November 01, 2020
その日の天使
かつてマザー・テレサは、
最も悲しむべきことは、自分が「誰からも必要とされていない」と感じること
だと言っていた。
もしも、今そう感じている人がいるのなら、
あるいは、明日そう感じる瞬間があったなら...、
そんな自分もまた、誰かにとっての「その日の天使」として、
ささやかではあっても確実に、その誰かの役に立っているのだ、と
安心して、自分自身を認めてあげてほしい。
その日の天使(一部抜粋) 中島らも
死んでしまった ジム・モスリンの、なんの詞だったのかは
忘れてしまったのだが、そこにThe day’s divinity, the day’s angel”
という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくは こういう風に
受けとめている。「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分に おちている時には、この天使が一日に一人だけ
さしつかわされていることに、よく気づく。
こんな事がないだろうか。暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと
考えている時に、とんでもない友人から電話が かかってくる。
あるいは、ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。
それは その日の天使なのである。
夜更けの 人気が失せたビル街を、その日、僕は ほとんど よろけるように
歩いていた。体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。
家の中も もめている。
それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。
腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきた。
「♪おっいも〜っ、 おっいもっ、ふっかふっか おっいもっ、 まつやのおっいもっ♪
買ってちょうだい、 食べてちょうだい、あなたが選んだ憩いのパートナー
まつやの イモッ♪」
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。



最も悲しむべきことは、自分が「誰からも必要とされていない」と感じること
だと言っていた。
もしも、今そう感じている人がいるのなら、
あるいは、明日そう感じる瞬間があったなら...、
そんな自分もまた、誰かにとっての「その日の天使」として、
ささやかではあっても確実に、その誰かの役に立っているのだ、と
安心して、自分自身を認めてあげてほしい。
その日の天使(一部抜粋) 中島らも
死んでしまった ジム・モスリンの、なんの詞だったのかは
忘れてしまったのだが、そこにThe day’s divinity, the day’s angel”
という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくは こういう風に
受けとめている。「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分に おちている時には、この天使が一日に一人だけ
さしつかわされていることに、よく気づく。
こんな事がないだろうか。暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと
考えている時に、とんでもない友人から電話が かかってくる。
あるいは、ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。
それは その日の天使なのである。
夜更けの 人気が失せたビル街を、その日、僕は ほとんど よろけるように
歩いていた。体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。
家の中も もめている。
それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。
腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきた。
「♪おっいも〜っ、 おっいもっ、ふっかふっか おっいもっ、 まつやのおっいもっ♪
買ってちょうだい、 食べてちょうだい、あなたが選んだ憩いのパートナー
まつやの イモッ♪」
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。




August 23, 2020
それを自力で掴み取る
夏の大会も終わり、中学3年生の息子が学校の部活(野球部)を
引退したが、午前中に引退式を済ませた足で、そのまま午後から
硬式野球クラブに入門して、硬式野球を始めた。
彼は、受験勉強の方でも最難関校をめざして頑張っているので、
親としては、本当にやりたいと思っていることを、やりたいだけ
おもいっきりやらせて、それをただ精一杯に応援するだけだ。
本当にやりたいことをおもいっきりやる。
言葉で言うのは簡単だけど、実際には、生涯で一度も(あるいは
大人になって久しく)その機会なく、閉塞感の中で毎日を悶々と
生きている人がどれだけいることだろうか。
ドラマや映画で、主人公が生き方に行き詰まった時などに、
満天の星空を眺めたり、地平線を眺めたり、オーロラを見たり、
高層ビルの屋上から地上を見下ろしたりすることで、人生が
大転換して、本当に生きたかった自分らしい人生を歩み始める...
なんていう演出がずっと使われ続けている、ということは、
ほとんどの人が(あなただけではない)、本当はもっと自分らしく
生きたいと感じているが、いまだブレイクスルーのきっかけがなく
閉塞感を抱いていて、
なおかつ、
ほとんどの人が(あなたも含めて)、壮大なもの(景色とか)を
見たり感じたり体感することが、そのブレイクスルーのきっかけ
になるであろうことに実は共感している...のだと考察できる。
本当に生きたい人生を生ききる。
昔から「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、人生において
大切な「それ」を自力で掴み取る(させてあげる)ことこそが
大事なのだというわけだ。
経営コンサルタントとして、
「花屋は花を売っているんじゃない」
「お客様は花屋に花を買いに来ているんじゃない」
という趣旨の、
「あなたの会社は何を売っているのですか?」
「あなたの会社は何を売っていくのですか?」
という、
商売の根幹にかかわる話をする際に、事例の1つとして何度も
名指しで紹介してきた中村隊長の著書を紹介します。
良いことも辛いことも、考えさせられることも、エクスプローラ社
のことも1つ1つ誠実に語られている、嘘偽りの無いドラマチック
な物語を通して、大切な「それ」に気づかせてくれます。



