April 14, 2012

分かち合う、分かり合う

自分にとっての正解が、相手にも正解だとは限りません。

だから、「相手の立場に立ってモノを言え」と言うけれど、
相手の立場や気持ちがわかりにくい時だってあります。

そんな時は昔から、ちょっとだけ遠回りをして帰宅します。


大切なお客様やビジネスパートナーと、ほんのちょっぴり
心の距離がひらいてしまった気がした時、相手の住んで
いる街を歩き、最寄りの駅から電車に乗ってみて、

いつも、どんな気持ちでこの風景を見ているのだろうか。
遅く帰る日はこの店で夕食を買ったりするのだろうか。
休日はこの公園に子どもを連れてくるのだろうか。
仕事の日は、この車窓の景色を見て何を思うのだろうか。

そんなことを思いながら、その人の目に映っているものを
同じように見ていると、少しわかりにくくなっていた相手の
本当の想いが感じ取れてくるものです。


それを感じられたら、さっきまでと違う視点で捉えられたら、
かみ合わなかった自分の正解と相手の正解の溝を埋める
分かち合うべき「私たちの正解」が見えてきます。

「私の正論」は、すなわち「あなたの否定」です。
相手の心に寄り添うこと無き正論は、時に暴力なのです。



子どもを叱る時、感情が爆発しそうになった時、

怒鳴ってしまう前に、
小さな我が子と大人の自分の視界の違いに気づかぬまま
親の正論を上からぶつけ、子どもを否定してしまう前に、

ひざをついて、子どもと同じ目線で目に映るものをよく見て
みてください。 子どもの気持ちを感じてみてください。

ついさっきまで怒鳴りかけていたはずなのに、次の瞬間、
無言で強く抱きしめている自分がいるかもしれません。


いつだって、親が子どもに発するべき言葉は
「何度言ったらわかるんだ」っていう人格の否定じゃなくて、

100%全肯定の「生まれてきてくれてありがとう」ですよね。  



  



Posted by exceedblog at 05:38clip!あなたから誰かへ 
April 03, 2012

また明日から頑張ろう

目の中に白と青しか入ってこない世界。
そこは決して別世界じゃない。

だけど世界が優しく見えるのは何故だろう。
人に優しくしたくなるのは何故だろう。


その時の気持ちが忘れられなくて、
あの人にもその気持ちを手渡したくて。


そんな想いに突き動かされて進んでいく道中では、
自分を支えきれなくなる時もあるだろう。
自分自身に失望する時だってあるだろう。


あれからずいぶん背も高くなったのに、
掌だってずいぶん大きくなったのに、
めざした空は遥かに遠くて、届かない、掴めない。


そんな、心が折れそうな時でも、
こらえきれない涙が溢れる時でも、まだ物語は終わらない。



本当に欲しいものを手に入れられないと、
本当に大切なものを奪われてしまうと、
誰だって、もうそれ以上傷つくことが嫌なので、

欲しがることをやめ、手を引くことを考える。
めざすことを諦め、無かったことにしようと考える。

本当に大切なものを隠して、無理して笑って生きて、
いつかそれが本当に消えてしまうことを願う。

だけど、

いつか消えてしまったりなんかしないことを、
絶対に消せないことを、知っているから「願う」んだ。

本当は消したくないのに、必死に諦めようとして、
消えてしまって無かったことになることを「願う」んだ。



それは努力なんかじゃない。
頑張ることと我慢することは違うんだ。



だから、

また傷つくことを承知で、今度はもっと高く手を伸ばそう。
今度はもっと大きく、もっと強く、もっと高く


大丈夫。

今度こそ絶対に大丈夫

君は頑張り屋だから、本当は諦めていないって知ってるよ。


心が折れたなら、添え木をして、接木をして、
またそこから新しい芽を育てていけばいいんだ。


それを知っている君だから、
たとえ今は辛くても、きっとまたすぐ元気になれる

大丈夫。

そしてまた、明日から頑張ろう



涙って、嬉しくても出るんだよね。

君の目線の先には、その瞬間を待っている人がいるのだから。



  


  



Posted by exceedblog at 03:12clip!私からあなたへ