July 05, 2020

ポテンシャルを信じて

街角でベビーカーを押すお母さんや、子どもの手を引く
お母さんがいると、つい子どもの顔をのぞき込む。

寝顔だったり、笑顔だったり、泣き顔だったり、時には
ふくれっ面だったりする知らない子どもたちの姿を見て、
ちょっと笑みがこぼれたり、優しい気持ちになれたり、
すべての物事に感謝したい気持ちになれる。


人は誰でも、ボーダーラインを持っている。
それは、ルールと言い換えられるのかもしれない。

ここまでは許すけれど、ここからは許せない。
これはOKだけど、ここがこうなったら絶対にNG。

そんな自分のボーダーラインは、年齢を重ねる度に、
少しずつ変化していく。


昔は、電車やエレベーターでは「降りる人が先」だと
思っていたのに、毎日疲れて、いつの間にか、いつも
自分が先になってしまったり。

昔は、仲良くなりたかったら自分から相手を信じた
のに、いつの間にか、自分を信じてくれる人しか信じ
られなくなってしまったり。

いつもは相手のことを真っ先に考えてあげられるのに、
それを重ねて自分が辛くなってくると、つい自分の
ことが最優先になってしまったり。


いつでも、いつまでも、そのままの自分でいることは
難しいかもしれない。 余裕がないかもしれない。

でも、子どもの顔を見ていると、ほんの数秒間だけは
昔のままの自分に戻っていたりする。

もしかすると、本当に戻れなくなったんじゃなくて、
戻らない言い訳をしているだけなのかもしれない。


今を生きる大人たちが、ほんのちょっぴりずつでいいから、
昔の自分に戻れる時間を長くできたら、ありのままの
本当の自分を生きる時間を長くできたら、世の中は
劇的に変わるのかもしれない。

苦しいことや辛いことを我慢して、頑張り続けることは、
それはそれで大事なのかもしれないけれど、大人であり
続けることも大事なのかもしれないけれど、でも、
ターニングポイントは、考えて選んで進むより、心で感じて
進む方が、いつでも正解に辿り着く。


明日は今日より1分でいいから、ありのままの自分でいられる
ように、そのままの自分を生きられるように。
それを、ほんのちょっとずつ長くしていけるように。


見知らぬ子どもを愛しめる気持ちがある限り、世の中は
まだ捨てたもんじゃない、と思う。

そのポテンシャルを信じていきたい。


※2012年の記事より  



  



Posted by exceedblog at 00:00clip!
April 04, 2020

創るしかない

最近、昔お世話になった会社、お世話になった業界、お世話に
なった方々に対して、今、自分に何ができるだろうか、どんな
恩返しができるだろうか、と考える。

まだ未熟だった自分は、たくさんの大切なことを教えていただく
ばかりで、何の役にも立てず、迷惑をかけてばかりだったが、
今の自分に何か恩返しができないだろうかと。


世の中がコロナ禍で、活動自粛で家にいることが多いからかも
しれないし、毎日の報道で、死を身近に感じているからなの
かもしれないが、

しかし、誰もが限りある時間の中を生きているのだから、
親に対しても、恩人に対しても、感謝を伝えづらい相手に対しても、
いつまでもそのための時間があるわけじゃない。


コロナ禍で、世界はすっかり変わってしまったし、もう元には
戻らないだろう。


新しく創るしかない。創らなければならない。
向かうしかない。向かわなければならない。  


  



Posted by exceedblog at 01:15clip!
January 03, 2019

未来への投資

生きづらい立場の子供たちを支援するような、様々な尊い活動に参画
してくださっている、あるいは、これから参画してくださる皆様に、
一言だけ言わせてください。

どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、ボランティア活動を
しないでほしいのです。 誰もそれを望んでいません。


今の世の中は、自分のコトだけ考えて上手いことやった者が勝ち、
他人のコトを考えて実直に生きる者は独りで背負込んで沈んでいく、
という図式が出来上がっているように思います。

