ある方のブログを見ていて、ふと思い出したことがあります。
小学校1・2年生の時に同じクラスだった男の子のこと。
リュウちゃんは、あまり自分からはしゃべらない子でしたが、
背の順で私の隣りだったこともあって仲良しで、休み時間も
よく4〜5人の仲間と一緒に遊びました。
でもちょっと不思議だったのは、授業中に彼が教室にいる時と
いない時があること。 1時間目はいたのに、2・3時間目は
いなくて、また4時間目にいたり・・・。
それと、彼は勉強は全然ダメで、授業中におもらしをしてしまう
ことも何度かありました。
だからよく、「リュウちゃんは勉強が苦手なんだから、まずは
おもらしをしないように頑張ろうゼ」などと言って、トイレに行く
ように促したりしていました。
担任の女性の先生も、彼についてはとても気を配っていて、
体育の時など、皆が体操をしているのに、気付くと1人でボーッ
と突っ立ってしまう彼の横に立って指導したり、私に対しても
事あるごとに「リュウちゃんをよろしくね」と言っていました。
3年生になると、クラス換えをしていないのに、リュウちゃんが
いなくなり、同時に担任の先生も変わってしまいました。
リュウちゃんは、併設されていた心障クラスに移ったのです。
とてもショックを受けつつ、あらためて思い返して気付いたのは、
担任の先生が、それはそれは努力をなさっていたこと。
彼を普通クラスで受け入れようと、必死に尽力していたんです。
小学3年生になったばかりのガキの頭では、たいしたことは
わかりませんでしたが、それでも、先生が頑張ってくれたおかげで
たった2年間だけどリュウちゃんと同級生でいられたんだなぁ、と、
先生のことを心から尊敬したことを覚えています。
もちろん、授業に支障が出ては他の子に迷惑なのかもしれません。
本人のために、家族のために、皆のために、何がベストなのかも
わかりません。
だからこそ、もっと選択肢のある世の中であってほしいと思います。
対応力のある、懐の深い社会の仕組みであってほしいと思います。
少なくとも僕らは、その先生のおかげで、
毎年、運動会の練習と本番の日に、クラスメイトとして戻ってくる
リュウちゃんのことを、心障クラスの特別な子としてではなく、
大好きなトモダチとして受け入れることができました。
そして、それを基本のスタンスとして大人になることができました。
方程式の解き方を知っていることが偉いんじゃなくて、そこにある
問題を他人事とせずに向き合おうとする意識を持つ子供達が増えて
ほしいし、そうなるように育む大人たちが増えてほしいと思う。
私はまだ、リュウちゃんと先生から頂いたモノを、ペイフォワード
できていない。
前回の日記にも書いたように、この分野においてリレーションを
するまでは、私はどこまで行ってもアンフェアなのだと思う。
ゆっくりでも、1歩ずつ、想いを込めて歩を進めて行きたい。