March 20, 2007

次の時代へ

小学校2年生の頃の話。

当時住んでいた家の庭には大きな池があって、毎年、8月の終わりになると
僕は友達と一緒に、池の底に罠を仕掛けてヤゴ(トンボの幼虫)を捕まえた。

ヤゴを水槽に入れて、その水槽の中に木の枝を立て掛けておくと、毎日1匹
ずつ木の枝を登って孵化して、オニヤンマ(とても大きなトンボ)になる。

しかも、その行為は決まって深夜に行なわれ、僕が目を覚まして起きてくる
頃には、すっかり羽根も乾いた立派な姿へと変身していて、生まれ変わった
ばかりの体や羽根がキラキラと輝いていている。

その美しさと生命の神秘に魅せられて、毎夏、それをやっていた。


この年は7匹のヤゴを捕まえた。

翌朝以降、水槽からは毎日1匹ずつ孵化したオニヤンマが飛び立っていった
のだが、6匹目は孵化する途中で死んでしまった。

それがとても悲しくて、「死」を意識した分、最後の1匹には強く「生」を願い、
とても深い思い入れを持って1日中ずっと水槽の前で過ごした。


次の朝・・・2学期の始業式。
いつもより早く目が覚めた僕は、水槽の中で、まさに彼が孵化する「瞬間」を
目の当たりにした。

ヤゴの背中が割れ、そこから成虫が濡れた体を半分出している姿。
1時間くらいかけて体全体を現し、さらに1時間くらいかけて羽根を伸ばして
乾かし終えると、あのキラキラとした美しい輝きを放ち始めた。

僕は、最後の1匹をそのまま放ってお別れするのが切なくて・・・
尻尾にある黄色い縞模様の部分を、赤いマジックで塗って目印をつけた。
そうしたら、庭で見かけた時に「あのトンボだ」って、わかるかな、って。

でも、思惑通りにはいかなかった。
空に放ったオニヤンマは、庭には留まってくれなくて、空中をぐるぐる回ったら
そのままどこか遠くへ飛んで行ってしまった。


それから数日後、学校の遠足で代々木公園(電車で2駅のところ)へ行った。

2年生は、「木」を写生することが目的だ。 どの木を描こうかと、公園内を
歩いていると、数匹のオニヤンマが飛んでいるのを見つけた。

あのトンボも、どこかでこうして元気に生きているのかな?
そう思いながらオニヤンマの群れを眺めていると、その中の1匹が僕の方へと
飛んできて、目の前の葉にとまった。

あのトンボと、こんな風にまた会うことができたら・・・
そう思った瞬間、僕はそのトンボの尻尾の色に気付いた。 尻尾の縞が赤い。

このトンボこそ、まさに僕が育てたあのトンボだったのだ。

2年生の僕には、その時、自分の心に込み上げてきたものが何なのかは、まだ
理解できなかったけれど、ただ涙が溢れて、ずっと彼と見つめ合っていた。


夏の日差しと穏やかな風の中、
やがて彼は飛び立ち、僕のまわりを2回まわってから遠くへ飛んで行った。




今、教育改革が叫ばれ、学校教育が見直されようとしている。
学習プログラムはもちろんだが、子供たちには、こういう体験をさせてあげたい。

自然に触れさせたい。 命の尊さを教えたい。 感動体験をさせたい。
心を与えることの大切さを体感させたい。

数年前、ハリウッド映画「ラストサムライ」で、俳優の渡辺謙さんがアカデミー賞
にノミネートされるなどする中、日本の「武士道」なるものが注目を集めたりした
が、あの映画では、たくさんの日本人エキストラがサムライとして出演している。
そこで、彼らはアメリカ人から殺陣(たて=日本刀の使い方)を教わり、本質を
理解するために、アメリカ人から「武士道」と「ワビサビ」を教わった。

根本的なところで、何か間違っていないだろうか。


遠い昔からそこにあったもの、大切なもの。
時代が変わっても、素晴らしいもの、大切なものは、受け継がせてあげたい。
そして、それを大切なものとして受け止められる心を養ってあげたい。


だからこそ、大人である我々は、「何が本当に大切なのか」を決して見失うことが
ないように生きて、見せていく必要があると思う。