July 30, 2008

コラボレーション

一所懸命に探しているのにどうしても見つからない探し物は、
探すのをやめた時、意外とカンタンに見つかったりします。

でもこれ、本当に探すのを「やめた」のでしょうか。

本当に諦めてしまえるモノなら、そんなに一所懸命に探し
続けてはいなかったはずだと思うんです。


実際には、やめたのではなく、やめようと思ったことによって
思考の枠が外れ、視点が変わり、探し方が変わったことによる
のだと思います。


   人は自ら選択して歩み、生きています。

   同時に、人は導かれ、生かされています。


正解の反対には不正解がある、という概念は、とどのつまり
自分(正しい/正義)と反する者は悪(誤っている)という
戦争の論理と何ら変わりません。

正解の対極には、別の視点からのもう1つの正解があります。

その、対極にある論理(自分がまだ気付けていない、あるいは
時として見えにくくなっている真理)に目を向け耳を傾けてこそ、
初めて包括的に物事をとらえることができ、そこに本質・正体を
見極めることができるのだと思います。


  物事を成すのは、コラボレーション

決してひとりよがりではダメ。
自分を突き動かす「想い」と、自分を生かす「大いなる意志」
とによる共同作業ができた時、無限の追い風が吹いてきます。

人間関係も同じ。
自分の「想い」と相手の「想い」による共同作業にならなくては
本当にめざすところに届きません。


でも、自分が(自分と同じ思考の人が)何人いてもダメ。
それではコラボレーションになりません。
それでは本質を見極める視点に立てません。
限界点は、自分1人の状態と何ら変わりません。


  コラボレーションとは、すなわち「Win-Win」。

  探し方(生き方)を変えることです。


でも、どちらか一方でも自立していなければ、あるいは主体的で
なかったら、それはコラボレーションとは言いません。
ついていく相手を変えても、教わる相手を変えても、それでは
探す場所(フィールド)を変えただけのことなんです。

探し方(生き方)そのものを変えること。


「ついていく」から「共に挑む」へ。
「教わる」から「共に成長する」へ。
「勇気をもらう」から「感動を共有する」へ。


他の誰とも違う、世界で唯一の自分だからこそ、
自分だけにしかできないコラボレーションのあり方がある。
自分だからこそできることがある。

きっと、それが体感できた時、そんな自分になれた時、
鏡の中の自分に向かって「あなたに会えて本当によかった」と
心からの感謝を言えるのだと思う。


想いを込めて、自分を信じて、経験を積み重ねる。

たとえ今すぐにはできなくても、いずれ大きな1歩を踏み出して、
そんなコラボレーションの先にある未来をめざしてください。


  あなたならできる。
  あなただからこそ、できる。