小学5年生になる娘は、小学1年生の時に気管支喘息で入院して、以降
学校も休みがちで、体育の授業も半分は見学、そして薬漬けの毎日になった。
娘も出演が決まっていたミュージカルの稽古を心の支えに頑張っていたが、
医者からは、健康を取り戻すのには10年かかる、と言われた。
2年生に進級する時に空気の良い地域に引越して、薬を捨てて、スポーツを
始めて、今では毎年ほぼ皆勤賞で、すっかり健康優良児になった。
それでもやっぱり運動は苦手で、運動会のかけっこは毎年ビリ争いしていて、
水泳の授業では2歳下の弟と同じ級、野球チームでは弟がレギュラーなのに
自分は補欠、先日参加したマラソン大会ではビリから3人目...という状態だが、
本人は、運動会も、水泳も、野球も、大好きで楽しんでいる。
勿論、友達に笑われることもあるし、バカにされることもあるし、凹むこともある。
でも反対に、出発点がとても低いので、上達の度合いがわかりやすくて、
努力した分だけ自分で手ごたえを感じられるし、周囲もその努力や上達を
認めてくれるので、やりがいがあるようだ。
そして何より、いつも見学しているだけだった運動を、みんなと一緒にやれる
こと、自分なりにチャレンジできることに、とても喜びを感じられるらしい。
将来はパティシエールになって、みんなが幸せな気持ちになれるお菓子を、毎日
作れる健康な自分になるために、楽しんで運動にチャレンジしているのだそうだ。
上手じゃなくても、他人より劣っていても、失敗しても、笑われても、凹んでも、
それは決して最悪なんかじゃない。
本当の最悪っていうのは、そのチャレンジさえも「できない」ことなんだと思う。
「やりたいこと」「好きなこと」「なりたいもの」のためにチャレンジできる今日がある
ことに、心から感謝して、どれだけ喜べるか・楽しめるか・夢中になれるか。
そんな我が子を誇りに思うし、いつも幸せを感じさせてもらっている。
つくづく、子育ては親を育ててくれるものだと思う。
誰でもみんな、「弱さ」と「怖れ」を抱えて生きている。
それを悟られないように。
それに負けないように。
それを乗り越えようとして。
でも、責められたり、わかってもらえなかったり、ないがしろにされたりすると、
心をえぐられるような気がして、もう堪えられなくなって、ずっと心の奥深くに
押し込み続けてきたモノが一気に噴出してしまう。
どうせ自分は見た目も悪いし、頭も良くないし、とりえもないし、腹黒いから、
本当の自分を見せたら、誰も必要としてくれなくなってしまう!
だから、いつもみんなに必要としてもらえるように、喜んでもらえるように、
嫌われないように、ずっと自分を演じて頑張ってきたのに!
なのに、みんな都合のいい時だけ友達面したり、優しい言葉をかけてくる
けど、実は影では笑っていて、結局いつか離れて行ってしまう!
やっぱり自分は誰にも必要とされていない!
誰にも信じてもらえない、わかってもらえない、誰も信じられない。。。!!
それでも、
本当はそんな自分を変えたくて、
本当は誰かのせいにしたくなくて、
本当は人を信じたくて、誰かとわかりあいたくて、
自分自身を信じてあげたくて、
自分自身を認めてあげたくて、
自分自身を幸せにしてあげたくて。。。また考え込む。
どうしたら自分らしく生きられるんだろうか。
どうしたら自分のことを好きになれるんだろうか。
どうしたら感謝を感じて生きていけるんだろうか。
どうしたら幸せになれるんだろうか。
どんな風に生きれば私も幸せになれるんだろうか。
自分を信じてあげたいんだよね?
自分を認めてあげたいんだよね?
自分を幸せにしてあげたいんだよね?
だけど、「できない」んだよね?
でも、本当に「できない」んだろうか?
本当は、「できる」か「できない」かの問題じゃなくて、
「やりたい」か「やりたくない」かの問題なのかもしれない。
もし、本当は「やりたい」んだったら、
「やりたいこと」「好きなこと」「大切なこと」「なりたいもの」なんだったら、
たとえ上手にできなくたって、
たとえ他人より下手だって、
今はとても困難な環境にいたって、
何度も失敗したって、何度も休んでしまったって、
今日という日があることに、明日という日が来ることに、心から感謝して、
楽しんでチャレンジしていいんだよね?
自分を信じていいんだよ。
自分を認めてあげていいんだよ。
自分を好きになっていいんだよ。
今世あなたが参加しているマラソン大会は、たとえ人より遅くたって、
コースを間違えてしまったって、あるいは何年もかかってしまったって、
いつかちゃんとゴールできたら、誰もが金メダルをもらえるレースなんだ。
あなたは、幸せになっていいんだよ。
あなたという存在が、誰かを幸せにしているんだよ。