December 25, 2012

魅力的な唇のためには

子どもの未来を想い、
子どもの幸せを願う「親の愛」ほど、偉大なものはない。

。。。と思いますし、世界中がそうあってほしいと祈るばかりです。


ですが、現実的には、

今この瞬間にも、愛を与えてくれるはずの親からDV・虐待を受け、
肉体的にも精神的にも、命の危険にさらされている子ども達は、
国内だけでも数十万人いるそうです。

そうした被虐待経験が学校でいじめを生み、
親になったときに虐待の連鎖を生む。。。と言われますが、

誰かが彼らの心に寄り添うことができたなら、認めることができたなら、
愛を与える存在になれたなら、間違いなくその逆を生むこともできるはずです。

辛い経験をしたからこそ、人の痛みがわかり、寄り添える人になれる。
苦しかったからこそ、人に優しくなれる。


     タマゴが先か、ニワトリが先か。
          考えるまでもなく、ニワトリが先なのです。




以下は、詩人サム・レヴェンソンの詩集「時の試練を経た人生の知恵」
に収録されていた、彼が孫娘にあてた手紙を、オードリーが詩の形に
直して子どもたちに伝えたメッセージです。



  魅力的な 唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。

  愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること。

  スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと。

  豊かな髪のためには、一日に一度、子どもの指で梳いてもらうこと。

  美しい身のこなしのためには、決して一人では歩めないと知ること。

  人は物よりはるかに多く、回復し、復活し、生きかえり、再生し、
  報われることが必要なのです。 くり返し、報われることが。

  決して何人たりとも見捨ててはなりません。

  人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手の先には
  助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

  年をとると、人は自分にふたつの手があることに気がつきます。

  ひとつの手は、自分自身を助けるために、
  もうひとつの手は他者を助けるために。

  女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく
  その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。

  女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。

  そこは心の入り口であり、愛情の宿る場所でもあるからです。

  女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
  その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。

  それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
  その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。

                           (オードリー・ヘップバーン)