私は「いいコトをしたら、いいコトが返ってくる」と、胸をはって
子供に語りたいし、どこの家庭でもそうあってほしいと願います。


生きづらい立場にいる(いた)子供たちだからこそ、苦しい時に
誰かに信じてもらって、支えてもらって、後押ししてもらえたなら、
きっと彼らは強くなって、きっと優しく育って、
いつか大人になった時、世の中の様々な場所でその役割を果たし、
優しさと愛しみのある社会を創っていってくれると思っていますし、
そうして、この国の未来をも変えていってくれると信じています。


だから、

他人の子に愛を与えること、ほんのちょっとの手を差し伸べること、
めざす所へ向かおうとしているその背中をそっとひと押しすることは、
自分の子どもの将来の幸せにも直結する、「この国の未来への投資」
なのだと思うのです。(参照:我が子を支え育てるもの)


どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、何かを「してあげる」
のではなく、

彼らの瞳の中の光を信じて、「この国の未来への投資」をしていただきたい。


  


  



Posted by exceedblog at 04:41clip!
August 15, 2018

何を手渡すべきか

次の世代へ、愛する人へ、大切な子供たちへ、手渡さなければならないもの

yakiba<焼き場に立つ少年>
 
 
 
  


  



Posted by exceedblog at 18:15clip!
June 22, 2016

My Revolution

高校1年生の頃の僕は、とにかく途方に暮れていた。
 
進学校だから、おそらくそれなりに良い大学へ行き、良い会社に就職し、
そして...資本主義社会の兵隊になっていく...何のために?誰のために?
 
小学生の頃から、毎日ちっとも楽しいと思えなかった。
心の底から笑えなかった。
幸せだって思えなかった。
学校でも家でも、自分を大切にしてもらえている実感を持てなかったから。 
 
中学生になると、それは自分だけじゃないってことがわかってきた。
あいつも、こいつも、あの子も、この子も。
耐えている。必死で自分を維持している。
そもそも、夢や希望に満ちて生きているやつなんて、いないんじゃない?

そう感じてしまった瞬間から、

子供を抑圧してしまう家庭を作っている側の大人の一員になりたくなくて、
子供が閉塞感を感じてしまう社会を構成している一員になりたくなくて、

友人が心に闇を抱えて作り笑顔で生きているのを見て、何もできないくせに
何をしてあげればいいだろうか、何かできることはないだろうか、と悩むことや
無力感を感じることすら、いずれしなくなってしまう自分にはなりたくなくて、

じゃあ自分は一体どんな大人になりたいのか、
どんな道を生きたいのか、
自分はこのままでいいのか、社会はこのままでいいのか、
なんていうことすら、いずれ疑問に感じなくなってしまう自分になりたくなくて、

大好きだから結婚したはずなのに、愛し合って子供を生んだはずなのに、
誰よりも何よりも大切なはずの奥さんや子供を大切にしなくなっていってしまう
自分になんか、なりたくなくて、

完全に、どこへも次の一歩を踏み出せなくなってしまった時、
海外アーティストたちによるチャリティーのムーブメントが沸き起こった。


たった1人のチカラで、声をからして叫ぶのではなく、
集団を作ってシュプレヒコールによって戦いを挑むのではなく、

「想い」の「共感」によるムーブメントでマーケットを動かす。
ブームを超えた、新たな文化を創造する。


そう、この資本主義社会・物質社会に欠落していたものは、
「想い」であり、
「共感」であり、
「愛しみ」であり、
「信頼」であり、
「共生共助」であり、、、

すなわち

「本質」であり、
「次世代へつなげる新たな文化の創造」であったのだ、と確信した。

ならば、
次の時代の誰かにつなぐための、自分は「第三走者」になればいいんだ。
拍手喝さいを浴びるアンカーになれなくても、スターになれない自分でも、
そこまで行けば、
自分を遥かに凌駕するスーパースターが、バトンを受け取るために待っている
のだと信じて、このまま全力で第三コーナーに突っ込んでいいんだ!

