かつてマザー・テレサは、
最も悲しむべきことは、自分が「誰からも必要とされていない」と感じること
だと言っていた。
もしも、今そう感じている人がいるのなら、
あるいは、明日そう感じる瞬間があったなら...、
そんな自分もまた、誰かにとっての「その日の天使」として、
ささやかではあっても確実に、その誰かの役に立っているのだ、と
安心して、自分自身を認めてあげてほしい。
その日の天使(一部抜粋) 中島らも
死んでしまった ジム・モスリンの、なんの詞だったのかは
忘れてしまったのだが、そこにThe day’s divinity, the day’s angel”
という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくは こういう風に
受けとめている。「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別に かまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分に おちている時には、この天使が一日に一人だけ
さしつかわされていることに、よく気づく。
こんな事がないだろうか。暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと
考えている時に、とんでもない友人から電話が かかってくる。
あるいは、ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。
それは その日の天使なのである。
夜更けの 人気が失せたビル街を、その日、僕は ほとんど よろけるように
歩いていた。体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。
家の中も もめている。
それでいて 明日までに テレビのコントを、十本書かなければならない。
腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきた。
「♪おっいも〜っ、 おっいもっ、ふっかふっか おっいもっ、 まつやのおっいもっ♪
買ってちょうだい、 食べてちょうだい、あなたが選んだ憩いのパートナー
まつやの イモッ♪」
道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。