引退したが、午前中に引退式を済ませた足で、そのまま午後から
硬式野球クラブに入門して、硬式野球を始めた。
彼は、受験勉強の方でも最難関校をめざして頑張っているので、
親としては、本当にやりたいと思っていることを、やりたいだけ
おもいっきりやらせて、それをただ精一杯に応援するだけだ。
本当にやりたいことをおもいっきりやる。
言葉で言うのは簡単だけど、実際には、生涯で一度も(あるいは
大人になって久しく)その機会なく、閉塞感の中で毎日を悶々と
生きている人がどれだけいることだろうか。
ドラマや映画で、主人公が生き方に行き詰まった時などに、
満天の星空を眺めたり、地平線を眺めたり、オーロラを見たり、
高層ビルの屋上から地上を見下ろしたりすることで、人生が
大転換して、本当に生きたかった自分らしい人生を歩み始める...
なんていう演出がずっと使われ続けている、ということは、
ほとんどの人が(あなただけではない)、本当はもっと自分らしく
生きたいと感じているが、いまだブレイクスルーのきっかけがなく
閉塞感を抱いていて、
なおかつ、
ほとんどの人が(あなたも含めて)、壮大なもの(景色とか)を
見たり感じたり体感することが、そのブレイクスルーのきっかけ
になるであろうことに実は共感している...のだと考察できる。
本当に生きたい人生を生ききる。
昔から「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、人生において
大切な「それ」を自力で掴み取る(させてあげる)ことこそが
大事なのだというわけだ。
経営コンサルタントとして、
「花屋は花を売っているんじゃない」
「お客様は花屋に花を買いに来ているんじゃない」
という趣旨の、
「あなたの会社は何を売っているのですか?」
「あなたの会社は何を売っていくのですか?」
という、
商売の根幹にかかわる話をする際に、事例の1つとして何度も
名指しで紹介してきた中村隊長の著書を紹介します。
良いことも辛いことも、考えさせられることも、エクスプローラ社
のことも1つ1つ誠実に語られている、嘘偽りの無いドラマチック
な物語を通して、大切な「それ」に気づかせてくれます。