と、自分にOKを出すことができた。


僕が走り始めた最初の日。
 
 
 
※今回は、いつも面白おかしく拝読させてもらっている洋楽BARマスターの投稿記事
 を読んで、ふと思い返した学生時代のことを書き綴ってみました。
 
★音楽が地球を救っていた! 80年代【チャリティー・ソング】5選(洋楽)  


  



Posted by exceedblog at 01:49clip!
April 28, 2016

You Are So Beautiful

父子家庭になって3年経ちました。
 
いまだに「頑張りすぎないでください!」とか、「親がそんなに頑張ったら子供が将来、
手抜きできない母親になっちゃうから可哀相...」などの声を、たまにかけられます。


頑張りすぎって何だろう?

手抜きって何だろう?


子供の毎日の変化成長を見るのが楽しくて、
子供が今日こそ壁を突破できますように、今日が最良の日でありますようにと祈り、
愛する人が今日も歓びと幸せの中を自由自在に楽しんで生きていけますようにと願い、
想いを込めて、
あれもしてあげたくて、これもしてあげたくて、あれも教えたくて、これも伝えたくて、
でも、
してあげるより自分でつかませたくて、教えるより自分で見つけさせたくて、
そのために、
あんなことを考えたり、こんなことをしてみたりしながら、
限られた時間の中で、毎日が「あっ」という間に過ぎてしまって...。

たくさん苦労もあるけれど、しんどいところもあるけれど、愛らしい寝顔を見て、OK。
むしろそれが無いようなカンタンなコトだったら、

           こんなに「夢中」に生きられない。


大切な子供たち、愛する人と生きられる、あっという間の時間を、夢中で駆け抜けたい。



 
 
You are so beautiful to me...
 
 
もしも、他の誰かが彼のモノサシで計って、どんな評価をしたとしても、
誰かの価値観で否定されたり、世間の常識に当てはまらなかったとしても、
 
to me...。
 
大切な子供たち、愛する人...君たちは、僕にとって、ただただ美しい。  


  



Posted by exceedblog at 23:55clip!
June 30, 2015

ブログ開設10周年

このブログを書き始めてから、10年が経ちました。

もうじき27歳になる長女、25歳になる次女、12歳になる三女、
10歳になる長男、そして大切な人たち、愛する人に、
伝えておきたいことを、想うままにずっと書き続けてきましたが、
想いを込めて、もう少し書き続けてみます。

祝10周年。

  


  



Posted by exceedblog at 23:45clip!
June 08, 2015

絶対に許せないもの

ずい分前の話ですが、それまで僕は「愛」という言葉を使いませんでした。

これは意図的です。

本当に大切な想いを込めずに、本当に大切な覚悟を持たずに、この「愛」
という言葉を軽々しく使う人達が大嫌いで、絶対に許せませんでした。
この言葉だけは100%の重みを理解した人にしか使ってほしくない、
それほど大切なものなんだ、と思っていました。

そして、
自分自身に対しても、まだこの言葉を使うに値する自分にはなれていない、
100年早い、と考えていたので、使おうとか使いたいとさえ思ったことが
無いほど、仕事は勿論、ブログでも、「愛」という言葉だけは一切使わない
ように、決して「愛」を語らないようにしてきました。


あなたには、絶対に許せないものってありますか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものってありますか?


