February 24, 2013

体罰の是非について

「体罰問題」についての追記です。

※先に前記事「教育のあり方・指導のあり方」をご一読ください。


前回の記事にて、「昨今の体罰問題」について、
「どう言い逃れしようとそれは犯罪であり、一切許されない」
と書きましたが、実際には私は体罰容認派です。

その説明のためには、ここで、昨今の体罰問題の中でもう1つ
ハッキリと線引きをしておかなければなりません。


そもそも、昨今の体罰問題「体罰」として是非が問われて
いる問題は、実は「体罰」ではなく、

指導力・教育力の欠落した指導者や教師や親たちが、
体罰とか愛のムチとかシツケなどの言葉を借りて行なっている
「傷害」「いじめ」「虐待」事件であり、

本来は法によって裁かれるべき、人の道を外れる行為や
犯罪をした者に対して、法の手に委ねない(見逃す)代りに
罰を与えて悔い改めさせる、

あるいは

人の道を外れる行為や犯罪を阻止するために、説得しても
聞かない者に対して、その相手を大切に思うからこそ、自らが
暴力という手法を用いてでも、何が何でも引きとめようとすること


が、本来の「体罰」ですよね?

それでも、個人が人を裁いて罰を与えることが許されていない
以上、教師は勿論、上司や同級生や、たとえ親であっても、
やはりれっきとした犯罪なのです。

だからやっぱり、


そこに本当の「愛」があると言うのなら、

なぜ本気で学び、指導力・包容力・掌握力を身につけないのか。
なぜ安易に「犯罪」に手を染めるのか。

その愚かさを悔い改めるべきではないのか。
  と思うのです。


そこにしっかり線引きをした上で、

万が一にも、我が子が人の道を外れるような行為をした時に、
教師や指導者や周囲の誰かが、うちの子の将来を本気で思って
殴ったのなら、

私は彼らを責めることなく、「ありがとう」と言うと思う。

そしてまた、我が子が授業中におしゃべりをしていた時、先生に
ゲンコツで頭をゴチンとやられたなら、笑い飛ばしてしまうと思うし、
それで文句を言うような親は、まさにモンスターペアレンツなのだ
と思います。

(ただし、ケガするような過剰なものは論外だし、女の子に対しては
1/10くらいでお願いします、という感じですが)


<問題点のまとめ>

・今問題になっている「体罰」は「虐待事件」を指し、「体罰」ではない。
・根底に指導者、教師、親らの力不足・努力不足・責任転嫁がある。
・結果主義の誤ったリスペクトがあり、あるべきリスペクトに欠けている。
・本当の「体罰」であっても、やはり犯罪である。
・しかし教育・指導として容認される範疇はあり、すべてを問題視するべきではない。
・指導者・教師・親ら同士の信頼関係とコミュニケーションが不足している。


という前提で、この金八先生のビンタは容認します。