March 31, 2020

Happy Birthday

人生の最期に、誰に何を言い残せたら幸せか。
 
 
その自分の大切な想いを、毎日顕して生きることが大事で、
それこそが、限りある時間の中で、与えられた1日1日を
生きることの意味であり、価値なんだと思う。
 
 

 
 
この曲は、この上なく美しくて、完璧だ。 僕にとって。  



  



Posted by exceedblog at 00:00clip!
October 30, 2019

ありったけの勇気を

ビジネスは、レベルアップとレベニューアップを如何に最適に行なうか
という方程式(計画・戦術)によって成り立ちます。

そして成功とは、そのベクトルが「自分の求める生き方」であることが
最大にして唯一の条件であり、全てはそこが基軸でなければなりません。


でも、人間はそんなに強くないから、
次のステップへ進もうとする度に「過去の遺産」に引き戻され、忘れたい
モノを引きずっている自分と向き合わされ、いつまでたっても成長がない、
求める生き方に近づけない自分を感じてしまうこともあります。

そんな時は、ありったけの勇気を持って、「自分の求める生き方」と、
もっともっと深いところで向き合ってみてください。


あなたが尊敬する人、こうなりたいと思う人は、どんな人でしょうか。
見た目も才能も実力も実績も人格も、全てが完璧な人なのでしょうか。
苦しい時、そんな人に手を差し伸べられて、あなたはその手にぬくもりを
感じて全てを委ねることができるでしょうか。

すごいと思うことと、心から信頼できることとは、天と地ほどに違います。


あなたが心から信頼する人は、決して完璧ではなく、不充分なところや
ダメなところをいくつも持っていて、あるいは捨てられない過去を今でも
ひきずりながら、しかし凛として顔を上げて生きている人ではないですか?

そして、あなたが大切にしたい人が心から求めている相手も、そういう人
なのではないですか?


だから、

あなたは完璧になる必要はないんです。
もちろん、強がる必要もありません。

あなたは過去の遺産を捨て去る必要も手放す必要もないんです。
そうした痛みと苦しみを持つあなただからこそ、必要とされるのです。


あなたが本当にめざす生き方をしていくために、必要だったそれらの
全ての出来事に感謝して、顔を上げてまっすぐに目の前の人を見てください。
その人との関係を通してあなたの求める生き方を実践し、求める成果を得る
方法が見えてくるはずです。


今のままの、ありのままのあなたでいいんです。
でも、今までのあなたのままではダメなんです。


ありったけの勇気を持って、過去の全てを一生引きずって生きてください。
そして、あなたを必要とする人から、
「あなたに会えて良かった」と言われてください。

そこにこそ、あなたの存在意義があるはずです。


※2008年の記事より


  


  



Posted by exceedblog at 00:00clip!
October 12, 2018

希望のカケラ

もっと楽で楽しい人生を望んだはずなのに、ほとんどの人が
振り返れば、辛かったことや悲しかったこと、悔しかった
出来事のオンパレードな人生だ...と言う。

運に見放されたような人生を生きる、ごく一部の人ではなくて、
ほとんどの人が、である。

つまり、私もあなたも、決して特別にツイてない人なわけでは
なく、ごく当たり前の、ほとんどの人の内の1人にすぎない。


学校・受験・恋愛・仕事・家族・結婚・スポーツ・人間関係...
みんないろんなところで毎日失敗して、時に大きな失敗もして、
挫折して、その度に自分に失望して、辛く苦しい記憶となる。

でも、何かを成した人は半生を振り返った時、ほぼ必ず
「人生に無駄なことなど1つも無かった。全てが必要だった」
「その失敗、その挫折、その記憶があったからこそ、〇〇できた」
と言い切り、その出来事に心から感謝している。


乗り越えること、本当の次の1歩を踏み出すということは、
座標上の位置を移動することではなくて、成長すること。

まだ何も出来ていなくても、どこにも動けていなくても、
自分の中のベクトルが(たとえ僅かであっても)上がったのなら、
昨日までの自分とは違う、成長した自分がそこにいる。


たとえ他の人が10回でクリアするところを自分は100回かかる
としても、その100回の成長を歓べばいい。  


  



