1番最初に、この曲をアルバム「Thriller」の中の1曲として聴いた時は、
「Human Nature」というタイトルと歌詞から、寂しいナンパ男の心情を
綴った曲なのかと思って、あまり好きになれなかったのだけど、
東京ドーム初公演でのHuman Natureを観て、これはマイケル自身の
ことを投影した曲なんだと気づいた。
そう考えてみれば、City はよく She(女性)に例えられるので、曲中の
She とか Her は、街や人のいる場所を指しているのかもしれないし、
曲のタイトル自体も、女性を抱きたいという、人(男)の性(サガ)では
なくて、Nature=加工されていない=カンペキではなく不完全なもの、
みたいなニュアンスで解釈すればいいのかな、と思えてきて、
スーパースターであるが故に、華やかでありながら抱えている寂しさ。
普通に街に出て、普通に人と触れ合い、語り合い、愛し合いたい。
そうしたマイケルの気持ちを想って作られた曲なのかもしれない。
というつもりで、あらためて聴き直してみると、
こんな風に生きるのが好きだから。
こんな風に愛するのが好きだから。
もし誰かが「どうして?」って尋ねたら、答えてよ。
「彼だって(不完全な)人間なんだよ」って。
(神様は)どうして僕をこんな風にしたのさ。
やっぱりその方がしっくりきて、そう思えた瞬間に、この曲を歌う時に
マイケルが醸し出す彼の本音というか、切ない叫びのようなものが、
自分の心の中に流れ込んできた。
ああ、そうか。
やっぱりそういう想いを込められた曲を、そういう想いで歌っていたんだ。
他の全ての曲が、エンターティナーとしてのマイケルであるのに対して、
この曲だけは、本当のマイケル自身がそこにいるのだ。
ライヴ毎に演出や振り付けを変えるけれど、この曲のラストシーンでは
必ず同じパフォーマンスをするのも、その世界観の象徴としてなのだろう。
そして、冒頭と最後の Looking Out (眺めると)の部分を、ライヴでの
マイケルは、どのライヴでも Reaching Out (手を伸ばして) と歌っている
ことに気づいた。
もう部屋から眺めるだけではいられない、直接触れずにはいられない。
そんな風に歌い上げたかったのかもしれないし、実際に変装して外出
して、SPを困らせていた、という噂も聞いたことがある。
This is it での Human Nature のパフォーマンスは評価が高いけれど、
そこでマイケルは、Looking Out と、本来の歌詞で歌っている。
裁判があって、ネバーランドを手放して、そして箱の中の生活に戻らされて
しまったこの頃のマイケルの心情は、その方がリアルだったのかもしれない
し、勝手な思い過ごしなのかもしれない。
すべての物事は、解釈を広く深くひろげていくと、
どこかで必ず、
誰かの小さな優しさや込められた想いを感じられる瞬間がある。
いつでも、
大切な人のそこを見て、それを感じて、大切な人を大切にしていきたい。