真っ直ぐなことを貫こうとすると、それは苦しい道を選択することになる。
本当はそうすることで多くの賛同を得られるべきなのに、何故なんだろう。
10人のうち9人が「白だ」と言い、たった1人が「黒」だと言ったなら、
本当に正しいのか否かに関係なく、正解は「白」になってしまう。
あるいは、「黒」を求めることは理想論者として片付けられてしまう。
10人のうち9人が「やっている」ことで、たった1人が「やっていない」
ことは、本当に正しいのか否かに関係なく、やって良いことになってしまう。
あるいは、「やっていない」ことをバカ正直な愚行にされてしまう。
10人のうち9人が「無理だ」と言い、たった1人が「できる」と言ったら、
本当に正しいのか否かに関係なく、それは「無理」に決まっていることになる。
あるいは、挑戦することすらドンキホーテ扱いをされてしまう。
何故、多くの人が、その危うさに気付けないのか。
底の浅い正論や、中途半端な正義感、勘違いの優しさ、強者に従う心理、
そして、自分の価値観を壊されることで自己を否定されることへの恐怖・・・。
人は誰でも、自分のモノサシ(基準)に他人や物事を当てはめようとする。
そのモノサシは、所詮、自分のそれまでのちっぽけな人生経験の分しか
目盛りが無いにもかかわらず。
だから、その範疇を超える物事は、決して計りきることができない。
本当に間違っているのか、それとも相手のモノサシを超えたことなのか。
もし、間違っていないと本気で思えるなら、その自分の感性とハートを
信じて、貫いてほしい。 負けないでほしい。
ある会合で、テレビなどでも有名な社長様が、
「従業員個々の自己実現などに目を向けると会社が壊れる。成功の秘訣は
全て会社のために職務を全うできる人材を如何に生み出すか、である」
と言い切り、参加者の拍手を受けていた。
私はあえて、
「企業が従業員個々の自己実現に本気で目を向けたなら、彼らの職務は
自己の生き甲斐と重なり、愛社精神と業務の上質化が望めるのでは?」
と質問意見して、周囲から失笑された。
その社長さんは現在、会社を買収され、代表を降ろされている。
過去の歴史や文化は、いつだって、誰かが何かを貫くことで塗り替えられ
てきた。 そうして出来上がった現代社会は、果たして究極なのだろうか。
いや、まだ途上なのではないか。
本当の究極に向かって、紆余曲折しているプロセスにすぎない。
“common sense”は必ずしも正しくはない。
たとえ10人中9人が、あなたの理想は実現しないと言っても、
たとえ10人中9人が、あなたの夢は叶わないと言っても、
たとえ10人中9人が、あなたの会社は儲からないと言っても、
たとえ10人中9人が、あなたの考えは間違っていると言っても、
たった1人、あなた自身が本当に正しいと思うなら、貫き通せばいい。
「できる」か「できない」か、じゃなくて、「やる」か「やらない」か。
もっと言えば、「やりたい」か「やりたくない」のか。
もし、本当にやりたいのなら、
「やりたくてもできない」時代を変えなくちゃならない。
数年後に現れる、かつての自分と同じ境遇の、同じ想いの人達。
・・・自分の分身。
その時あなたは、彼らに「諦めなさい」と言うのか。
それとも、彼らのために、今、道を拓いてあげるのか。
たとえそれが、他人から見れば些細なことであっても、自分にとって
かけがえのないモノなら、そして正しいことなら、貫き通して下さい。