Posted by exceedblog at 17:51clip!
May 25, 2018

追い続けることを諦めない

本当はこんな生き方をしたかった。
本当はこんな大人になりたかった。

途中で立ち止まってしまったり、道に迷ってしまったせいで、
本当はもっと先に行っているはずだった理想の自分からは
もはやだいぶ遅れて、ずっと離れてしまったかもしれない。

でも、

その道を走り続けていることに誇りを持って、
その背中を全力で追い続けることを、決して諦めないこと。


本当の自分は今どこにいるのか。

腕を振って、汗をかいて、涙を流して、必死に地面を蹴って、
恰好悪く無様に走っているのが、本当の自分。


走れ。 走れ。

いずれ、先を行くもう一人の自分に追いつく日がくる。  


  



Posted by exceedblog at 14:15clip!
March 20, 2018

意思あるところに道は開ける

何事も、上手くいく時と上手くいかない時がある。

でも、理想通りに進まないことを「環境のせい」にしてはいけない。
また、「誰かのせい」にしてもいけない。
そして、「自分のせい」にしてもいけない。


たとえば、バケツの中で泳いでいるオタマジャクシを想像してみよう。

オタマジャクシは外の世界に行きたくて、バケツの中を泳いでいる。
  ・・・どんどん泳いでみる。
  ・・・まっすぐ泳いでみる。
  ・・・グルグル泳いでみる。
  ・・・力強く泳いでみる。
  ・・・もがいてみる。
  ・・・外へは出られない。何も変わらない。
  ・・・そしていつか、外へ出たいという気持ちさえ失ってしまう。

でも、よぉ〜く自分を見つめ直してみると、実は、ちょっとだけ後ろ足が
はえてきている。

        その事実に気付くことが大事なんだ!

やがて立派な足になり、次には手がはえ、そしていつかカエルになる。
自分の成長を信じて、自分の小さな変化と成長に目を向けて、めざす生き方
を忘れずにいたならば・・・ピョンッとひと越え、バケツの外へ出る日がくる。

   今の自分には届かないことも、自己成長の先には光がある。

環境が変わらないから上手くいかない、のではない。
誰かが変わらないから上手くいかない、のでもない。
自分は永遠にそこへ届かない、のでもない。

    自分自身が成長して変わった時、すべての状況が変わる。


オタマジャクシがバケツの中をいくら泳いだって、外へは出られない。
でも、外へ出ようと泳ぎ続けること、もがき続けること、自分が成長し続ける
ことを信じ続けること、によって、外へ出られる自分になる日がやってくる。

意志あるところに道は開ける。


※2006年の記事より  


  



Posted by exceedblog at 11:05clip!
December 29, 2017

1969年

物心ついた時、時代は米ソ冷戦の真っ只中で、前年にはケネディ大統領暗殺
があり、国内では年始から東大安田講堂事件が起きて、学生運動がいよいよ
ピークへ向かおうとする頃、アポロ11号による人類初の月面着陸成功で世界
が沸く一方、ベトナム戦争が泥沼化して、世界中で反戦デモが起きていた。

そんな1969年の8月、3日間で40万人を動員して、カウンター・カルチャーの
象徴となる、ロックの祭典「ウッドストック・フェスティバル」がNYで開催
され、そうしてついに、米軍はベトナムから撤退を開始した。

後に、Hotel California(Eagles)の歌詞に登場してくる
「We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine」の、1969年。




激動の時代の象徴である1969年。

当時3歳の僕の記憶は、
保育園で発熱して、その日のおやつのビスケットが食べられなかったことや、
生まれて初めてメロンパンを買ってもらい、それはそれは美味しかったこと、
新しい長靴がとても気に入って、晴れの日も保育園に履いて行ったことなど、
何とも平和なものばかりだ。


幼い時の記憶は、知らないこと・わからないことだらけの中で、視野も狭く、
とても小さな世界を生きている自分が、まだ未熟なその目に映った出来事を、
未熟な者なりの解釈で認識した、極めて部分的で浅はかなものに過ぎない。

そして、それは程度の違いが大いにあるものの、学生時代の記憶や、成人後
や結婚後、出産後、あるいはほんの数か月前の記憶についても、同様だ。


たとえば、親から理不尽な育てられ方をしたことや、学校でクラスメイトから
理不尽な仕打ちをされた辛い経験について、全て水に流してあげてくださいね
とは、全く思わないけれど、
それから成長して、たくさんのことを知って、たくさんの人に出会ったことで、
ずっと大人になった今の自分があらためて俯瞰したら、その頃の自分が感じて
いたものとは少し違った側面が見えてくると思う。


