June 30, 2015

ブログ開設10周年

このブログを書き始めてから、10年が経ちました。

もうじき27歳になる長女、25歳になる次女、12歳になる三女、
10歳になる長男、そして大切な人たち、愛する人に、
伝えておきたいことを、想うままにずっと書き続けてきましたが、
想いを込めて、もう少し書き続けてみます。

祝10周年。

  



  



Posted by exceedblog at 23:45clip!想いを込めて 
June 19, 2015

You're Beautiful

想いの源泉にふれる。

人にはそれぞれ特別な「想い」があるが、その想いはどこから来ているのか。
たいていは、幼少期や思春期や育児期の過去体験による。

僕の場合は、「フランダースの犬」かもしれない。

ネロ少年が、最期にルーベンスの絵画を見て、「もう何も思い残すことはないよ」
と言って果てるシーンを見て、感動するどころか、自分は何があればこんな言葉
を言えるだろうか、と考え込んでしまった。

誰にとっても、時間は限られている。
自分にとっても。
目の前にいる大切な人にとっても。
今日と同じ明日が来るという保証はどこにもない。今日が最期かもしれない。

だったら、
大切な人が、これまでの人生で一番素敵な笑顔を浮かべる今日であってほしい。
愛する人が、これまでの人生で一番幸せを感じてくれる今日であってほしい。
「生まれてきて良かった」って、自分の全てを祝福できる今日1日であってほしい。

そのために、今自分に何ができるか。
限られた時間の中で、そこを生ききりたい




「僕の人生は輝いている」という歌い出しで始まり、「君は美しい」と繰り返す
この楽曲は、ラブソングではない。

人生に絶望して、自殺を決めた青年が、最期に美しい女性とすれ違って、
彼女が微笑んでくれたことで、ほんの一瞬だけ心が通じ合えた気がして、
「だから僕の人生は輝いている」と、自分を肯定して死に至る、というもの。

11ヶ国でチャート1位を獲得しながら、後に、自殺幇助の曲とされて放送禁止
になった国もいくつかある。


プロデューサーのトム・ロスロック氏とは、2000年に話をしたことがあって、
こんな内容の話で意気投合した。

  どんなに絶望しても、たった1人でいいから、何も言わなくても自分のことを
  わかってくれて、許してくれて、自分のためにそっと微笑んでくれたら。。。

  その微笑み、内面の輝きこそが本当の美しさ。
  その心の美しさを、その愛を自分に与えてくれたなら、

  死なない。死ねない。
  どんなところからでも立ち上がれる。

  その人の存在が、自分の人生の全てを肯定してくれる。
  その人のためなら命をかけられる。


そして作詞作曲にも加わっている、ジェームス・ブラント本人も、過去に英兵として
戦地に出兵した経験からか、様々な表現を通して、生とは何か、死とは何かといった
命の価値を問いかける重いテーマの楽曲が多い。


だから、この楽曲は自殺幇助の歌ではない。 メッセージソングだ。


15年くらい前に、2000人ほどの来場者が来てくれたイベントのスピーチの中で、
「とても苦しかった時に、死んでしまおうか、と思ったことがありますか?」と
尋ねたことがある。

自分自身も、絶望しかけてそう思った出来事が何度かあったので、意外と多い
だろうと思ってはいたけれど、9割くらいの方が手を挙げて、本当に驚いた。

明るくて、今は希望に満ちて生きているあの人も、
優しくて、誰からも必要とされているあの人も、
仕事ができて賢くて、正義感あふれるあの人も、皆そういう時期を持っていたのだ。

大切な人が、今日、その中を生きているかもしれない。
愛する人が、明日、その中を生きていくかもしれない。

でもその時に、そこに自分が寄り添っていられる保証なんかどこにもない。

自分にできること、命がけでやるべきことって、何だろう。

大切な人を心から大切にするって、どうすることだろう。
愛する人を心から愛するって、どうすることだろう。

そういう大切なことを、子供たちに、大切な人に、愛する人に、体顕し続けたい。

何も言わなくても自分のことをわかってくれて、許してくれて、自分のために微笑んで
くれる存在であり続けたい。
いつも自分を必要としてくれて、いつも両手で抱きしめてくれる存在であり続けたい。

最期の日まで。  


  



June 08, 2015

絶対に許せないもの

ずい分前の話ですが、それまで僕は「愛」という言葉を使いませんでした。

これは意図的です。

本当に大切な想いを込めずに、本当に大切な覚悟を持たずに、この「愛」
という言葉を軽々しく使う人達が大嫌いで、絶対に許せませんでした。
この言葉だけは100%の重みを理解した人にしか使ってほしくない、
それほど大切なものなんだ、と思っていました。

そして、
自分自身に対しても、まだこの言葉を使うに値する自分にはなれていない、
100年早い、と考えていたので、使おうとか使いたいとさえ思ったことが
無いほど、仕事は勿論、ブログでも、「愛」という言葉だけは一切使わない
ように、決して「愛」を語らないようにしてきました。


あなたには、絶対に許せないものってありますか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものってありますか?


