以前にも書いたことがありますが、私が通っていた小学校には
心障クラスがあって、リュウちゃんという同級生がいました。
(リュウちゃんについての過去ログ)
私は今でも、時折あの頃のことを振り返ります。
リュウちゃんは、普段は同じ教室で授業を受けることは少なく、
また、来ても授業中におもらしをしてしまうので、クラスには
差別的な言葉を発する子もいたし、遠巻きに接する子も少なく
なかったのですが、ある時、私はリュウちゃんに言いました。
「俺は、リュウちゃんと一緒に遊ぶと楽しいけど、おもらしを
するリュウちゃんは大嫌いだよ。もう絶対におもらしをしない
ように、ちゃんと一緒に休み時間にトイレに行こうゼ」
リュウちゃんは、「うん、わかった」と涙ながらに約束して
くれて、翌日からは一緒にトイレに行くようになり、それ以降
授業中におもらしをすることは一度もなくなりました。
これは、リュウちゃんと私の小さな「達成」の思い出です。
そして同時に、ずっと引きずっている疑問でもあります。
あの時、「大嫌いだよ」と言ったあの言葉は、はたしてフェア
だったのだろうか、それともアンフェアだったのだろうか。
大好きな友達に、まっすぐに向き合った発言だったのだろうか、
ほんのわずかでも、上から目線が入っていなかっただろうか。
「五体不満足」の著者である乙武洋匡さん は、TV番組に出演
した際に、こうおっしゃっていました。
「親子連れとすれ違う時、“どうしてあの人は手足がないの?”と
子供が聞くのに対して、親が“そういうことを言っちゃいけません”
と叱るんですけど、僕は聞いて欲しい。 言わせて欲しい。
こういう人だっているんだっていうことを。 みんなと一緒に普通に
生きているんだっていうことを。 ぜひ、子供に教えさせてほしい」
オールOK。
すべてをありのままに良しとして受け入れる。
オールOK。
すべては平等だからこそ、すべてをフェアに。
特別扱いしている時点で、それはフェアじゃない。
何もかも個性として受け入れるからこそ、フェアであるべきだ。
身体に障碍をもつ人にも、心に傷がある人にも、誰にとっても
未来は希望に輝くものであってほしい。
そしてもちろん、自分にとっての未来も。
誰にとっても、の「誰」には、「自分」も含まれているのです。
輝く未来を信じて、走って下さい。
オールOK。
今はまだプロセスであり、ゴールでないのなら、未完成で当たり前。
オールOK。
今日の失敗は、今日の悔しさは、めざすゴールを明確にしてくれる。
オールOK。
自分に自信なんていらない。 そんな自分が何かを成すことで、
それを見た人たちに自信を与えることができれば、それでOK。
人のためなら頑張れるけど、自分のためには頑張れない。。。
それは違う。
自分を好きになれないから、「人のために頑張れる自分」を一所懸命に守ることで、
本当は自分自身を守りたい、応援したい、好きになりたいんだ。
それは実は、そんな自分自身のために頑張っているんだ。
オールOK。
それでもいいじゃないか。だって本当は自分を好きになりたいのだから。
あなた自身のために、全力で走って下さい。
いつでも、自分らしく。