子供の目線では、決して逆らえない完全な存在のように映っていた自分の親も、
当時はまだ親として初心者で、未熟な子育てしかできず、本当は子供と上手く
やりたいのに、そうできない自分自身に一番イラついていたのかもしれない。

いじめをしてきたクラスメイトも、本当は家で親から虐待されていて、そんな
自分がみじめで、無意味で、消えてしまいそうで、その恐れがバレないように、
必死に強がって隠していただけの、とても弱い存在だったのかもしれない。


勿論、そうして今の自分が俯瞰することで、なるほどと気づき、今後の人生に
活かせる学びを得て、プラスになったと全てを許し、ありがとうと言えたなら
パーフェクトなのかもしれないが、
そこまででなくても、
「思い出したくもない記憶」や「トラウマ」について、今よりも未熟な過去の
自分が受けとめたままに留めておくより、成長した今の自分が、あらためて
検証し直してみることで、わずかでも真実に近づけたなら、
明日からほんの少しでも、生きづらさが減っていくのではないだろうか。  


  



Posted by exceedblog at 02:23clip!
October 27, 2017

心が変われば人生が変わる

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる


この言葉は、松井秀樹さんが恩師から贈られた言葉として、あるいは
野村克也氏やウイリアム・ジェイムズ氏の言葉として、それぞれ若干
語句が異なるものの、よく知られている名言です。

あれもこれも「他人が源」(誰かや何かのせいで自分はこうなった)
という解釈や、そう感じてしまう心のあり方を捨て、何事もすべては
自分が源」(自分次第で如何様にも変えることができる・できたはず
と受けとめられる自分に変わることや、あらゆる物事に素直に感謝する
心のあり方を手に入れることで、人生そのものが変わっていきます。


ただし、人間はもともと、自分で一旦決めた行動を、その後もずっと
やり続けようとする性質(心理学では「一貫性の法則」と言います)を
持っているため、それまでに作り上げてしまった自分や、過去に決めて
しまった心のフレームが邪魔をして、変わりたいと思ってはいるものの、
なかなか本質的に自分を変えることができません。

本当に自分を変えるためには、
目線を変えて意識を変えて、本気でコミットする必要があります。



小学3年生の時。

自分の未来が見えなくて、
居場所がみつからなくて、
そんな自分を変えたくて、
でも、変われる自信がなくて、
4年生になった時、やっとの思いで吐き出した「変われるかな?」という
悲壮な問いかけを、命がけで承認してもらえたから、今がある。

あの時、後押しされた背中には、今でも手のひらの感触が残っていて、
どんなにくじけそうになっても、
どんなに格好悪いことになっても、
あの手のひらの感触を背中で感じて、あきらめずに、そのように生きてきた。


自分を変えるのは簡単じゃない。
でも、
自分と未来は変えられる。

誰かや何かのせいにする暇があるなら、
大切な誰かや愛する人のために、今の自分に何ができるか、
を考える自分であり続けたい。


心が変われば、人生が変わる。


  


  



Posted by exceedblog at 17:03clip!
August 03, 2017

絶対に、幸せにする!

本当に優しい人って、昔、本当につらい思いをした人。

優しくなりきれていない人って、つらかった時のことを
まだ上手に受け入れられていない人。

そんな風に思います。


生きていくために用意されている様々なテクニックは、
自分の本質にある弱いものを覆い隠したり、誰かを
陥れたりすることに使うんじゃなくて、誰かに救いの手
を差し伸べてあげるために使うもの。

自分のことばかり考えていると、目の前にいる人が必死で
隠そうとしている本質に気付くことができず、その人の
苦しみや痛みを取り除いてあげることができない。

他人のことばかり考えていると、自分を一番大切にして
くれている最も身近な人の本質に気付くことができず、
幸せを分かち合いたい人との間に悲しい溝ができてしまう。


自分は何を大切にして生きていくのか。
自分はどこに向かって生きていくのか。


つらい出来事があったが故に、気付けた自分がいるはず。


ならば、過去に対して「ありがとう」を言ってあげて下さい。

理不尽に思えても、
不公平に思えても、
意地があったとしても、

それでも、心からの「ありがとう」を言ってあげて下さい。


そして、つらい過去に負けないで、今日まで頑張ってきた
昨日までの自分に、「ありがとう」を言ってあげて下さい。

ずっと誰かに認めてもらいたかった、昨日までの頑張りに、
心からの「ありがとう」を、声に出して言ってあげて下さい。


つらかった時の自分に対して、誰にも頼れずたった1人で
頑張ってきたその時の自分に対して、「もう大丈夫だよ」と
心の中でハグしてあげて下さい。


なぜ「もう大丈夫」と言えるのか?

