それは本当にあるのだろうか。
この道の先にあることを信じる限り、それは決して無くならない。
いつか本当につかめるのだろうか。
追い求めることをあきらめなければ、きっといつか辿り着ける。
どうすればそこへ行けるのだろうか。
そこへ行くんじゃなくて、必ずそこへ行ける自分になること。
誰かのために、何かのためにと、いつも心美しい人であろうとする
その壮大なエゴをエゴとして認め、静かに心の湖底に沈めた時、
一遍の濁りもなくなった無垢という透明な水の中に、正直な自分の
「想いの源泉」を見出すことができる。
どんなにささやかでも、どんなに我侭でも、生身の人間としての
本当に求める「歓び」と「幸せ」が、そこにある。
あなたの目の前にいる大切な人が「幸せ」を感じられずにいる時、
あなたは幸せを生きることができるだろうか?
同じように、
あなたの目の前にいる大切な人にとって、あなたが「幸せ」を
感じられずにいるのなら、大切な人も幸せを生きられないんだよ。
だから、
あなたを大切に思う人から、
大切な人の幸せを応援する「歓び」を奪い続けるのは、もうやめて。
あなたが後ろ手に隠しているあなたの不恰好な「幸せ」の姿こそが、
大切な人の「歓び」そのものなのだから。
自分の幸せをあきらめない。
大丈夫。 最初から自分の真ん中に、それは存在しているんだ。
だから、きっと変われる。
君は幸せになっていいんだよ。