July 05, 2020
ポテンシャルを信じて
街角でベビーカーを押すお母さんや、子どもの手を引く
お母さんがいると、つい子どもの顔をのぞき込む。
寝顔だったり、笑顔だったり、泣き顔だったり、時には
ふくれっ面だったりする知らない子どもたちの姿を見て、
ちょっと笑みがこぼれたり、優しい気持ちになれたり、
すべての物事に感謝したい気持ちになれる。
人は誰でも、ボーダーラインを持っている。
それは、ルールと言い換えられるのかもしれない。
ここまでは許すけれど、ここからは許せない。
これはOKだけど、ここがこうなったら絶対にNG。
そんな自分のボーダーラインは、年齢を重ねる度に、
少しずつ変化していく。
昔は、電車やエレベーターでは「降りる人が先」だと
思っていたのに、毎日疲れて、いつの間にか、いつも
自分が先になってしまったり。
昔は、仲良くなりたかったら自分から相手を信じた
のに、いつの間にか、自分を信じてくれる人しか信じ
られなくなってしまったり。
いつもは相手のことを真っ先に考えてあげられるのに、
それを重ねて自分が辛くなってくると、つい自分の
ことが最優先になってしまったり。
いつでも、いつまでも、そのままの自分でいることは
難しいかもしれない。 余裕がないかもしれない。
でも、子どもの顔を見ていると、ほんの数秒間だけは
昔のままの自分に戻っていたりする。
もしかすると、本当に戻れなくなったんじゃなくて、
戻らない言い訳をしているだけなのかもしれない。
今を生きる大人たちが、ほんのちょっぴりずつでいいから、
昔の自分に戻れる時間を長くできたら、ありのままの
本当の自分を生きる時間を長くできたら、世の中は
劇的に変わるのかもしれない。
苦しいことや辛いことを我慢して、頑張り続けることは、
それはそれで大事なのかもしれないけれど、大人であり
続けることも大事なのかもしれないけれど、でも、
ターニングポイントは、考えて選んで進むより、心で感じて
進む方が、いつでも正解に辿り着く。
明日は今日より1分でいいから、ありのままの自分でいられる
ように、そのままの自分を生きられるように。
それを、ほんのちょっとずつ長くしていけるように。
見知らぬ子どもを愛しめる気持ちがある限り、世の中は
まだ捨てたもんじゃない、と思う。
そのポテンシャルを信じていきたい。
※2012年の記事より



お母さんがいると、つい子どもの顔をのぞき込む。
寝顔だったり、笑顔だったり、泣き顔だったり、時には
ふくれっ面だったりする知らない子どもたちの姿を見て、
ちょっと笑みがこぼれたり、優しい気持ちになれたり、
すべての物事に感謝したい気持ちになれる。
人は誰でも、ボーダーラインを持っている。
それは、ルールと言い換えられるのかもしれない。
ここまでは許すけれど、ここからは許せない。
これはOKだけど、ここがこうなったら絶対にNG。
そんな自分のボーダーラインは、年齢を重ねる度に、
少しずつ変化していく。
昔は、電車やエレベーターでは「降りる人が先」だと
思っていたのに、毎日疲れて、いつの間にか、いつも
自分が先になってしまったり。
昔は、仲良くなりたかったら自分から相手を信じた
のに、いつの間にか、自分を信じてくれる人しか信じ
られなくなってしまったり。
いつもは相手のことを真っ先に考えてあげられるのに、
それを重ねて自分が辛くなってくると、つい自分の
ことが最優先になってしまったり。
いつでも、いつまでも、そのままの自分でいることは
難しいかもしれない。 余裕がないかもしれない。
でも、子どもの顔を見ていると、ほんの数秒間だけは
昔のままの自分に戻っていたりする。
もしかすると、本当に戻れなくなったんじゃなくて、
戻らない言い訳をしているだけなのかもしれない。
今を生きる大人たちが、ほんのちょっぴりずつでいいから、
昔の自分に戻れる時間を長くできたら、ありのままの
本当の自分を生きる時間を長くできたら、世の中は
劇的に変わるのかもしれない。
苦しいことや辛いことを我慢して、頑張り続けることは、
それはそれで大事なのかもしれないけれど、大人であり
続けることも大事なのかもしれないけれど、でも、
ターニングポイントは、考えて選んで進むより、心で感じて
進む方が、いつでも正解に辿り着く。
明日は今日より1分でいいから、ありのままの自分でいられる
ように、そのままの自分を生きられるように。
それを、ほんのちょっとずつ長くしていけるように。
見知らぬ子どもを愛しめる気持ちがある限り、世の中は
まだ捨てたもんじゃない、と思う。
そのポテンシャルを信じていきたい。
※2012年の記事より