人には、それぞれに大切な「想い」があります。
他の人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、自分にとっては、
絶対に踏みにじりたくない、汚したくない、とても大切な「想い」。

その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。

あなたは、まさにそこへ行こうとしているのです。
そこへ行くために生まれてきたのです。
どうしてもそこへ行きたいのです。否、行かねばならないのです。

そこに辿りつくあなたを待っている人がいるのだから。


だから、そこまで行ける自分になりたくて、ならねばならなくて、
「お前には無理だ」「やめてしまえ」「あきらめろ」と打ちのめされ続け、
「本当に価値があるのか」「本当に大切なのか」と考え込まされ続け、
本物でない(偽りの)それを手にしている人・語る人たちが絶対に許せなくて、
「まだダメだ」「まだ自分はそれに値しない」って自分自身に言い聞かせ続け、
その「純粋さ」と「大切さ」と「尊さ」を自分の中で大切に抱きしめ続け、

絶対にそこへ行ける自分になるための、最高の試練を自身に与え続け、
最高の自分磨き・自分育てをし続けて、自分を進化・成長させ続け、
もっと強くなりたいと願い続けて、生きてきたわけです。

考えようによっては、既に最高の人生を生きている、と言えるかもしれません。

ただ、そんじょそこらの試練じゃなくて、最高の試練ですから、それは
自分のパートナー、子供たち、両親、友人、先生...という、かけがえのない人
によってもたらされるため、本当にわかりづらくて、苦しいわけです。


あなたの、絶対に許せないものって何ですか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものって何ですか?

そこに、
あなたが人生をかけて「大切にしたいもの」「想いを込めるもの」があります。

  絶対に許せない → 本当はどんな想いを大切にしてほしいと望んでいるのか。
  それに値しない自分 → 私はその達人をめざして生きているのだ。

そろそろ、こんな風に置き換えてみませんか。
すべてのつじつまが合い、余計なものが消えてシンプルになります。


ずっと以前、40人ほど集まったある会合で、僕はいつものように「愛」という言葉を
一切使わずに、自分の「想い」を何度も語る機会がありました。

その後、会場に居合わせた方々が、それぞれ感想を述べてくださったのですが、
それはこんなものでした。

  「こんなに愛にあふれた人は見たことがない」
  「今日、私は本当の愛というものを知りました」
  「あなたはまさに愛の伝道師です」
  「私も大切な人を心から愛して生きていきたいと思います」
  「愛を与えてくれてありがとう」

全く予想もしなかったご感想に、僕はしばし絶句した後に、言いました。
  「僕は愛という言葉は一切使っていないし、愛を語ったこともありません」

すると、口々にこんな言葉が返ってきました。

  「いいや、愛って言いまくっていた」
  「愛のことばかりを語っていたじゃないか」
  「あなたのブログを見たけれど、愛のことばかり書いてありましたよ」
  「あなたの存在そのものが愛なんだよ」

もはや呆気にとられ、恥ずかしくてたまりませんでした。
そして、
「愛」という言葉を使っていないのに、使いまくっていると認識されて、
まだ「愛」を語るに値しないと思っているのに、「愛」そのものだと思われる
のなら、もはやそこに意地をはる(かたくなになる)意味がないばかりか、
周囲はずっと、そんな自分を承認してくれていたのだから、

むしろ、

そろそろ自分自身が認めちゃった方が楽だし、
堂々と、ハッキリと語ってしまう方がわかりやすい、と思うようになったのです。


軽々しくやる人が絶対に許せない程に、
まだまだ自分はそれに値しないと思える程に、

その「想い」を大切にして生きようとしているあなたの生き様は、

周囲から見れば、それがまさにそれそのものであり、
つまりあなたの「想い」は、既に承認されているのです。


その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。
あなたにとって、とても大切なものが大切にされている世界。


それは、
「できる」か「できない」か、じゃなくて、
「やりたい」か「やりたくない」か、でもなくて、

あなたは今までもずっとやってきたし、これからもずっとやっていくんです。


その「想い」は、貫いていいんです。
その「想い」は、大切にし続けていいんです。
その「想い」は、カタチにしていいんです。

そんな自分を許してあげて認めてあげて好きになっていいんです。

あなたを待っている人がいるのだから。  


  



