December 25, 2014

ターニングポイント

中学3年生の時、毎年、国立競技場に区内の全中学生が集まって行なわれ
ていた陸上記録会に、800m走の学校代表選手として出場した。

本番ではそれなりに入賞の自信もあったので、入念にウオーミングアップを
済ませて、フィールド脇の集合場所で待機し、いよいよスタートライン前へ
移動するよう指示が出た時、

いきなり、補欠選手が僕の両脚を全力で蹴り始めた。


他校の選手も見ている中で、彼は何発も何発も僕のふくらはぎや足首に蹴り
を入れ、そして叫んだ。 補欠としての自分の屈辱を。

補欠としての屈辱、最後まで選手に帯同してスタートラインには立てない屈辱。
そういったものを全て爆発させて、彼は僕の脚を蹴り続けた。


大声をあげて大人を呼ぶか、やられたらやり返すか、レースを棄権するか、
一瞬で思いをめぐらせて出した結論は、何事もなかったことにする、だった。
スタートラインでピストルを持っているのは部活の顧問として大変お世話に
なった先生であり、恥をかかせるわけにはいかなかったからだ。

彼の目をじっと見て、何もなかったものとしてその場を後にしたのだが、
スタートラインに立った時、すでに僕の両ふくらはぎは引きつって痙攣し、
右足首は捻挫して、歩くだけでおかしな音をたてていた。

そして当然、それなりの自信があったはずのレースでは、1週ももたずに
失速し、区内の全中学生が見ている前で屈辱の最下位でゴール。
それまで積み重ねた努力も練習も、すべてが木っ端微塵になったわけだ。

そればかりでなく、この時に傷めた両膝の十字靭帯と足首の靭帯の怪我
にはその後も悩まされ、高校3年生の一番大事な時にメスを入れなければ
ならなくなった。


この事件については、ついに卒業するまで誰にも話すことはなかったのだが、
それは、この事件を最下位の言い訳にしたくないから、ということ以上に、
レース後にフィールドでぼんやりと考えたことによる。



この理不尽な出来事が、もしも、僕の人生においてプラスの意味を持つ日が
来るとしたら、それは果たしてどんなカタチで起こるのだろうか。

この出来事は、彼が僕に何をしたかじゃなくて、世の中で起きているどんな
出来事と同じで、誰が誰にしていることと同じ本質を持つものなのか。

そして僕は今日、一体何を垣間見て、何を知り、それは僕が請け負っている
人生のミッションと、どうリンケージしているのか。


。。。フィールドの端に座って、僕はずっとそれを考えていた。

それを今ここで見つけておかないと、

たとえ怪我させられたことを最下位の言い訳にしたとしても、
たとえ補欠の彼を犯人として吊るし上げたとしても、
たとえ自分に正論を言い聞かせ、耐えてこの場では飲み込んだとしても、

目先の問題や感情は解消されるかもしれないが、この理不尽な暴力、暴言、
屈辱、尊厳の崩壊、孤独感、やりきれなさ、は、一生僕につきまとい続け、
整理できない記憶が、一生僕を縛って奴隷にするんじゃないのか。



4年生の時に、「自分と同じような、自分の存在意義を肯定できない子供たちの
心に灯りをともし、救い、勇気づけるようなメッセージを発信することで、彼らの
人生に影響を与えるような生き方をしていきたい。」と誓いを立てていた僕が
感じとったのは、

もしかして、この理不尽な暴力、暴言、屈辱、尊厳の崩壊、孤独感、やりきれなさ
を抱えてその奴隷になって生きているのは、「子供たち」に最も影響を与える存在
である「お母さん」たちの姿なんじゃないのか。

誰かが全力でそこに踏み込んでいかなければ、世の中の実態は変わらない
んじゃないのか。 それをやりきることが、「言っていること」と「やっていること」、
「生き方」と「あり方」を一致させることなんじゃないのか。

たぶん、当時はそんな立派な言語ではなかったのだろうけれど、そういう風に
解釈したし、それが、本当の意味での今の原動力になっているように思う。



僕は、【すべての物事には意味がある】とは、あまり思わない。

要約してしまうとそういうことになるのかもしれないが、

そもそも、すべての物事は、そういう風に見えた、思えた、感じられた、認識した、
という自分の勝手な解釈の問題であり、大局的に見た時、そこにある真実は、
自分はそう解釈した、しかし誰々はこう解釈したようだ」という、状態に過ぎない。

すべての物事を、どう解釈し、その後の人生にどう活かすか

そこに意味が生まれ、そこからの行動に意義が生まれる、のだと思う。


自分自身の存在意義も、事業の存在意義も、同様のところにあるものだと思う。  



  



Posted by exceedblog at 06:36clip!私からあなたへ 
December 16, 2014

Bryan Adams [ Heaven ]