April 04, 2020
創るしかない
最近、昔お世話になった会社、お世話になった業界、お世話に
なった方々に対して、今、自分に何ができるだろうか、どんな
恩返しができるだろうか、と考える。
まだ未熟だった自分は、たくさんの大切なことを教えていただく
ばかりで、何の役にも立てず、迷惑をかけてばかりだったが、
今の自分に何か恩返しができないだろうかと。
世の中がコロナ禍で、活動自粛で家にいることが多いからかも
しれないし、毎日の報道で、死を身近に感じているからなの
かもしれないが、
しかし、誰もが限りある時間の中を生きているのだから、
親に対しても、恩人に対しても、感謝を伝えづらい相手に対しても、
いつまでもそのための時間があるわけじゃない。
コロナ禍で、世界はすっかり変わってしまったし、もう元には
戻らないだろう。
新しく創るしかない。創らなければならない。
向かうしかない。向かわなければならない。



なった方々に対して、今、自分に何ができるだろうか、どんな
恩返しができるだろうか、と考える。
まだ未熟だった自分は、たくさんの大切なことを教えていただく
ばかりで、何の役にも立てず、迷惑をかけてばかりだったが、
今の自分に何か恩返しができないだろうかと。
世の中がコロナ禍で、活動自粛で家にいることが多いからかも
しれないし、毎日の報道で、死を身近に感じているからなの
かもしれないが、
しかし、誰もが限りある時間の中を生きているのだから、
親に対しても、恩人に対しても、感謝を伝えづらい相手に対しても、
いつまでもそのための時間があるわけじゃない。
コロナ禍で、世界はすっかり変わってしまったし、もう元には
戻らないだろう。
新しく創るしかない。創らなければならない。
向かうしかない。向かわなければならない。



March 31, 2020
Happy Birthday
December 25, 2019
咲き誇る
どんなに大切な想いがあったとしても、
それを誰かに伝えなければ、
大切な人に届けなければ、
わかってもらうことを諦めてしまったら、
いつか、
それは無かったことになってしまう。
誰もが振り返るような、
美しく気高いものではないかもしれない。
誰もが認めるような、
強くて立派なものでもないかもしれない。
それでも、
それがあなたにとって大切な想いなら、
どうしても届けたい人がそこにいるのなら、
どんなに風が強くても、
どんなに雨に打たれても、
何度も踏みつけられたとしても、
あなたは命をかけてそれを守り、
手渡す日まで、咲き誇らなければなりません。
あきらめないこと。
自分をあきらめないこと。
自分であきらめないこと。



それを誰かに伝えなければ、
大切な人に届けなければ、
わかってもらうことを諦めてしまったら、
いつか、
それは無かったことになってしまう。
誰もが振り返るような、
美しく気高いものではないかもしれない。
誰もが認めるような、
強くて立派なものでもないかもしれない。
それでも、
それがあなたにとって大切な想いなら、
どうしても届けたい人がそこにいるのなら、
どんなに風が強くても、
どんなに雨に打たれても、
何度も踏みつけられたとしても、
あなたは命をかけてそれを守り、
手渡す日まで、咲き誇らなければなりません。
あきらめないこと。
自分をあきらめないこと。
自分であきらめないこと。



