August 27, 2007

勝者と敗者の違い

勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
敗者は「私のせいではない」と言う。

勝者は勝因を「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。

勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。
敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。

勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
敗者は問題の周りをグルグル回る。

勝者は償いによって謝意を示す。
敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。

勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。
敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。

勝者は「自分はまだまだです」と言う。
敗者は自分より劣るものを見下す。

勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。

勝者は職務に誇りを持っている。
敗者は「雇われているだけです」と言う。

勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。


      ヤニフ・コンチツキ教授(スタンフォード大学)
      「The Big Difference between Winner and Loser」 より  



  



Posted by exceedblog at 06:34clip!ビジネス・成功 
August 15, 2007

終戦記念日に想うこと

学生時代、自分の右手は「神に与えられた才能」だと思っていた。

それが事故で思うように動かなくなった時、僕は自分の全てを
失った気さえした。

でも、今はそれで良かったと思う。
むしろ、必要な経験だったのだと感謝の気持ちさえ持っている。
そのことで、たくさんのことに気付くことができたからだ。

それ以来16年間、今でも時々見る夢がある。

夢の中で、僕は右手にナイフを突きつけられ、そして目線の先には
大切な人が捕らえられている。
それは、妻だったり、妹だったり、子供だったり。
そして、僕の大切な人を捕らえている何者かは、こう尋ねてくる。

 「大切なものを返してほしければ、お前の全てを差し出せ」

僕は、その言葉が終わるか終わらないかの間に、自分で自分の右手
に、そのナイフを突き立てる。

自分にとって何が大切なのか、何を守りたいのか。
そこに一切の迷いは無い。


戦争を美化する気もないし、もちろん肯定なんかしないが、
散っていった彼らが守ろうとしたもの・・・そこに今の僕らが生きている
という事実からは、目を背けることはできない。

彼らが命をかけて守ろうとしたのは、
彼らが命をかけて託したのは、こんな時代じゃないはずだ。



限りある時間の中で、僕らは自分なりに答えを出さなければならない。
託されたものを大切に守り、そして次に託していかなければならない。  


  



Posted by exceedblog at 23:55clip!想いを込めて 
August 07, 2007

存在意義 ・ 存在理由

某国の収容所では、新たに収容された凶悪犯罪者達に対して、
最初の1週間に、ある労働をさせるそうです。

  ただひたすら穴を掘らせる。
   また埋めて元通りにさせる。

     ただひたすら穴を掘らせる。
      また埋めて元通りにさせる。

・・・この、何の意味もない労働を1週間繰り返させると、彼らは
存在理由を見失い、自信を無くし、無気力で従順な服役囚と
なるそうです。


人が生きていく上で、どんな苦難をも乗り越えていける原動力
とは、まさに「自分の存在意義存在理由」であり、そしてそれ
を見出すことで抱く、強い使命感・誇り・自信・エネルギーです。

貢献という言葉は、もしかすると、誰かの役に立つことによって
限りある時間の中で、“自分の生きた足跡を残したい”“自分は
ここにいるよ、頑張っているんだよ”って、認められたいだけの
ことなのかもしれません。

でも、だからこそ、その存在意義を見出したものへ向かう姿勢に
「誰かとの争い」や「勝ち負け」を介入させてはいけない


もし、「あなたと出会えて本当に良かった」と心から感謝した人が、
あなたの心に潜む“恨み”や“憎しみ”を垣間見てしまったなら、
それまでの全ての行ないは意味を失ってしまいます。
あなたが本当に見ていた相手が実は自分ではなくて、許せない
誰かだったことに気付いたなら、きっとあなたのことが、とても醜く
そして小さくて可哀そうな存在に見えることでしょう。


例えば、自己実現に向けて全力を注いでいる人がいたとして、
でも彼には“絶対に許せない”人がいたとしたら、彼はそのまま
真っ直ぐに自己実現を成し、その相手を見返すのでしょうか?

自己実現を成した彼は、その相手を見返したりしないはずです。
もっと正確に言えば、見返そうなんていう気持ちどころか、その
存在があったことで今の自分がいる、ということに感謝の気持ち
すら持っている。 そんな心境だからこそ、全ての物事に感謝を
しているからこそ、成し遂げるのです。


  あなたは、本当はどんな幸せを手に入れたいのですか?
  あなたは、本当はどんな生き方をしたいのですか?

世界に唯一の、あなたの存在意義存在理由には、これ以外の
要素はカケラも必要ありません。
必要ないものが混在しているから、真っ直ぐ向かえないのです。


「あなたと出会えて本当に良かった」と、何人に対して言えるか。
「あなたと出会えて本当に良かった」と、何人が言ってくれるか。
あなたの意識を、心のベクトルを、そこに向けてほしいのです。

そして何より、いつでもあなたが
「あなたと出会えて本当に良かった」と、心から自分自身とHUG
できるあなたであってほしい、と思うのです。


あなたは今、間違いなくそこに存在していて、これから先の人生で
あなたが大切に思う人達に、心から感謝されるのですから。


          言葉にできない / 小田和正  


  



Posted by exceedblog at 23:45clip!私からあなたへ 
August 02, 2007

縁を生かす

先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても
好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、
人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の
記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で
居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子供に暴力を振るう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみ
を生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をする
から、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業
で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後であけてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物に
ちがいない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生
の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」

六年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚の
カードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中
で一番素晴しい先生でした」それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても
幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」

十年を経て、またカードがきた。そこには先生に出合えた事への感謝と父親
に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あの
まま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。
医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」
と一行、書きそえられていた。



本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを
拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を
開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

        月刊致知(致知出版社)
        平成17年12月号特集縁を生かす(藤尾秀昭小さな人生論)より




細々とですが、私は、児童養護施設の子ども達の自立支援を行なっています。
同じように、辛い状況、厳しい環境の誰かを支援している方、これから支援しよう
という方は、きっとたくさんいるだろうと思います。

でも、どうか、彼らが可哀想だからと同情して、「手をさしのべてあげよう」とは
決して思わないでください。
その“上から目線”が、彼らの尊厳を踏みにじる、見えない暴力となるのです。

痛みを知る彼らだからこそ、誰かに認めてもらえたら、誰かに信じてもらえたら、
いつかきっと、人の痛みがわかる本当に優しい大人になれるのです。

彼らを支援することは、「この国の未来に対する投資」なのです。
社会貢献に関わる方、どうぞ、彼らの未来を信じて、投資をなさってください。


そして、あなたを必要としている人にとって、あなたを待っている人にとっての
この話の先生のような存在になれたら素敵ですね。  


  



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