August 20, 2008

夢を与える/愛を与える

“お金を与える”とは
 お金の無い人に対して自分が融通してお金を譲渡すること。

“食料を与える”とは
 食料の無い人に対して自分が融通して食料を分配すること。

“チャンスを与える”とは
 機会の無い人に対して自分が融通して機会を提供すること。


では、“夢を与える”とは?


“夢を与える”は、実際には「夢」を与えることではなくて、
「感動」と「感銘」を与えること。

そして人の内側から、「勇気」や「希望」や「前向きな気持ち」
を芽生えさせることで、その結果、本人が自ら夢や憧れを持ち、
それを追いかけていくように、影響を与えて働きかけること。


では、“愛を与える”とは?


親は我が子に、「愛」と「夢」と「環境」を与えなければならない。
大人は次の世代に、愛と夢と環境を手渡していかなければならない。
そうした文化を創り育み、託していかなければならない。

経営とは、事業とは、
それをどの側面から行なうことを生業とするか」の一言に尽きる。
(もしそこに漏れるのであれば、それはただの卑しい金儲けなのだ)

子供に、社会に、充分に与えているだろうか。
物質的には恵まれていても、心を飢えさせてはいないだろうか。
昨日の自分は、家族に、社会に、何をどれだけ与えたのだろうか。


「痛みを知らない人は、他人の痛みをわかってあげられない」と言う。


「愛」について、「夢」について、
どれくらい知っていて、どれくらい語ることができるのだろう?
それらが充分なら、日々「感謝」の中に生きているはずだ。

もし、それらが不充分なら、
どうして人に「愛」や「夢」を与えていくことができようか。

今、“夢を持てない子”や“愛に飢えた子”が激増している、と聞く。
それはとりもなおさず、本当の愛や夢を知らない大人が増えている
ことを意味している。


いつかどこかで、この環境を、この文化を変えなくっちゃいけない。
誰かがどこかで、動き始めなくっちゃいけない。


今、夢に向かっている人、達成した人、生きがいを探している人・・・。
もし、生まれてくる国が違ったら、生まれてくる時代が違ったら、
生んでくれた親が違ったら・・・そんな生き方は許されなかったはずだ。

今ここに、その自分が存在していること。

そこに感謝できたなら、ペイフォワードしよう。
子供に、社会に、「愛」と「夢」と「環境」を与えよう。
そのために、自分が本当の愛や夢を知り、そして、与えよう。


世の中を変えることなんて、実は大したことじゃない。
どんなに小さな灯りでも、灯ってしまえば、もうそこは暗闇じゃない。
ほんのわずかな数値の変化で、全てを変えることができる。