December 15, 2007
本当に望むものに向かって
「成功するための努力」と「失敗しないための努力」は違う。
似ているけれど、実は根幹になっている部分が全く違う。
失敗しないための努力は、スタートが「自分へのダメ出し」。
考えただけで、ため息が出てくる。
失敗したくない気持が自分を萎縮させ、顔をこわばらせる。
どんなに頑張っても、得られる成果のMAXは平均点。
実際は80%位しか達成できないから、結局は平均点以下。
そして、ダメダメな自分にまた、ため息が出る。
そして、そんな自分に憤り、また自分を嫌いになっていく。
成功するための努力は、スタートが「自己実現への期待」。
考えただけでワクワクしてくる。
成功を想像することで心が解放され、自然に笑顔が出る。
めざす成果は200点・・・300点・・・MAXは自分次第。
80%さえ達成しなくても、大きな前進を得ることができる。
そして、自信と自己成長と共に、次の段階へと向かう。
そして、ほんのちょっぴり自分を好きになる。
この違いは、積み重ねるごとに大きな差となっていく。
つまり、
スタートの時点から、向かっている方向はまるで違うのだ。
そもそも、
どうしてそんなに萎縮する必要があるのだろう?
どうしてそんなに失敗を怖れる必要があるのだろう?
もし失敗したら、もしダメだったら、全てやめてしまうのか。
その失敗を誰かに責められたら、それでやめてしまうのか。
やめてしまえるような、諦めてしまえる程度のものなのか。
発明王エジソンの言葉「失敗は成功の母である」は、世間でも
よく知られているところだが、この言葉には続きがある。
・・・失敗は成功の母である。
なぜならば、これではダメだ、ということがわかったのだから、
また一歩成功に近づいたのである。・・・
もし仮に全然ダメで、木っ端微塵に吹き飛ばされたとしても、
泣きながら、叫びながら、結局また立ち上がっていくことが
決まっているのなら、本当に怖れるものなんて何もない。
なぜ、そんなにまでしてやりたいのか。
それは、それが「苦しみ」ではないから。
その先にあるものが、心から望む「歓び」だから、ですよね?
それならば、それほど大好きな、かけがえのないものに出会えた
ことに感謝して、向き合えている今に歓びを感じて、のびのびと、
心の赴くままに、本当に望むものの実現に向かってチャレンジ
すればいい。
このことは決してビジネスについてだけでなく、生きていく上での
あらゆる物事に通じている。
例えば育児で「子供を叱らないように頑張る」のか、それとも
「心からの愛情をたっぷり注ぐことを頑張る」のか。
例えば夫婦で「言い争いにならないように頑張る」のか、それとも
言い合いになってでもお互いをさらけ出し「本当にお互いを知って
心を1つにしていく」のか。
我慢・限界に向かっていくのか、本当に望むものの実現に向かって
いくのか。 全ては自分次第。
今は「全然ダメ」でいいじゃないか。
そんな自分が、成長しながら何かを成してしまうことに、何かを
成してしまうほど成長していくことに、ワクワクしながら、
「成功するための努力」を楽しんでほしいと思います。
似ているけれど、実は根幹になっている部分が全く違う。
失敗しないための努力は、スタートが「自分へのダメ出し」。
考えただけで、ため息が出てくる。
失敗したくない気持が自分を萎縮させ、顔をこわばらせる。
どんなに頑張っても、得られる成果のMAXは平均点。
実際は80%位しか達成できないから、結局は平均点以下。
そして、ダメダメな自分にまた、ため息が出る。
そして、そんな自分に憤り、また自分を嫌いになっていく。
成功するための努力は、スタートが「自己実現への期待」。
考えただけでワクワクしてくる。
成功を想像することで心が解放され、自然に笑顔が出る。
めざす成果は200点・・・300点・・・MAXは自分次第。
80%さえ達成しなくても、大きな前進を得ることができる。
そして、自信と自己成長と共に、次の段階へと向かう。
そして、ほんのちょっぴり自分を好きになる。
この違いは、積み重ねるごとに大きな差となっていく。
つまり、
スタートの時点から、向かっている方向はまるで違うのだ。
そもそも、
どうしてそんなに萎縮する必要があるのだろう?
どうしてそんなに失敗を怖れる必要があるのだろう?
もし失敗したら、もしダメだったら、全てやめてしまうのか。
その失敗を誰かに責められたら、それでやめてしまうのか。
やめてしまえるような、諦めてしまえる程度のものなのか。
発明王エジソンの言葉「失敗は成功の母である」は、世間でも
よく知られているところだが、この言葉には続きがある。
・・・失敗は成功の母である。
なぜならば、これではダメだ、ということがわかったのだから、
また一歩成功に近づいたのである。・・・
もし仮に全然ダメで、木っ端微塵に吹き飛ばされたとしても、
泣きながら、叫びながら、結局また立ち上がっていくことが
決まっているのなら、本当に怖れるものなんて何もない。
なぜ、そんなにまでしてやりたいのか。
それは、それが「苦しみ」ではないから。
その先にあるものが、心から望む「歓び」だから、ですよね?
それならば、それほど大好きな、かけがえのないものに出会えた
ことに感謝して、向き合えている今に歓びを感じて、のびのびと、
心の赴くままに、本当に望むものの実現に向かってチャレンジ
すればいい。
このことは決してビジネスについてだけでなく、生きていく上での
あらゆる物事に通じている。
例えば育児で「子供を叱らないように頑張る」のか、それとも
「心からの愛情をたっぷり注ぐことを頑張る」のか。
例えば夫婦で「言い争いにならないように頑張る」のか、それとも
言い合いになってでもお互いをさらけ出し「本当にお互いを知って
心を1つにしていく」のか。
我慢・限界に向かっていくのか、本当に望むものの実現に向かって
いくのか。 全ては自分次第。
今は「全然ダメ」でいいじゃないか。
そんな自分が、成長しながら何かを成してしまうことに、何かを
成してしまうほど成長していくことに、ワクワクしながら、
「成功するための努力」を楽しんでほしいと思います。
Posted by exceedblog at 11:51│めざすべきもの