「私は今日から、もうブレない」 そう宣言するから。


過去の自分が大切に守り続けてきた「あなた」という存在を、
これからは私が守り、絶対に幸せにするのだ、という決意。


結婚式の時に、新郎が、新婦の父親から新婦を譲り受け、託される。
その時の新郎のコミットと同じもの。


あなたが大切に思う誰もが期待しています。
あなたに対して、期待しています。

絶対に「あなた」を幸せにしてあげて下さい。


※2007年の記事より  


  



Posted by exceedblog at 14:42clip!
March 20, 2017

愚直に生きる

小学6年生の息子は、友達と遊んで来たり、少年野球の練習帰りに
ときどき、お菓子のゴミを大量に持ち帰ってくる。

理由を聞くと、
近頃、お菓子を先に食べ終わった子が後の子にゴミを押し付けて
輪を抜け、最後の子が全部持ち帰らされる...というのが流行って
いるらしいのだが、息子は、自分も後の子に押し付けるという
ことをしたくないので、そうなる度に、後の子の分も合わせて
全部のゴミを引き受けて、持ち帰ってきてしまうのだそうだ。

「こんなに持ち帰ってごめん」と謝った後、息子が尋ねてきた。

       「でも、これでいいんだよね?」



上手いことやった奴が得をして、真面目な奴が全部1人で背負込んで
損をすることが多い、今の時代。
世渡りの上手さとか、口の上手さとか、機転の良さがモノを言う。

あるいは、見て見ぬフリをしたり、誰かが苦しんでいても近づかない
ようにする判断も、子供の頃から繰り返される。
お家のお手伝い、っていう言葉にも、そういうモノが見え隠れする。


そんな大人になりたかったんだっけ?
もっと真っすぐに生きたかったんじゃなかったっけ?
もっと大切なモノがあったんじゃなかったっけ?

本来は、バカ正直で臨機応変さに欠けることを指す言葉ではあるけれど、
こんな時代だからこそ、
愚直で、いいんじゃないだろうか。


不器用で、いいんじゃないだろうか。
バカ正直で、いいんじゃないだろうか。
世間知らずの世渡り下手、口下手で、いいんじゃないだろうか。

ちょっとくらい損をしたって、
いつも他人より遠回りをしたって、
なかなか誰にも認めてもらえなくたって、

時には悲しい想いをすることがあったって、
悔しい想いをすることがあったって、
涙を流すことがあったって、

真っすぐに、
自分を飾ることなく、偽ることなく、
誰かを欺くことなく、裏切ることなく、

自分らしく、

愚直であって、いいんじゃないだろうか。


頭で考えて出す結論よりも、
感情に流されて出す結論よりも、

心で感じて
「本当はそうありたい」と想える自分に身を委ねて、

いつでも

真っすぐに。



。。。息子からの問いかけには、
「勿論さ。君のそういうところが、私の誇りなんだよ!」と答えた。  


  



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February 28, 2016

再会の約束

もっと強い自分になりたい。
 
もっと優しい自分になりたい。

役に立てる自分になりたい。

誇れる自分になりたい。

自分らしい自分になりたい。


何度もそう思って、そうあろうとするけれど、届かない、近づけない。
そして自分の期待に応えられない自分に失望しては、涙する。

だけど、
本当になりたいのは、そんな立派な自分なんかじゃなくて、
「逃げない自分」じゃないのか。


自分の道を、自分で決める。
何が大事なのか、誰が大事なのかを決める。


世界中のすべてを探し回ってでも、
その身を何度八つ裂きにされようとも、
何度生まれ変わってでも、

もう一度、その魂に出会いたいから、
今度こそ、その自分を生ききりたいから、
結局、その道にしか生きられないから、今、この自分を生きている。


だから

逃げずに、
自分の生き方とあり方を、今ここで決める。



  


  



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