October 30, 2019
ありったけの勇気を
ビジネスは、レベルアップとレベニューアップを如何に最適に行なうか
という方程式(計画・戦術)によって成り立ちます。
そして成功とは、そのベクトルが「自分の求める生き方」であることが
最大にして唯一の条件であり、全てはそこが基軸でなければなりません。
でも、人間はそんなに強くないから、
次のステップへ進もうとする度に「過去の遺産」に引き戻され、忘れたい
モノを引きずっている自分と向き合わされ、いつまでたっても成長がない、
求める生き方に近づけない自分を感じてしまうこともあります。
そんな時は、ありったけの勇気を持って、「自分の求める生き方」と、
もっともっと深いところで向き合ってみてください。
あなたが尊敬する人、こうなりたいと思う人は、どんな人でしょうか。
見た目も才能も実力も実績も人格も、全てが完璧な人なのでしょうか。
苦しい時、そんな人に手を差し伸べられて、あなたはその手にぬくもりを
感じて全てを委ねることができるでしょうか。
すごいと思うことと、心から信頼できることとは、天と地ほどに違います。
あなたが心から信頼する人は、決して完璧ではなく、不充分なところや
ダメなところをいくつも持っていて、あるいは捨てられない過去を今でも
ひきずりながら、しかし凛として顔を上げて生きている人ではないですか?
そして、あなたが大切にしたい人が心から求めている相手も、そういう人
なのではないですか?
だから、
あなたは完璧になる必要はないんです。
もちろん、強がる必要もありません。
あなたは過去の遺産を捨て去る必要も手放す必要もないんです。
そうした痛みと苦しみを持つあなただからこそ、必要とされるのです。
あなたが本当にめざす生き方をしていくために、必要だったそれらの
全ての出来事に感謝して、顔を上げてまっすぐに目の前の人を見てください。
その人との関係を通してあなたの求める生き方を実践し、求める成果を得る
方法が見えてくるはずです。
今のままの、ありのままのあなたでいいんです。
でも、今までのあなたのままではダメなんです。
ありったけの勇気を持って、過去の全てを一生引きずって生きてください。
そして、あなたを必要とする人から、
「あなたに会えて良かった」と言われてください。
そこにこそ、あなたの存在意義があるはずです。
※2008年の記事より



という方程式(計画・戦術)によって成り立ちます。
そして成功とは、そのベクトルが「自分の求める生き方」であることが
最大にして唯一の条件であり、全てはそこが基軸でなければなりません。
でも、人間はそんなに強くないから、
次のステップへ進もうとする度に「過去の遺産」に引き戻され、忘れたい
モノを引きずっている自分と向き合わされ、いつまでたっても成長がない、
求める生き方に近づけない自分を感じてしまうこともあります。
そんな時は、ありったけの勇気を持って、「自分の求める生き方」と、
もっともっと深いところで向き合ってみてください。
あなたが尊敬する人、こうなりたいと思う人は、どんな人でしょうか。
見た目も才能も実力も実績も人格も、全てが完璧な人なのでしょうか。
苦しい時、そんな人に手を差し伸べられて、あなたはその手にぬくもりを
感じて全てを委ねることができるでしょうか。
すごいと思うことと、心から信頼できることとは、天と地ほどに違います。
あなたが心から信頼する人は、決して完璧ではなく、不充分なところや
ダメなところをいくつも持っていて、あるいは捨てられない過去を今でも
ひきずりながら、しかし凛として顔を上げて生きている人ではないですか?
そして、あなたが大切にしたい人が心から求めている相手も、そういう人
なのではないですか?
だから、
あなたは完璧になる必要はないんです。
もちろん、強がる必要もありません。
あなたは過去の遺産を捨て去る必要も手放す必要もないんです。
そうした痛みと苦しみを持つあなただからこそ、必要とされるのです。
あなたが本当にめざす生き方をしていくために、必要だったそれらの
全ての出来事に感謝して、顔を上げてまっすぐに目の前の人を見てください。
その人との関係を通してあなたの求める生き方を実践し、求める成果を得る
方法が見えてくるはずです。
今のままの、ありのままのあなたでいいんです。
でも、今までのあなたのままではダメなんです。
ありったけの勇気を持って、過去の全てを一生引きずって生きてください。
そして、あなたを必要とする人から、
「あなたに会えて良かった」と言われてください。
そこにこそ、あなたの存在意義があるはずです。
※2008年の記事より



