子供の頃から絵画が好きで、小学4年生から高校卒業までは、毎週のように
絵画集を開いて、ダ・ヴィンチやルーベンスの絵画を模写していた。
模写することで学んだのは、作者が登場人物にどんな命を吹き込んだのか、
という「想い」を感じきることが何より大切であるということ。
それができなければ決して同じタッチにならない。何かが違うのである。
「似て非なるモノ」にしかならないのだ。
そういう意味では、映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、エンターテインメント
であり、いわゆる娯楽作品ではあるのだが、その中で指摘しているいくつかの
問題については、おおいに共感するところだ。
ところで、ここで考えたいのは、
「目に見えるカタチより、目に見えない“想い”をとらえる」ということ。
実際、カタチなんかよりも「想い」の方が、はるかに大切なのだと思う。
人は誰でも1人では生きていけない。
いつも誰かに支えられ、勇気づけられて生きている。
言い換えれば、人は常に生かされているのだ。
だからこそ、その「想い」に心から感謝すべきだ。
そして、その「想い」を自分も模倣すべきだ。
わかりやすく言えば、ペイフォワードである。
やり方は何だっていい。カタチは問題じゃない。
今までに自分が最も感謝した「想い」を模倣し、ペイフォワードしていくこと。
そこに向き合えた時、もうブレたり迷ったりすることがなくなる。
いつでも人の本質に目を向けて、そこを感じて生きていきたいと思う。
そして、妻や妹や子供たち・・・
大切な人たちに模倣してもらえるような「想い」を持ち続けたいと思う。