自分が先頭でゴールテープを切ろうと思うと(自分自身の
成功を軸に考えると)、できるか、できないか、あるいは
どうすればできるか、という迷路に自らを迷い込ませる。
でもね、もし自分と自分の子どもの前に凶悪犯が現れて、
「どちらかの命を奪う」と言ったら、躊躇なく自分の命を
差し出す。 自分自身のことよりも、大切な者・大切な事
の未来の方が、うんと大切なんだ。
世界の・・・と言われたどこかの自動車メーカーも、きっと
創業者は泣いている。 一時のどんな成功よりも、創業時
の魂が脈々と受け継がれていくことを望んだに違いない。
愛してるって言葉は軽々しく使われるけれど、相手のこと
しか視界に入っていない価値観は愛じゃない。
(自分のことしか考えていないのは論外)
愛しい人が命に変えてでも大切にしたい者や事を、何より
大切にすること。 もしそれが無いなら、そう思えるものを
見出させてあげること、そして心から輝かせてあげること。
時間には限りがある。
来年も、自分が愛し続けてあげられる保証なんてない。
愛しているなら、自分が関われる時間のその先のことまで
視界に入れていなくちゃ、それは結局、エゴなんだ。
大切な者・大切な事を大切にすることって、その人達の先
の、大切な者・大切な事を大切にし続けていけること。
つまり、3年後・5年後・10年後・100年後・200年後・・・
次の時代をどんな時代にしたいのか。
誰に託していくのか。
それこそが、最も大切な判断基準。
だから、僕らは第3走者なんだよね。
そして、アンカーはまだいない。
(正確には、まだ視界に入っていない)
自分の役割を全力でこなす。
目の前のコースを全力で走る。
たとえほんの僅かでも、自分に出来得る最高の状態で、
アンカーにバトンを手渡すために。
このコーナーを全力で駆け抜けたら、きっとそこにいる。
その時に出会える。
今はまだ見ぬ次の時代の彼は、きっとそこに現れる。
僕らが来るのをそこで待っている。
彼がそこにいるのを信じて、僕らをはるかに凌駕する走り
を見せてくれることを信じて、ただ、全力でこのコーナー
を走りきり、使命を果たす。
そこに、できる・できない、は存在しない。
今、自分の手にバトンがあるという事実。
第1走者と第2走者が確かにいたのだということに感謝
して、それを託されているという現実を意気に感じて、
できる・できない、じゃなくて、
何が何でも次の走者にバトンを手渡すために、
自分に出来得る最高の状態で手渡すために、
溢れる想いに突き動かされて、ただ夢中で駆けて行くだけ。
だから、自分は成功しなくちゃならない。
直線に入れば、アンカーが必ず待っているのだから。
そして、その想いは紡がれ、
そのリレーションにオーディエンスは熱狂し、
そこにムーブメントが起こり、
次の時代に文化となって結実する。
ゴールテープを切るのは、全てを託した彼らであっていい。
リスペクトできる彼らに出会う日をめざして、
全力でこのコーナーを走っていく。
僕らは第3走者なんだ。