Posted by exceedblog at 01:34clip!
March 11, 2015

願い

これから先、

どんな出来事が起きても、
どんなに価値観が変わっても、
どんなに時が過ぎても、

今、心から大切だと思えているものを、これからもずっと大切にしている君でいてほしい。

愛する子供たちには、愛する人には、いつまでも心美しく生きてほしいと願うばかりです。
 




NPO法人日本語検定委員会主催『日本語大賞』小学生の部 2014年 文部科学大臣賞受賞


          ぼくがいるよ          森田悠生


お母さんが帰ってくる!
一ヶ月近く入院生活を送っていたお母さんが戻ってくる。
お母さんが退院する日、ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、寄り道もしないでいちもくさんに帰宅した。
久しぶりに会うお母さんとたくさん話がしたかった。

話したいことはたくさんあるんだ。
帰宅すると、台所から香ばしいにおいがしてきた。
ぼくの大好きなホットケーキのはちみつがけだ。
台所にはお母さんが立っていた。
少しやせたようだけど、思っていたよりも元気そうでぼくはとりあえず安心した。

「おかえり」 いつものお母さんの声がその日だけは特別に聞こえた。
そして、はちみつがたっぷりかかったホットケーキがとてもおいしかった。
お母さんが入院する前と同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。

お母さんの様子が以前とちがうことに気が付いたのはそれから数日経ってからのことだ。
みそ汁の味が急にこくなったり、そうではなかったりしたので、ぼくは何気なく「なんだか最近、みそ 汁の味がヘン。」と言ってしまった。
すると、お母さんはとても困った顔をした。
「実はね、手術をしてから味と匂いが全くないの。 だから、料理の味付けがてきとうになっちゃって・・・」
お母さんは深いため息をついた。

そう言われてみると最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。
作るおかずも特別な味付けが必要ないものばかりだ。
しだいにお母さんの手作りの料理が姿を消していった。
かわりに近くのスーパーのお惣菜が食卓に並ぶようになった。

そんな状況を見てぼくは一つの提案を思いついた。
ぼくは料理が出来ないけれどお母さんの味は覚えている。
だから、料理はお母さんがして味付けはぼくがする。
共同で料理を作ることを思いついた。

「ぼくが味付けをするから、一緒に料理を作ろうよ。」
ぼくからの提案にお母さんは少しおどろいていたけど、すぐに賛成してくれた。

「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」お母さんが言った。
ぶりの照り焼きは家族の好物だ
フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。
その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。そこまではお母さんの仕事。
タレを煮詰めて家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。
だいぶ照りが出てきたところでタレの味を確かめる。

「いつもの味だ。」 ぼくがそう言うと久しぶりにお母さんに笑顔が戻った。

その日からお母さんとぼくの共同作業が始まった。
お父さんも時々加わった
ぼくは朝、一時間早起きをして一緒に食事を作るようになった。

お母さんは家族をあまり頼りにしないで一人でなんでもやってしまう。
でもね、お母さん、ぼくがいるよ。
ぼくはお母さんが思っているよりもずっとしっかりしている。
だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。

ぼくがいるよ。
いつか、お母さんの病気が治ることを祈りながら心の中でそうくり返した。  


  



Posted by exceedblog at 11:05clip!
February 04, 2015

覚悟を決める

自分の価値を自分自身で肯定してあげられないのは、

スキルやテクニックやキャリアが足りないからじゃなくて、
足りないところやダメなところばかりだからじゃなくて、
愛されていないからでもなくて、上手に愛せないからでもない。

「できない」から「自分らしく生きられない」んじゃなくて、
本当は、「決めない」から「できない」でいるんじゃないだろうか。


今ここで、
       私は「愛の存在」そのものとして生きる!

と、心から、言葉に出して、決めてみる。


大切な人の価値を肯定し、愛する人の尊厳を守り未来を信じて
いつもそこに居る、と決めてみる。

そのために、どうぞ私を使ってください、と委ねてみる。  


  



Posted by exceedblog at 03:31clip!