見返りを求めない、無償の施し、無償の愛
 
僕はそれほど強くないし、それほど立派じゃないから、
もしも、一生何の見返りも無いとしたら、とても今の自分を維持できないと思う。
 
 
愛する人と分かち合いたくて、求めたHUGを拒絶され、
愛する人を愛しみたくて、向けた目線を避けられ、
愛する人と語り合いたくて、投げかけた言葉を切り捨てられ、
愛しているのは自分勝手なエゴなのだ、求めてはいけないのだと自分に言い聞かせ、
 
大切な我が子の気持ちに寄り添いたいのに、何も話してもらえず、
大切な我が子に何かしてあげたいのに、触れるな干渉するなと拒絶され、
大切な我が子の健やかな成長をせめて見守りたいと願うも、家に寄り付いてもらえず、
大切にしたいのは親の勝手なエゴなのだ、求めてはいけないのだと自分に言い聞かせ、
 
それでも、
見返りを求めない愛を与え続けられるだろうか。
 
それでも、
そこに歓びと幸せを見い出して、日々心豊かに生きていけるだろうか。
 
 
僕はきっと、かなりの短期間で優しい気持ちが枯渇して、カラカラの状態になって、
振り向いてもらいたいがための愛、自分を愛してもらいたい・大切にしてもらいたい
がための行為の押し付けに走ってしまうに違いない。
 
その自分を自覚して、どんなに醜く思えても、もう止められなくなってしまうと思う。 
 
だから、それに近い寂しさや切なさを感じた時、とても辛いし、勝手に、とても傷つく。
 
 
せめて、死ぬ間際に「あなたに愛されて幸せでした」「あなたが親で本当に良かった」
と言ってもらえる確約があるのなら、もしかすると耐えられるかもしれない。
 
でもやっぱり本音を言えば、死ぬ間際にそう言われるよりも、明日、全力でHUGされて
「あなたに愛されて幸せです」「あなたの子供として生まれて幸せです」と言われたい。
 
結局、自分はエゴから抜け出せない弱い存在なんだ、と認めるしかない。
 
 
 
人は、電車に乗っていて、後から乗ってきた見知らぬ乗客が、自分の隣の席ではなく
向かいの席に座っただけで、「選んでもらえなかった」「拒否された」と感じてしまう。 
 
統計によれば、そうして人は、気づかぬうちに毎日27人を傷つけて生きていると言う。
言い換えれば、人は勝手に、毎日27回「傷ついた」と感じて生きている、ということだ。
 
人は、それほどまでに、拒否されたくない。 認められたい。
人は、それほどまでに、見返りがほしい。 大切にされたい。
 
自分の存在意義を見い出したい。
自分らしく生きていていいんだ、ここに居ていいんだ、必要とされているんだ、と感じたい。
 
 
それは、僕だけじゃない。
そして、あなただけじゃない。
 
どこまで行っても、自分はその一員であり、
同様に、どこまで行っても、目の前にいる愛する人・大切な人も、その一員なんだ。
 
 
 
だから、
「今日自分が何に傷ついたか」を数えるより、「今日どんな承認をしたのか」を数えよう。
 
承認って言うのは、共感してもいないのに「わかるわかる」って話をあわせてあげたり、
感じられないものを無理やり取ってつけて「褒めてあげる」ことじゃない。
 
愛する人・大切な人の、どんな些細な素晴らしさも見逃さないこと。
どんなに見えづらくても、わかりづらくても、自分がどんなに忙しくても、疲れていても、
大切な人の、優しさ、温かさ、素晴らしさ、美しさ、愛おしさ、を絶対に見逃さずに、
 
照れることなく、臆面も無く、
「あなたは素晴らしい」「そういうところが大好きだ」「あなたは美しい」「私の誇りだ」
と、笑顔で平然と言ってのけよう。
 
愛する人大切な人が、今日も居てくれることに感謝して、「ありがとう」と伝えよう。
 
 
 
だって、そこに居てくれなかったら、愛することも、大切にすることも、もう叶わないんだ。
そして、自分の命が永遠でない以上、永遠に愛することも大切にすることも、叶わない。
相手を失ってから、時間を失ってから、どんなに後悔しても、もうすべては叶わない。
 
これからも自分が大切に関われる時間は限られている
エゴにしか生きられない自分にできることも限られている。
 
 
だから、
今日という日があることに感謝して、
愛する人、大切な人が、今日もそこに居てくれることに感謝して、
自分次第でいかようにも大切な価値を持たせられる時間がそこにあることに感謝して、
 
自分の五感をすべて傾けて、愛する人・大切な人の素晴らしさを1つも見逃さず、承認する。
27回も傷ついてそこにいる、愛する人・大切な人の素晴らしさを決して見逃さず、承認する。
言葉にならなければ、言葉で足りなければ、何度でも全力でHUGする。
 
 
最期に言ってもらえたらすべてが報われるソレを、言葉で、態度で、毎日、照れずに、自分が顕す。
 
あなたを愛することができて幸せです
 
生まれてきてくれてありがとう
 
 

 
 
僕に必要なのは 愛だけ
いい時も悪い時も 変わらずずっと君のそばにいるから
ここが天国なんだ