高校1年生の頃の僕は、とにかく途方に暮れていた。
進学校だから、おそらくそれなりに良い大学へ行き、良い会社に就職し、
そして...資本主義社会の兵隊になっていく...何のために?誰のために?
小学生の頃から、毎日ちっとも楽しいと思えなかった。
心の底から笑えなかった。
幸せだって思えなかった。
学校でも家でも、自分を大切にしてもらえている実感を持てなかったから。
中学生になると、それは自分だけじゃないってことがわかってきた。
あいつも、こいつも、あの子も、この子も。
耐えている。必死で自分を維持している。
そもそも、夢や希望に満ちて生きているやつなんて、いないんじゃない?
そう感じてしまった瞬間から、
子供を抑圧してしまう家庭を作っている側の大人の一員になりたくなくて、
子供が閉塞感を感じてしまう社会を構成している一員になりたくなくて、
友人が心に闇を抱えて作り笑顔で生きているのを見て、何もできないくせに
何をしてあげればいいだろうか、何かできることはないだろうか、と悩むことや
無力感を感じることすら、いずれしなくなってしまう自分にはなりたくなくて、
じゃあ自分は一体どんな大人になりたいのか、
どんな道を生きたいのか、
自分はこのままでいいのか、社会はこのままでいいのか、
なんていうことすら、いずれ疑問に感じなくなってしまう自分になりたくなくて、
大好きだから結婚したはずなのに、愛し合って子供を生んだはずなのに、
誰よりも何よりも大切なはずの奥さんや子供を大切にしなくなっていってしまう
自分になんか、なりたくなくて、
完全に、どこへも次の一歩を踏み出せなくなってしまった時、
海外アーティストたちによるチャリティーのムーブメントが沸き起こった。
たった1人のチカラで、声をからして叫ぶのではなく、
集団を作ってシュプレヒコールによって戦いを挑むのではなく、
「想い」の「共感」によるムーブメントでマーケットを動かす。
ブームを超えた、新たな文化を創造する。
そう、この資本主義社会・物質社会に欠落していたものは、
「想い」であり、
「共感」であり、
「愛しみ」であり、
「信頼」であり、
「共生共助」であり、、、
すなわち
「本質」であり、
「次世代へつなげる新たな文化の創造」であったのだ、と確信した。
ならば、
次の時代の誰かにつなぐための、自分は「第三走者」になればいいんだ。
拍手喝さいを浴びるアンカーになれなくても、スターになれない自分でも、
そこまで行けば、
自分を遥かに凌駕するスーパースターが、バトンを受け取るために待っている
のだと信じて、このまま全力で第三コーナーに突っ込んでいいんだ!
と、自分にOKを出すことができた。
僕が走り始めた最初の日。
※今回は、いつも面白おかしく拝読させてもらっている洋楽BARマスターの投稿記事
を読んで、ふと思い返した学生時代のことを書き綴ってみました。
★音楽が地球を救っていた! 80年代【チャリティー・ソング】5選(洋楽)