August 02, 2007

縁を生かす

先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても
好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、
人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の
記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で
居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子供に暴力を振るう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみ
を生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をする
から、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業
で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後であけてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物に
ちがいない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生
の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」

六年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚の
カードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中
で一番素晴しい先生でした」それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても
幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」

十年を経て、またカードがきた。そこには先生に出合えた事への感謝と父親
に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あの
まま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。
医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」
と一行、書きそえられていた。



本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを
拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を
開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

        月刊致知(致知出版社)
        平成17年12月号特集縁を生かす(藤尾秀昭小さな人生論)より




細々とですが、私は、児童養護施設の子ども達の自立支援を行なっています。
同じように、辛い状況、厳しい環境の誰かを支援している方、これから支援しよう
という方は、きっとたくさんいるだろうと思います。

でも、どうか、彼らが可哀想だからと同情して、「手をさしのべてあげよう」とは
決して思わないでください。
その“上から目線”が、彼らの尊厳を踏みにじる、見えない暴力となるのです。

痛みを知る彼らだからこそ、誰かに認めてもらえたら、誰かに信じてもらえたら、
いつかきっと、人の痛みがわかる本当に優しい大人になれるのです。

彼らを支援することは、「この国の未来に対する投資」なのです。
社会貢献に関わる方、どうぞ、彼らの未来を信じて、投資をなさってください。


そして、あなたを必要としている人にとって、あなたを待っている人にとっての
この話の先生のような存在になれたら素敵ですね。