June 04, 2009
Love & Peace
「愛」と「平和」。
小学校に男が侵入して、児童を殺傷した事件がありました。
あまりの惨さに、その殺し方は報道されませんでしたが、
事件を目撃した児童たちは今もPTSDに苦しんでいます。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の子どもが通う学校にそんな男が侵入しようとして
いたら、私はどんな手を使ってでもそれを阻止するでしょう。
土浦市の連続無差別殺傷事件の犯人は、逮捕後、弁護人から
「被害者の恐怖感や遺族の悲しみを感じないか」と尋ねられ、
「ライオンはシマウマを殺すとき、そういうことを感じる
でしょうか」と答えたそうです。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の妻や妹のいる場所にそんな男が突入して行ったら、
私はどんな手を使ってでもそれを阻止するでしょう。
戦争にも武装(自衛隊)にも反対ですが、それでもそうした
危機的あるいはその疑いがある状況において、話し合う余地
さえないのなら、大切な人を守るために、命がけで実力行使
をするでしょう。 何かされても仕方ないとは思えません。
だから、平和主義と非武装には賛同できません。
ヤクザ風の男が電車内で連続レイプ事件を起こしました。
女性が連れて行かれるのを見て見ぬ振りした乗客も多数存在
しています。 その姿は女性の目にどう映ったでしょうか。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の愛するものが連れて行かれようとしていたなら、
命がけで実力行使をするでしょう。 他の誰かが何とかして
くれることに依存することはできません。
小さな平和も、大きな平和も、これと同じことだと思います。
そういうリアルを抜きにした理想論は、机上論でしかない。
だから、戦争にも武装(自衛隊)にも反対ですが、理想論者
が唱えている平和主義と非武装には賛同できません。
平和について、自衛隊問題について、憲法9条問題について、
日本の歴史観・戦争観について、反戦について、死刑制度に
ついて、これまで様々な意見・主張を耳にしてきましたが、
いまだ理想論者の言葉でリアルにフィットするものがありま
せん。 そして同時に、肯定論者の言葉で心にフィットする
ものもありません。 歴史教育についても同様です。
また、愛するものを自分自身が守ることができるのは、ごく
短い期間のわずかなタイミングに過ぎません。
それでも、愛するものには生涯、平和の中で愛と喜びと幸せ
に満たされて生きてほしいと願っています。 そういう世界
にしたい、そういう時代にしたい、と願っています。
愛と平和こそが最も尊いのだと、堂々と教科書に書いてあり、
そのように心が育まれていく世の中であってほしいです。
子どもたちがその姿勢を大人から学び、感謝と尊敬の念を持
ってそれを受け継ぎ、また手渡していく・・・そういう世の中に
なってほしいと心から願うばかりです。
武装とは、必ずしもそれが兵器である必要はありません。
平和とは、圧力と牽制で成すならそれは本質ではありません。
愛とは、相手の主張を無条件で受け入れることではありません。
本気で愛と平和を語るなら、どんなミサイルにも屈しない心
で、all or nothing じゃなくて、リアルなプロセスを作って
いかなくてはなりません。
ジョン・レノンが歌ったimagineは、薄っぺらな平和主義じゃ
なくて、リアルな現実を踏まえた上での“覚悟”があっての
Love & Peaceなのだと思います。
生前、マザー・テレサはこのような質問を受けました。
「あなたのような影響力のある人が反戦活動に参加したなら、
多くの人が“戦争反対”と声をあげるのに、なぜ、あなたは
“戦争反対”と声をあげないのですか?」
マザー・テレサは、こう答えたそうです。
「私は反戦活動には参加しません。でも、平和賛成という活動
なら、喜んで参加いたします。いつでも声をかけて下さい」
小学校に男が侵入して、児童を殺傷した事件がありました。
あまりの惨さに、その殺し方は報道されませんでしたが、
事件を目撃した児童たちは今もPTSDに苦しんでいます。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の子どもが通う学校にそんな男が侵入しようとして
いたら、私はどんな手を使ってでもそれを阻止するでしょう。
土浦市の連続無差別殺傷事件の犯人は、逮捕後、弁護人から
「被害者の恐怖感や遺族の悲しみを感じないか」と尋ねられ、
「ライオンはシマウマを殺すとき、そういうことを感じる
でしょうか」と答えたそうです。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の妻や妹のいる場所にそんな男が突入して行ったら、
私はどんな手を使ってでもそれを阻止するでしょう。
戦争にも武装(自衛隊)にも反対ですが、それでもそうした
危機的あるいはその疑いがある状況において、話し合う余地
さえないのなら、大切な人を守るために、命がけで実力行使
をするでしょう。 何かされても仕方ないとは思えません。
だから、平和主義と非武装には賛同できません。
ヤクザ風の男が電車内で連続レイプ事件を起こしました。
女性が連れて行かれるのを見て見ぬ振りした乗客も多数存在
しています。 その姿は女性の目にどう映ったでしょうか。
彼のような人間がいない世の中であることが理想です。
でも、現実に存在したわけで・・・
もし自分の愛するものが連れて行かれようとしていたなら、
命がけで実力行使をするでしょう。 他の誰かが何とかして
くれることに依存することはできません。
小さな平和も、大きな平和も、これと同じことだと思います。
そういうリアルを抜きにした理想論は、机上論でしかない。
だから、戦争にも武装(自衛隊)にも反対ですが、理想論者
が唱えている平和主義と非武装には賛同できません。
平和について、自衛隊問題について、憲法9条問題について、
日本の歴史観・戦争観について、反戦について、死刑制度に
ついて、これまで様々な意見・主張を耳にしてきましたが、
いまだ理想論者の言葉でリアルにフィットするものがありま
せん。 そして同時に、肯定論者の言葉で心にフィットする
ものもありません。 歴史教育についても同様です。
また、愛するものを自分自身が守ることができるのは、ごく
短い期間のわずかなタイミングに過ぎません。
それでも、愛するものには生涯、平和の中で愛と喜びと幸せ
に満たされて生きてほしいと願っています。 そういう世界
にしたい、そういう時代にしたい、と願っています。
愛と平和こそが最も尊いのだと、堂々と教科書に書いてあり、
そのように心が育まれていく世の中であってほしいです。
子どもたちがその姿勢を大人から学び、感謝と尊敬の念を持
ってそれを受け継ぎ、また手渡していく・・・そういう世の中に
なってほしいと心から願うばかりです。
武装とは、必ずしもそれが兵器である必要はありません。
平和とは、圧力と牽制で成すならそれは本質ではありません。
愛とは、相手の主張を無条件で受け入れることではありません。
本気で愛と平和を語るなら、どんなミサイルにも屈しない心
で、all or nothing じゃなくて、リアルなプロセスを作って
いかなくてはなりません。
ジョン・レノンが歌ったimagineは、薄っぺらな平和主義じゃ
なくて、リアルな現実を踏まえた上での“覚悟”があっての
Love & Peaceなのだと思います。
生前、マザー・テレサはこのような質問を受けました。
「あなたのような影響力のある人が反戦活動に参加したなら、
多くの人が“戦争反対”と声をあげるのに、なぜ、あなたは
“戦争反対”と声をあげないのですか?」
マザー・テレサは、こう答えたそうです。
「私は反戦活動には参加しません。でも、平和賛成という活動
なら、喜んで参加いたします。いつでも声をかけて下さい」
Posted by exceedblog at 09:59│めざすべきもの