September 21, 2007

プラスの価値を与える

全てのモノは、使い方次第で全く違う価値を発揮します。


  息は、手を温めることもできるし、物を冷ますこともできる。

  音楽は、心地よい演出もできるし、不快感を与え迷惑にもなる。

  包丁は、愛情を込めた料理も作れるし、人を殺すこともできる。

  車は、楽しいドライブもできるし、人の命を奪うこともできる。

  言葉は、人を励ますこともできるし、闇へ突き落とすこともできる。


では、

  消し去れない自分の過去のトラウマは?

  理不尽な出来事や許せない人の存在は?

  悔やんでも悔やみきれない後悔の念は?

  どうしても好きになれない自分自身は?


不充分な「今」という座標においては、重くつらいモノでしかなくても、
「どこへ向かって生きていくか」という“時間軸の先”に目を向けた時、
それらのモノは、違う使い方ができないでしょうか。


1年後、あるいは3年後。
「それらがあったからこそ、今の自分がある」と言い切れるように、
ちょっと違う使い方をして、それらに別の価値を与えてみてはどうしょう。


顔を上げて、目に映るもの、映らないもの、全ての物事に
自分にとってプラスの価値を見出し、大きな感謝の中で生きていく

そんな風にできたら、良くありませんか?

少なくとも私は、そうしていきたいと思う。
そして、私の大切な人達にも、そうしてほしいと思う。
それが、限りある時間の中で、私が伝えていきたいメッセージ



  本当は、どんな生き方をしたかったのですか?

  どこに向かって、何を大切にして生きていきたいのですか?