July 05, 2019
私に何が出来ますか?
私は無宗教だけど、いつもこんな風に考える。
神様は「祝福のカード」と「鉄槌」のカードしか持っていない。
いいことをすれば、祝福され、ふっとゴッドブレスを
一息かけて、自分を前進させてくれる。
よくないことをすれば、鉄槌が振り下ろされ、ふっと
一息かけて、今いる場所から落とされる。
そしてきっと、
「実は祝福されたくてやっていた自分に気づいた瞬間」や、
「よくないことだと途中でわかった瞬間」こそ、じっと
見ているのだと思う。
そう考えると、
いいことほどさりげなく、当たり前のこととして行い、
よくないことはきっぱり断り、間違ったらすぐに謝って正す、
っていうことが大事なんだろう。
当たり前のこと。
でも、その当たり前のことが、なかなか出来ない時もある。
何かを恐れて(つまり何かに怒って)、本当の自分と真っすぐに
向き合えない状態の時とか。
そういう人が1人いると、その場の空気も雰囲気も悪くなる。
そうなると、つい言ってしまいたくなる。
「私に何ができますか?」
関わる人には皆、今日も祝福のカードを受け取ってほしい。



神様は「祝福のカード」と「鉄槌」のカードしか持っていない。
いいことをすれば、祝福され、ふっとゴッドブレスを
一息かけて、自分を前進させてくれる。
よくないことをすれば、鉄槌が振り下ろされ、ふっと
一息かけて、今いる場所から落とされる。
そしてきっと、
「実は祝福されたくてやっていた自分に気づいた瞬間」や、
「よくないことだと途中でわかった瞬間」こそ、じっと
見ているのだと思う。
そう考えると、
いいことほどさりげなく、当たり前のこととして行い、
よくないことはきっぱり断り、間違ったらすぐに謝って正す、
っていうことが大事なんだろう。
当たり前のこと。
でも、その当たり前のことが、なかなか出来ない時もある。
何かを恐れて(つまり何かに怒って)、本当の自分と真っすぐに
向き合えない状態の時とか。
そういう人が1人いると、その場の空気も雰囲気も悪くなる。
そうなると、つい言ってしまいたくなる。
「私に何ができますか?」
関わる人には皆、今日も祝福のカードを受け取ってほしい。



March 21, 2019
君は愛されている
人は毎日、無意識に27回も人を傷つけて生きている。
それは言い換えると、
人は誰もが、毎日、他人や家族や自分自身から27回も
傷つけられ、満身創痍で血の涙を流しながら生きている、
ということになる。
でも、大切な人にはそんな「本当の自分」に気づかれたく
なくて、心配をかけたくなくて、迷惑をかけたくなくて、
必死に悟られまいと、取り繕った笑顔を向けてしまう。
だからこそ、
孤独を感じて、怖くなって、誰かに守られたくて、
愛されたくてたまらなくなった時。
ダメな自分が嫌で、許せなくて、自分はみんなと違う
と感じて、消えて無くなりたくなった時。
自分の存在意義を見出せなくて、これから先の人生を
生きていく意味なんて全くないと思えた時。
湧き上がる負のスパイラルに抗えず、自分を傷つけ、
闇の中に沈んでしまいそうになった時。
声をふりしぼって、何回でも全力で自分に言い聞かせてほしい。
「私は、愛されている」
そして、さっきまで自分のことしか見えていなかったことで、
気づけずにいた、見落としていた、あなたが大切に思う人の、
本当は傷だらけの姿に今すく気づいて、愛していると伝えて。
人は皆、今日もそのために生かされているのだと思う。