人には、それぞれに大切な「想い」があります。
他の人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、自分にとっては、
絶対に踏みにじりたくない、汚したくない、とても大切な「想い」。

その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。

あなたは、まさにそこへ行こうとしているのです。
そこへ行くために生まれてきたのです。
どうしてもそこへ行きたいのです。否、行かねばならないのです。

そこに辿りつくあなたを待っている人がいるのだから。


だから、そこまで行ける自分になりたくて、ならねばならなくて、
「お前には無理だ」「やめてしまえ」「あきらめろ」と打ちのめされ続け、
「本当に価値があるのか」「本当に大切なのか」と考え込まされ続け、
本物でない(偽りの)それを手にしている人・語る人たちが絶対に許せなくて、
「まだダメだ」「まだ自分はそれに値しない」って自分自身に言い聞かせ続け、
その「純粋さ」と「大切さ」と「尊さ」を自分の中で大切に抱きしめ続け、

絶対にそこへ行ける自分になるための、最高の試練を自身に与え続け、
最高の自分磨き・自分育てをし続けて、自分を進化・成長させ続け、
もっと強くなりたいと願い続けて、生きてきたわけです。

考えようによっては、既に最高の人生を生きている、と言えるかもしれません。

ただ、そんじょそこらの試練じゃなくて、最高の試練ですから、それは
自分のパートナー、子供たち、両親、友人、先生...という、かけがえのない人
によってもたらされるため、本当にわかりづらくて、苦しいわけです。


あなたの、絶対に許せないものって何ですか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものって何ですか?

そこに、
あなたが人生をかけて「大切にしたいもの」「想いを込めるもの」があります。

  絶対に許せない → 本当はどんな想いを大切にしてほしいと望んでいるのか。
  それに値しない自分 → 私はその達人をめざして生きているのだ。

そろそろ、こんな風に置き換えてみませんか。
すべてのつじつまが合い、余計なものが消えてシンプルになります。


ずっと以前、40人ほど集まったある会合で、僕はいつものように「愛」という言葉を
一切使わずに、自分の「想い」を何度も語る機会がありました。

その後、会場に居合わせた方々が、それぞれ感想を述べてくださったのですが、
それはこんなものでした。

  「こんなに愛にあふれた人は見たことがない」
  「今日、私は本当の愛というものを知りました」
  「あなたはまさに愛の伝道師です」
  「私も大切な人を心から愛して生きていきたいと思います」
  「愛を与えてくれてありがとう」

全く予想もしなかったご感想に、僕はしばし絶句した後に、言いました。
  「僕は愛という言葉は一切使っていないし、愛を語ったこともありません」

すると、口々にこんな言葉が返ってきました。

  「いいや、愛って言いまくっていた」
  「愛のことばかりを語っていたじゃないか」
  「あなたのブログを見たけれど、愛のことばかり書いてありましたよ」
  「あなたの存在そのものが愛なんだよ」

もはや呆気にとられ、恥ずかしくてたまりませんでした。
そして、
「愛」という言葉を使っていないのに、使いまくっていると認識されて、
まだ「愛」を語るに値しないと思っているのに、「愛」そのものだと思われる
のなら、もはやそこに意地をはる(かたくなになる)意味がないばかりか、
周囲はずっと、そんな自分を承認してくれていたのだから、

むしろ、

そろそろ自分自身が認めちゃった方が楽だし、
堂々と、ハッキリと語ってしまう方がわかりやすい、と思うようになったのです。


軽々しくやる人が絶対に許せない程に、
まだまだ自分はそれに値しないと思える程に、

その「想い」を大切にして生きようとしているあなたの生き様は、

周囲から見れば、それがまさにそれそのものであり、
つまりあなたの「想い」は、既に承認されているのです。


その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。
あなたにとって、とても大切なものが大切にされている世界。


それは、
「できる」か「できない」か、じゃなくて、
「やりたい」か「やりたくない」か、でもなくて、

あなたは今までもずっとやってきたし、これからもずっとやっていくんです。


その「想い」は、貫いていいんです。
その「想い」は、大切にし続けていいんです。
その「想い」は、カタチにしていいんです。

そんな自分を許してあげて認めてあげて好きになっていいんです。

あなたを待っている人がいるのだから。  


  



Posted by exceedblog at 01:34clip!想いを込めて