答えを与えて貰おうとしてはいけない。
トンネルを抜け出すために、壁を打ち破るために、もがき苦しむことをせずに
答えを与えて貰ってはいけない。
『自力でそれをやり遂げる』ことのために、気付かせてもらうこと、導いて
もらうこと、寄り添ってもらうこと、信じてもらうこと、見守ってもらうこと。
答えを与えてしまってはいけない。
トンネルを抜け出させるために、壁を打ち破らせるために、大切な人が苦しむ
姿を見たくないからと、答えを与えてしまってはいけない。
それは時として自分の能力や人格に誤解を受けるし、とても忍耐が必要だ。
でも、『彼ならきっと乗り越える』と信じきることができれば、容易いことだ。
本当にその人のためになることは、必ずしも目先の成果と一致する訳じゃない。
成果も幸せも栄光も、全ては自分でつかむからこそ価値がある。
与えて貰ったもの、与えてあげたもの・・・その箱の中は空っぽである。
「 蝶 」 作者不明
一人の男が蝶のさなぎを見つけました。
ある日さなぎに小さな割れ目が現れました。
男は座り込んで、蝶が懸命にその小さな割れ目から外へ出ようとする様子を
何時間も見つめていました。
すると蝶の動きがぱたっと止まってしまいました。
それはまるで、蝶が「ここまでがんばったけれど、もうこれ以上は無理だよ」
と言っている様でした。
そこで男は蝶を助けるために、さなぎの割れ目をはさみで切ってやりました。
すると蝶は簡単にさなぎから出ることができました。
しかしその蝶の体は腫れ上がったようになっていて、羽は小さくてしわしわ。
男は、そのうちに羽が大きく広がって体もしぼんで行き、飛べるようになる
のだろうと思って蝶を見続けていました。
しかし、それは起こりませんでした。
蝶ははれぼったい体としわしわの羽のまま這い回り、死んでしまいました。
飛び立つことができなかったのです。
男は知りませんでした。自分が親切心と焦りからしたことの結末を。
さなぎがなかなか破れないようにできていることや、蝶のその小さな割れ目から
外に出る必死の戦いは、もがきながら体の水分を羽の方に押し出し、さなぎから
抜け出た時には飛ぶ準備が既にできているようにとの、神様の創造の業だった
のだということを。
時に困難は、私たちの人生に必要なものです。
もし神様が私たちを何の困難にもあわせないとしたら、私たちはしかるべき強さ
を得ることができないでしょう。
決して飛び立つことはできないのかもしれません。
(訳:佐川 睦)