それは言い換えると、
人は誰もが、毎日、他人や家族や自分自身から27回も
傷つけられ、満身創痍で血の涙を流しながら生きている、
ということになる。
でも、大切な人にはそんな「本当の自分」に気づかれたく
なくて、心配をかけたくなくて、迷惑をかけたくなくて、
必死に悟られまいと、取り繕った笑顔を向けてしまう。
だからこそ、
孤独を感じて、怖くなって、誰かに守られたくて、
愛されたくてたまらなくなった時。
ダメな自分が嫌で、許せなくて、自分はみんなと違う
と感じて、消えて無くなりたくなった時。
自分の存在意義を見出せなくて、これから先の人生を
生きていく意味なんて全くないと思えた時。
湧き上がる負のスパイラルに抗えず、自分を傷つけ、
闇の中に沈んでしまいそうになった時。
声をふりしぼって、何回でも全力で自分に言い聞かせてほしい。
「私は、愛されている」
そして、さっきまで自分のことしか見えていなかったことで、
気づけずにいた、見落としていた、あなたが大切に思う人の、
本当は傷だらけの姿に今すく気づいて、愛していると伝えて。
人は皆、今日もそのために生かされているのだと思う。



Posted by exceedblog at
16:38
January 03, 2019
未来への投資
生きづらい立場の子供たちを支援するような、様々な尊い活動に参画
してくださっている、あるいは、これから参画してくださる皆様に、
一言だけ言わせてください。
どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、ボランティア活動を
しないでほしいのです。 誰もそれを望んでいません。
今の世の中は、自分のコトだけ考えて上手いことやった者が勝ち、
他人のコトを考えて実直に生きる者は独りで背負込んで沈んでいく、
という図式が出来上がっているように思います。
私は「いいコトをしたら、いいコトが返ってくる」と、胸をはって
子供に語りたいし、どこの家庭でもそうあってほしいと願います。
生きづらい立場にいる(いた)子供たちだからこそ、苦しい時に
誰かに信じてもらって、支えてもらって、後押ししてもらえたなら、
きっと彼らは強くなって、きっと優しく育って、
いつか大人になった時、世の中の様々な場所でその役割を果たし、
優しさと愛しみのある社会を創っていってくれると思っていますし、
そうして、この国の未来をも変えていってくれると信じています。
だから、
他人の子に愛を与えること、ほんのちょっとの手を差し伸べること、
めざす所へ向かおうとしているその背中をそっとひと押しすることは、
自分の子どもの将来の幸せにも直結する、「この国の未来への投資」
なのだと思うのです。(参照:我が子を支え育てるもの)
どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、何かを「してあげる」
のではなく、
彼らの瞳の中の光を信じて、「この国の未来への投資」をしていただきたい。



してくださっている、あるいは、これから参画してくださる皆様に、
一言だけ言わせてください。
どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、ボランティア活動を
しないでほしいのです。 誰もそれを望んでいません。
今の世の中は、自分のコトだけ考えて上手いことやった者が勝ち、
他人のコトを考えて実直に生きる者は独りで背負込んで沈んでいく、
という図式が出来上がっているように思います。
私は「いいコトをしたら、いいコトが返ってくる」と、胸をはって
子供に語りたいし、どこの家庭でもそうあってほしいと願います。
生きづらい立場にいる(いた)子供たちだからこそ、苦しい時に
誰かに信じてもらって、支えてもらって、後押ししてもらえたなら、
きっと彼らは強くなって、きっと優しく育って、
いつか大人になった時、世の中の様々な場所でその役割を果たし、
優しさと愛しみのある社会を創っていってくれると思っていますし、
そうして、この国の未来をも変えていってくれると信じています。
だから、
他人の子に愛を与えること、ほんのちょっとの手を差し伸べること、
めざす所へ向かおうとしているその背中をそっとひと押しすることは、
自分の子どもの将来の幸せにも直結する、「この国の未来への投資」
なのだと思うのです。(参照:我が子を支え育てるもの)
どうか、「かわいそう」だからと「同情」して、何かを「してあげる」
のではなく、
彼らの瞳の中の光を信じて、「この国の未来への投資」をしていただきたい。


