子どもの未来を想い、
子どもの幸せを願う「親の愛」ほど、偉大なものはない。
。。。と思いますし、世界中がそうあってほしいと祈るばかりです。
ですが、現実的には、
今この瞬間にも、愛を与えてくれるはずの親からDV・虐待を受け、
肉体的にも精神的にも、命の危険にさらされている子ども達は、
国内だけでも数十万人いるそうです。
そうした被虐待経験が学校でいじめを生み、
親になったときに虐待の連鎖を生む。。。と言われますが、
誰かが彼らの心に寄り添うことができたなら、認めることができたなら、
愛を与える存在になれたなら、間違いなくその逆を生むこともできるはずです。
辛い経験をしたからこそ、人の痛みがわかり、寄り添える人になれる。
苦しかったからこそ、人に優しくなれる。
タマゴが先か、ニワトリが先か。
考えるまでもなく、ニワトリが先なのです。
以下は、詩人サム・レヴェンソンの詩集「時の試練を経た人生の知恵」
に収録されていた、彼が孫娘にあてた手紙を、オードリーが詩の形に
直して子どもたちに伝えたメッセージです。
魅力的な 唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。
愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること。
スリムな体のためには、飢えた人々と食べ物を分かち合うこと。
豊かな髪のためには、一日に一度、子どもの指で梳いてもらうこと。
美しい身のこなしのためには、決して一人では歩めないと知ること。
人は物よりはるかに多く、回復し、復活し、生きかえり、再生し、
報われることが必要なのです。 くり返し、報われることが。
決して何人たりとも見捨ててはなりません。
人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手の先には
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
年をとると、人は自分にふたつの手があることに気がつきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるために、
もうひとつの手は他者を助けるために。
女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく
その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。
女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情の宿る場所でもあるからです。
女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
(オードリー・ヘップバーン)