクを
見つけると、すぐにかかえて家の中につれて行ってくれた。



・・・ボクは、2度と声を出すことも動くこともできない、
ただのぬいぐるみになった。
もう、サンタクロースにプレゼントをお願いしに行くこともできない。

でも、こうかいはしていない。 かなしくなんかない。
だって、大好きなトコちゃんを守ることができたんだから。



トコちゃんは、これからもすくすくと育って、やがて大きくなって、
いつかボクとは遊ばなくなるだろう。

それでもボクは、トコちゃんのことが大好きだし、ボクたちはずっと、
世界一の親友なんだと思う。


                              おしまい。

たいせつなともだち  



  



Posted by exceedblog at 23:24clip!想いを込めて 
December 10, 2006

言葉にできない

世の中には、病気や事故などで、幼いうちに命尽きてしまう例がある。

時間には限りがあるのだ。
彼らは、ほんの短い月日の中で、どれだけの幸せを感じたであろうか。

どんなに短い月日でも、どんなに儚い命でも、
「生まれてきた意味が無かった」なんていうことはない。


         ・・・命とは、それほどまでに尊いものであると思う。

では、自分が生まれてきたことには何の意味があるのだろうか?

何かしらの苦しみや辛い経験があったとしても、少なくとも彼らよりも
はるかに長い時間を与えられ、はるかに自由を与えられている我々が、
生まれてきたことに、生きていることに、何の意味も無い訳がない。

短い命を全うした彼らに対して、その事実と真正面から向き合った家族
に対して、目を見て「私が生まれたことに意味などあるのでしょうか?」
と言える人間などいるはずがない。

意味があるとか無いとか悩むのは、真正面から向き合っていない証拠だ。

  ◎自分は、本当はどんな風に生きていきたいのだろうか。
   (夢、理想、あこがれ、生きがい、幸せ)
   ・・・その答えと出会うまでが最初のステージ。

  ◎その生き方を通じて、自分は誰のために何をしたいのだろうか。
   (どんな感謝を誰にペイフォワードしたいのか)
   ・・・それを明確にすることが次のステージ。

  ◎違う生き方だってあるのに、どうして他の生き方じゃダメなのか。
   (メッセンジャーとしてのコミットメント)
   ・・・その決意によって本物の一歩を出すことが最後のステージ。

どのステージも向かい風だ。
顔を伏せてうずくまりたくなる時もあるだろう。

でも、ゴールさえ見失わなければ、自分の中に確固たる方位磁石を持ちさえ
すれば、どんなに歩みは遅くても、歩幅が短くても、前に進み続ける限り
いつか必ずゴールにたどり着く。

気付くこと。 感謝すること。 だからこそ貢献すること。

人はメッセンジャーとして強く生きた時、たとえ自分に影響を受ける人間が
ほんの一握りであったとしても、その時そこに、自分が生きた証が刻まれる。

そして、そこからまたペイフォワードされていく。


事業とは、「法人」か「みなし法人」かは別として、屋号を持った時から
そこに人としての命が宿る。

たとえ年商1万円の事業でも、どんなに小さな商いでも、そこに命がある。
命がないのであれば、それは事業ではなくて趣味だ。

自分の命に意味があるように、自分の家族や大切な人の命にも意味がある。
そして、自分の事業にも意味がある。 意味があるから命なのだ。


     あなたの事業には、どんな意味があるのだろうか?

     あなたの事業は、どんな命を宿しているのだろうか?


即答できないような事業なら、それがたとえどんな規模で展開されていようと
その事業に命は宿っていない。 だから、どこにも行き着くことはできない。



事業にも、家族にも、自分自身にも、そこに命があることにいつも感謝したい。  


  



Posted by exceedblog at 05:17clip!ビジネス・成功 
December 07, 2006

負のスパイラルを断ち切る

親からDVを受けて育った人の圧倒的多数が、自分も子供に対して
DVをしてしまう、というデータがある。

「自分は絶対に親のようにはならない」「愛情深く子育てしよう」
と思っているにもかかわらず、だ。

この連鎖を心理学的に分析すると、DVを受けて育った人は、愛情を
与えられずに育っているため、実は「愛情のある子育てとは何か」
を体感していない(良い見本を知らない)ので、どうしていいのか
わからず、悩み苦しみ、限界を超えてDVをしてしまい、そんな自分
に絶えられなくて余計に悩み苦しみ、更なるDVへ発展していく・・・
ということだそうだ。

・愛情を注いでもらえなかった人は、自分の子供に愛情を注げない。

・ダメ出しとお説教で育った人は、自分の子供にお説教ばかりする。

・話を聞いてもらえなかった人は、子供の話をしっかり聞けない。

・信じてもらえなかった人は、自分の子供を信じてあげられない。

 ・・・・それは子供に対してだけでなく、関わる人すべてに対して。


幼少の頃や思春期の頃に、家族や友人から受けた心の傷は、自分を
生涯苦しめるのだそうだ。 そして、望まずとも同じことを子供に
与えてしまう。 そうして育った子供は、やがてそのまた子供へ。
無限に続いていく悲しいスパイラル


「子供は親を選んで生まれてくる」という言葉がある。

自分が幸せになるために最も相応しい相手、または輪廻転生の概念
で言うならば、次の世もこの人と共に生きたいと願う相手、を選ぶ
のだと言う。

だとするなら、そのスパイラルを断ち切らなければならないことに
気付かせるために、または、断ち切ってくれると信じて、生まれて
くるのではないか、と思う。


もし、辛い経験や辛い思い出があって、そのことで今も苦しんでいる
のなら、そんな思いをするのは自分までで終わりにさせなければ・・・。
延々と、脈々と受け継がれていく無限連鎖のスパイラルは、自分の
ところで終わりにさせなければ・・・。


辛い経験から目を背けるだけの生き方は、「強がり」でしかない。
そんな“被害者意識”は今すぐに捨ててしまえばいい。

自分こそがそのスパイラルを断ち切るために選ばれたのだ、という
使命感を持って、本当のめざすべき理想のカタチをはっきりと掴み
(良い見本を明確に描き)、その実現に真正面から立ち向かうことが
「強く生きる」ということなのだと思う。


・スパイラルを断ち切れば、子供には辛い思いをさせずに済む。

・スパイラルを断ち切れば、自分は呪縛から解かれ、幸せになる。

・スパイラルを断ち切れば、子供は愛情と幸せを知って育つ。

 ・・・・・そしてそのまた子供に愛情を与え、幸せに生きていく。

強く生きること、スパイラルを断ち切ることは、ペイフォワードされる。


自分を信じて、選んで生まれてきてくれた子供の瞳をまっすぐに見て、
抱きしめて、誓ってほしい。  


  



Posted by exceedblog at 21:55clip!あなたから誰かへ