December 10, 2006

言葉にできない

世の中には、病気や事故などで、幼いうちに命尽きてしまう例がある。

時間には限りがあるのだ。
彼らは、ほんの短い月日の中で、どれだけの幸せを感じたであろうか。

どんなに短い月日でも、どんなに儚い命でも、
「生まれてきた意味が無かった」なんていうことはない。


         ・・・命とは、それほどまでに尊いものであると思う。

では、自分が生まれてきたことには何の意味があるのだろうか?

何かしらの苦しみや辛い経験があったとしても、少なくとも彼らよりも
はるかに長い時間を与えられ、はるかに自由を与えられている我々が、
生まれてきたことに、生きていることに、何の意味も無い訳がない。

短い命を全うした彼らに対して、その事実と真正面から向き合った家族
に対して、目を見て「私が生まれたことに意味などあるのでしょうか?」
と言える人間などいるはずがない。

意味があるとか無いとか悩むのは、真正面から向き合っていない証拠だ。

  ◎自分は、本当はどんな風に生きていきたいのだろうか。
   (夢、理想、あこがれ、生きがい、幸せ)
   ・・・その答えと出会うまでが最初のステージ。

  ◎その生き方を通じて、自分は誰のために何をしたいのだろうか。
   (どんな感謝を誰にペイフォワードしたいのか)
   ・・・それを明確にすることが次のステージ。

  ◎違う生き方だってあるのに、どうして他の生き方じゃダメなのか。
   (メッセンジャーとしてのコミットメント)
   ・・・その決意によって本物の一歩を出すことが最後のステージ。

どのステージも向かい風だ。
顔を伏せてうずくまりたくなる時もあるだろう。

でも、ゴールさえ見失わなければ、自分の中に確固たる方位磁石を持ちさえ
すれば、どんなに歩みは遅くても、歩幅が短くても、前に進み続ける限り
いつか必ずゴールにたどり着く。

気付くこと。 感謝すること。 だからこそ貢献すること。

人はメッセンジャーとして強く生きた時、たとえ自分に影響を受ける人間が
ほんの一握りであったとしても、その時そこに、自分が生きた証が刻まれる。

そして、そこからまたペイフォワードされていく。


事業とは、「法人」か「みなし法人」かは別として、屋号を持った時から
そこに人としての命が宿る。

たとえ年商1万円の事業でも、どんなに小さな商いでも、そこに命がある。
命がないのであれば、それは事業ではなくて趣味だ。

自分の命に意味があるように、自分の家族や大切な人の命にも意味がある。
そして、自分の事業にも意味がある。 意味があるから命なのだ。


     あなたの事業には、どんな意味があるのだろうか?

     あなたの事業は、どんな命を宿しているのだろうか?


即答できないような事業なら、それがたとえどんな規模で展開されていようと
その事業に命は宿っていない。 だから、どこにも行き着くことはできない。



事業にも、家族にも、自分自身にも、そこに命があることにいつも感謝したい。