金太郎アメは、どこまでいっても金太郎で、
途中で別の何かに変わったりなんかしない。
戦争の中を必死に生きてきた世代。
仕事ずくめで高度経済成長を必死に支えてきた世代。
今更その世代に対して、
もっと愛してほしかった、もっと大事にしてほしかった、もっと向き合ってほしかった、
もっと私の話を聞いてほしかった、、、と言ったところで、
時間は遡れないし、過去も変えられない。
今この国は、子供の頃に、充分に愛してもらえなかった大人たちで満ちている。
その大人たちに、充分に愛してもらえずにいる子供たちで満ちている。
脈々と、そういう金太郎アメが続いている。
それは、いつかどこかでハッキリと描きかえてしまわない限り、
これからもずっと、続いていく。
今の子供たちが大人になった時、
お父さん、お母さんに、「愛してくれてありがとう」と言えるように。
生まれてきた子供に、「生まれてきてくれてありがとう」と言えるように。
スタジアムで作る「人文字」のように、
1人1人の点は小さいけれど、座っている席もバラバラだけど、
同じ意図をもってそれぞれが自分の役割を果たすことで、大きなメッセージが
できあがり、その時、金太郎アメはハッキリと描きかえられる。
大切な人には、あなたがどれほど大切な存在なのかをはっきりと伝え、
愛する人には、あなたをどれほど心から愛しているかをはっきりと伝え、
彼らが、
自分の大切な人の大切なものを心から大切にして生きていけるよう、
誰からも愛されて、感謝と歓びと幸せに満ちた未来を生きていけるよう、
今、たしかに自分がここにいる今、全力で運命の1球を投げ込んでいく。