自分にとっての正解が、相手にも正解だとは限りません。
だから、「相手の立場に立ってモノを言え」と言うけれど、
相手の立場や気持ちがわかりにくい時だってあります。
そんな時は昔から、ちょっとだけ遠回りをして帰宅します。
大切なお客様やビジネスパートナーと、ほんのちょっぴり
心の距離がひらいてしまった気がした時、相手の住んで
いる街を歩き、最寄りの駅から電車に乗ってみて、
いつも、どんな気持ちでこの風景を見ているのだろうか。
遅く帰る日はこの店で夕食を買ったりするのだろうか。
休日はこの公園に子どもを連れてくるのだろうか。
仕事の日は、この車窓の景色を見て何を思うのだろうか。
そんなことを思いながら、その人の目に映っているものを
同じように見ていると、少しわかりにくくなっていた相手の
本当の想いが感じ取れてくるものです。
それを感じられたら、さっきまでと違う視点で捉えられたら、
かみ合わなかった自分の正解と相手の正解の溝を埋める
分かち合うべき「私たちの正解」が見えてきます。
「私の正論」は、すなわち「あなたの否定」です。
相手の心に寄り添うこと無き正論は、時に暴力なのです。
子どもを叱る時、感情が爆発しそうになった時、
怒鳴ってしまう前に、
小さな我が子と大人の自分の視界の違いに気づかぬまま
親の正論を上からぶつけ、子どもを否定してしまう前に、
ひざをついて、子どもと同じ目線で目に映るものをよく見て
みてください。 子どもの気持ちを感じてみてください。
ついさっきまで怒鳴りかけていたはずなのに、次の瞬間、
無言で強く抱きしめている自分がいるかもしれません。
いつだって、親が子どもに発するべき言葉は
「何度言ったらわかるんだ」っていう人格の否定じゃなくて、
100%全肯定の「生まれてきてくれてありがとう」ですよね。