中学3年生の時、毎年、国立競技場に区内の全中学生が集まって行なわれ
ていた陸上記録会に、800m走の学校代表選手として出場した。
本番ではそれなりに入賞の自信もあったので、入念にウオーミングアップを
済ませて、フィールド脇の集合場所で待機し、いよいよスタートライン前へ
移動するよう指示が出た時、
いきなり、補欠選手が僕の両脚を全力で蹴り始めた。
他校の選手も見ている中で、彼は何発も何発も僕のふくらはぎや足首に蹴り
を入れ、そして叫んだ。 補欠としての自分の屈辱を。
補欠としての屈辱、最後まで選手に帯同してスタートラインには立てない屈辱。
そういったものを全て爆発させて、彼は僕の脚を蹴り続けた。
大声をあげて大人を呼ぶか、やられたらやり返すか、レースを棄権するか、
一瞬で思いをめぐらせて出した結論は、何事もなかったことにする、だった。
スタートラインでピストルを持っているのは部活の顧問として大変お世話に
なった先生であり、恥をかかせるわけにはいかなかったからだ。
彼の目をじっと見て、何もなかったものとしてその場を後にしたのだが、
スタートラインに立った時、すでに僕の両ふくらはぎは引きつって痙攣し、
右足首は捻挫して、歩くだけでおかしな音をたてていた。
そして当然、それなりの自信があったはずのレースでは、1週ももたずに
失速し、区内の全中学生が見ている前で屈辱の最下位でゴール。
それまで積み重ねた努力も練習も、すべてが木っ端微塵になったわけだ。
そればかりでなく、この時に傷めた両膝の十字靭帯と足首の靭帯の怪我
にはその後も悩まされ、高校3年生の一番大事な時にメスを入れなければ
ならなくなった。
この事件については、ついに卒業するまで誰にも話すことはなかったのだが、
それは、この事件を最下位の言い訳にしたくないから、ということ以上に、
レース後にフィールドでぼんやりと考えたことによる。
この理不尽な出来事が、もしも、僕の人生においてプラスの意味を持つ日が
来るとしたら、それは果たしてどんなカタチで起こるのだろうか。
この出来事は、彼が僕に何をしたかじゃなくて、世の中で起きているどんな
出来事と同じで、誰が誰にしていることと同じ本質を持つものなのか。
そして僕は今日、一体何を垣間見て、何を知り、それは僕が請け負っている
人生のミッションと、どうリンケージしているのか。
。。。フィールドの端に座って、僕はずっとそれを考えていた。
それを今ここで見つけておかないと、
たとえ怪我させられたことを最下位の言い訳にしたとしても、
たとえ補欠の彼を犯人として吊るし上げたとしても、
たとえ自分に正論を言い聞かせ、耐えてこの場では飲み込んだとしても、
目先の問題や感情は解消されるかもしれないが、この理不尽な暴力、暴言、
屈辱、尊厳の崩壊、孤独感、やりきれなさ、は、一生僕につきまとい続け、
整理できない記憶が、一生僕を縛って奴隷にするんじゃないのか。
4年生の時に、「自分と同じような、自分の存在意義を肯定できない子供たちの
心に灯りをともし、救い、勇気づけるようなメッセージを発信することで、彼らの
人生に影響を与えるような生き方をしていきたい。」と誓いを立てていた僕が
感じとったのは、
もしかして、この理不尽な暴力、暴言、屈辱、尊厳の崩壊、孤独感、やりきれなさ
を抱えてその奴隷になって生きているのは、「子供たち」に最も影響を与える存在
である「お母さん」たちの姿なんじゃないのか。
誰かが全力でそこに踏み込んでいかなければ、世の中の実態は変わらない
んじゃないのか。 それをやりきることが、「言っていること」と「やっていること」、
「生き方」と「あり方」を一致させることなんじゃないのか。
たぶん、当時はそんな立派な言語ではなかったのだろうけれど、そういう風に
解釈したし、それが、本当の意味での今の原動力になっているように思う。
僕は、【すべての物事には意味がある】とは、あまり思わない。
要約してしまうとそういうことになるのかもしれないが、
そもそも、すべての物事は、そういう風に見えた、思えた、感じられた、認識した、
という自分の勝手な解釈の問題であり、大局的に見た時、そこにある真実は、
「自分はそう解釈した、しかし誰々はこう解釈したようだ」という、状態に過ぎない。
【すべての物事を、どう解釈し、その後の人生にどう活かすか】
そこに意味が生まれ、そこからの行動に意義が生まれる、のだと思う。
自分自身の存在意義も、事業の存在意義も、同様のところにあるものだと思う。