December 29, 2017

1969年

物心ついた時、時代は米ソ冷戦の真っ只中で、前年にはケネディ大統領暗殺
があり、国内では年始から東大安田講堂事件が起きて、学生運動がいよいよ
ピークへ向かおうとする頃、アポロ11号による人類初の月面着陸成功で世界
が沸く一方、ベトナム戦争が泥沼化して、世界中で反戦デモが起きていた。

そんな1969年の8月、3日間で40万人を動員して、カウンター・カルチャーの
象徴となる、ロックの祭典「ウッドストック・フェスティバル」がNYで開催
され、そうしてついに、米軍はベトナムから撤退を開始した。

後に、Hotel California(Eagles)の歌詞に登場してくる
「We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine」の、1969年。




激動の時代の象徴である1969年。

当時3歳の僕の記憶は、
保育園で発熱して、その日のおやつのビスケットが食べられなかったことや、
生まれて初めてメロンパンを買ってもらい、それはそれは美味しかったこと、
新しい長靴がとても気に入って、晴れの日も保育園に履いて行ったことなど、
何とも平和なものばかりだ。


幼い時の記憶は、知らないこと・わからないことだらけの中で、視野も狭く、
とても小さな世界を生きている自分が、まだ未熟なその目に映った出来事を、
未熟な者なりの解釈で認識した、極めて部分的で浅はかなものに過ぎない。

そして、それは程度の違いが大いにあるものの、学生時代の記憶や、成人後
や結婚後、出産後、あるいはほんの数か月前の記憶についても、同様だ。


たとえば、親から理不尽な育てられ方をしたことや、学校でクラスメイトから
理不尽な仕打ちをされた辛い経験について、全て水に流してあげてくださいね
とは、全く思わないけれど、
それから成長して、たくさんのことを知って、たくさんの人に出会ったことで、
ずっと大人になった今の自分があらためて俯瞰したら、その頃の自分が感じて
いたものとは少し違った側面が見えてくると思う。


子供の目線では、決して逆らえない完全な存在のように映っていた自分の親も、
当時はまだ親として初心者で、未熟な子育てしかできず、本当は子供と上手く
やりたいのに、そうできない自分自身に一番イラついていたのかもしれない。

いじめをしてきたクラスメイトも、本当は家で親から虐待されていて、そんな
自分がみじめで、無意味で、消えてしまいそうで、その恐れがバレないように、
必死に強がって隠していただけの、とても弱い存在だったのかもしれない。


勿論、そうして今の自分が俯瞰することで、なるほどと気づき、今後の人生に
活かせる学びを得て、プラスになったと全てを許し、ありがとうと言えたなら
パーフェクトなのかもしれないが、
そこまででなくても、
「思い出したくもない記憶」や「トラウマ」について、今よりも未熟な過去の
自分が受けとめたままに留めておくより、成長した今の自分が、あらためて
検証し直してみることで、わずかでも真実に近づけたなら、
明日からほんの少しでも、生きづらさが減っていくのではないだろうか。  



  



Posted by exceedblog at 02:23clip!私からあなたへ