April 18, 2014

何を損なったのか

子供たちの夕食作りに間に合うように、昼食を抜いて仕事して、1本でも早い接続で
帰れるようにと駅構内を走って電車に乗り、窓ガラスの雨粒を見て、がっくりする。

今朝、出掛けにせっかく洗濯してきたのに、これじゃぁビショ濡れだ。。。

最寄り駅の駅ビルのお店で、パソコンの入った重たいバッグを片手に、大急ぎで店内
をまわって食材を購入するが、時間との戦いで、ゆっくり選ぶことなんてできない。

これとこれは近所のスーパーの方が安いんだけど、仕方がないよな。。。

折りたたみ傘を広げても横殴りの雨でビショ濡れになりながら、手荷物をいっぱいに
抱えて、指先がちぎれそうになりながら、必死に自分を鼓舞して階段を上がっていく。

惨めなんかじゃない。子供たちのためなんだから、ちっとも格好悪くない。。。

笑顔で迎えてもらえると信じてドアを開けると、宿題もしないでテレビを観ていて、
雨が降っているのに窓が開けっ放し。おかえり、さえも言ってもらえない。。。

怒るより先に、ベランダの洗濯物を取り込まなくちゃ。。。

こんなことは小学生の時からずっとなんだから、今さら何とも無いって言い聞かせる。
でも、疲れきって、心も折れて、そのままベランダに立ちすくんで、濡れながら思う。

自分、一体何をしているんだろう。。。orz


 ※世のお父さんは、自分の奥さんが毎月何度もこんな状況と向き合っているんだ、
  っていうことを知っておく必要があると思う。



だからと言って、
それで自分は、何かを損なったのだろうか。

否、何も損なってなどいない。

家にたどり着いたのが自分じゃなくて、犯罪者だったら。
雨に濡れたのが自分や洗濯物じゃなくて、子供だったら。
惨めで切ない思いをしたのが自分じゃなくて、子供だったら。

守りたい大切な存在がそこにそのまま居る時点で、何も損なってなどいない。


耐え切れなくて、怒鳴ってしまうことや、切れて叫んでしまうこともあるかもしれない。
そうして後で、自分は優しい子育てができないダメな親だと涙を流すのかもしれない。

だからと言って、
それで子供は、何かを損なうのだろうか。

否、何も損ないなどしない。

自分の親が、自分のためにそんなに頑張っていることに気づき、感謝できる。
親の本音を聞けて、自分には何ができるだろうかと考えるようになる。
いつか自分も親になった時、辛くなった時、親の気持ちがわかって頑張れる。



苦しい時、切ない時、報われない気がする時に、自分に問いかけてみてください。

それで自分は、何かを損なったのだろうか。
それとも、そのことで大切な何かが育まれたのだろうか、と。



物事は常に、正解の反対に全く違うもう1つの正解がある。

そこに目を向けることができると、
報われないように思える物事や、やらされたと思える出来事が、全て無駄ではなかった
ことを知り、誰も認めてくれなくても、自分で自分を認めてあげることができる。


誰だって、認めてほしいんだ。