自分用に、お皿にいっぱいの苺を持って、その中から1粒だけを
「どうぞ」と言う人は、本当は「苺をあげたくない」人。
自分用に、お皿にいくつかの苺を持って、そのお皿ごと差し出し
「どうぞ」と言う人は、本当に「苺を一緒に食べたい」人。
自分用に、お皿に1粒残った苺を持って、そのお皿ごと差し出し
「どうぞ」と言う人は、本当は「お皿を片付けてほしい」人。
似ているけれど、与えているけれど、本質は違う。
でももっと踏み込むと、1粒しかくれない人は、実はそうやって
皆に1粒ずつ苺をわけてあげたいのかもしれない。
いくつかの苺を皿ごと差し出してくれたのは、重くて嫌になった
のかもしれないし、苺が嫌いだったのかもしれない。
1粒だけ残った苺をくれたのは、気が小さくてなかなかどうぞと
言い出せなくて、最後に勇気を振り絞ってくれたのかもしれない。
行動には正反対の真意が隠されている場合もある。
人のためであるように見えて、実は自己中心的な卑しい偽善なの
かもしれないし、反対に、冷たく見えて、実は誰よりも温かい人
なのかもしれない。
子供がいたずらをするのは、優しくしてほしいからかもしれない。
大人が意地を張るのは、ごめんなさいを言いたいのかもしれない。
大切なのは、大切な人の気持ちを察すること。
いつでも察してあげられる自分であること。
本当は苦しんでいるのなら、力になってあげたい。
本当は傷ついているのなら、そこに気付いてあげたい。
本当は優しい気持ちからなら、そこに深く感謝したい。
本当は愛してくれているなら、その全てを受け入れたい。
言葉や行動で判断するのでなく、その心中を察したい。
心の瞳を開く。 カタチでなく、心を込めて接するということ。
ビジネスの原理原則は、
お客様の問題を解決し、必要を満たすこと。
それはすなわち、
今、目の前にいる人の心を察し、心を込めて接すること。
誰にでもできるはずのこと。
本当は、一番そうありたいと思っていること。
でも、いつもおろそかになって、いつも後悔していること。