November 24, 2010

体験が心を育てる

小学生の頃、こっそり冷蔵庫から玉子を1つもらってきて、
毎日抱きかかえて寝ていたことがあります。

昼間、学校へ行く時には、掛け布団を重ねた中にしまって、
帰ってくるとお腹にタオルを巻いてその中で温め、夜は
また抱きかかえて寝て・・・

「鳥は最初に見た生き物を自分の親だと理解する」という
“刷り込み”を授業で習って、ヒヨコを育てたくなって。

来る日も来る日も玉子を温め続け、10日程経ったある日曜、
帰宅すると、布団の中から玉子が無くなっていました。
心配になってゴミ箱を探してみて、そこに捨てられた玉子が
あったのを見つけた時には、悲しくて胸が痛みました。


数日後、母親に玉子のことを尋ねると、母親が布団を干す時
に発見して、腐っていたから捨てたと聞かされました。

捨てた後、母親はかなり悩んだそうです。

日頃、親代わりに料理をする機会が多かった僕が、布団の中
で食べようとして忘れてしまったのか。 それとも・・・。
もし、真剣に温めていたのなら、別の玉子を入れておいて
あげるべきか、それとも、スーパーで買った玉子ではヒヨコ
が生まれない事実を教えるべきか。

そこで、忘れているかもしれないので、本人が言い出すまで
黙っていることにしたのだそうです。


トンボを育てた時の体験もそうですが、子どもの頃の
体験って
良くも悪くも本人の人格形成に大きな影響を与えるものだ
と思います。

そして、一旦どちらに影響したとしても、それは受け止め方
次第で全てが貴重な思い出・経験として、人生の伸びしろ
となってくれるようにも思えます。


僕が「育成」や「生み出す」にこだわって生きているのは、
この出来事が遠因なのか、それとも、こういう人生を生きる
ことを決めて生まれてきたから興味を持ったことなのか。

(たぶん、後者なのだと思いますが)

いずれにしても、
もし、自分の毎日の生活を誰かが全て録画していたとしたら、
1年で365本、10年で3,652本のビデオが揃ったとした時に、
後から「見てみたい」と思えるビデオは、果たしてそこに何本
あるのでしょうか。

子どもでも、大人でも、同じような映像ばかりになっていた
としたら、つまらないですよね。


今の時代、子どもたちにも、また、大人になってからでも、
些細なことや他人から見たらくだらないことでもいいから、
何か純粋な気持ちからの行動を起こしてみてほしい、と
日々感じています。

興味を持ったこと、やってみたいと思ったことを、飲み込んで
しまわずに実行して、体験をしてほしいと思います。

その体験が心を育て、きっと人生を豊かにしてくれるはずです。


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