September 20, 2009
虹をかける
17年前、ある成功者に言われた。
「人は最後まで名誉欲を捨てられない。それ程までに認められたい。
いずれそのことに気付くから覚えておきなさい」
地位や名誉に対する欲はないし、他人から認めてもらうことや名前が
売れることなど求めていなかったので、その時は腑に落ちなかった。
でも、それから2年経って気付いた。
地位や名誉や規模じゃない、本当の成功、成功の本質。
ビジネスマンとしてだけじゃない、人として、家族としての成功。
それを自分も手に入れること、手に入れたい誰かに手を差しのべること。
それを次の時代へとリレーションしていくこと。
そしてそれこそが、今を生きる我々がめざすべきものであるということ。
・・・それを世間に認めさせたい。
・・・そんな生き方を認められたい。
という気持ちが、ずっと奥深いところに、確かにあった。
実は、名誉を否定する生き方という“名誉”を欲していた。
純粋に「やりたい」からやっている“だけ”ではなかった。
気付けたことは、自分にとって大きなショックでもあったが、しかし
ある意味でパラダイムシフトできた。
人は誰もが「認められたがっている」・・・この前提に従うと、目の前に
いる相手の心の底が見えてくる。 目の前にいなくても見えてくる。
なぜそういう思考回路・行動パターンなのかが見えてくる。
本当は、誰に、何を認められたいのか。
なぜ、それ程までに認められたいのか。
一昨日、ある方から「認められたい」について興味深い話を伺った。
「認められたい」は、恐れ・不安に由来する。
「本当は何を恐れているのか」を見つけて、消す。
“心の底”にある“恐れ”を消す。
自己啓発に取り組んでいるような人の多くが、自分がどうあるべきか、
どう生きるべきか、という理想と現実の狭間の中で、1人で抱え込んで
しまったり、あるいは、溜め込まないように日々、不安を言葉に出して
手放そうとしたりする傾向には、いつも微妙な違和感を感じ続けていた
のだが、その違和感の理由が少しわかった気がする。
目の前に起きている現象は、自分の内面のパラドックス。
表面的な解決を図ろうとせず、自分の中の問題こそを解決すること。
・・・それを知識として知っている人ほど、
抱え込んだり手放そうとすることで、それはまだ内世界のごく表面的な
部分であるにも関わらず、そこで「本質的な問題解決」をしている
(できている)気になっている。 そこだ。
抱え込んでしまったり、手放そうとすることで、
その生き方の先に、誰に何を認められたい(たかった)自分がいるのか。
大事なのは、その「認められたい」を目をそらさずに認めることだ。
そして、その奥底の「本当の恐れ・不安」と向き合って消すことなんだ。
子どもの頃に誓った日から、心からの笑顔を作れない(状況にいる)子
たちの、心に灯りをともしたいと思い続けてきたが、灯りをともすとは、
自分で自分を認めてあげられる(自己肯定感)こと、そして、顔を上げて
未来に夢を馳せて生きていけること。
彼らの心の中に、
「人は最後まで名誉欲を捨てられない。それ程までに認められたい。
いずれそのことに気付くから覚えておきなさい」
地位や名誉に対する欲はないし、他人から認めてもらうことや名前が
売れることなど求めていなかったので、その時は腑に落ちなかった。
でも、それから2年経って気付いた。
地位や名誉や規模じゃない、本当の成功、成功の本質。
ビジネスマンとしてだけじゃない、人として、家族としての成功。
それを自分も手に入れること、手に入れたい誰かに手を差しのべること。
それを次の時代へとリレーションしていくこと。
そしてそれこそが、今を生きる我々がめざすべきものであるということ。
・・・それを世間に認めさせたい。
・・・そんな生き方を認められたい。
という気持ちが、ずっと奥深いところに、確かにあった。
実は、名誉を否定する生き方という“名誉”を欲していた。
純粋に「やりたい」からやっている“だけ”ではなかった。
気付けたことは、自分にとって大きなショックでもあったが、しかし
ある意味でパラダイムシフトできた。
人は誰もが「認められたがっている」・・・この前提に従うと、目の前に
いる相手の心の底が見えてくる。 目の前にいなくても見えてくる。
なぜそういう思考回路・行動パターンなのかが見えてくる。
本当は、誰に、何を認められたいのか。
なぜ、それ程までに認められたいのか。
一昨日、ある方から「認められたい」について興味深い話を伺った。
「認められたい」は、恐れ・不安に由来する。
「本当は何を恐れているのか」を見つけて、消す。
“心の底”にある“恐れ”を消す。
自己啓発に取り組んでいるような人の多くが、自分がどうあるべきか、
どう生きるべきか、という理想と現実の狭間の中で、1人で抱え込んで
しまったり、あるいは、溜め込まないように日々、不安を言葉に出して
手放そうとしたりする傾向には、いつも微妙な違和感を感じ続けていた
のだが、その違和感の理由が少しわかった気がする。
目の前に起きている現象は、自分の内面のパラドックス。
表面的な解決を図ろうとせず、自分の中の問題こそを解決すること。
・・・それを知識として知っている人ほど、
抱え込んだり手放そうとすることで、それはまだ内世界のごく表面的な
部分であるにも関わらず、そこで「本質的な問題解決」をしている
(できている)気になっている。 そこだ。
抱え込んでしまったり、手放そうとすることで、
その生き方の先に、誰に何を認められたい(たかった)自分がいるのか。
大事なのは、その「認められたい」を目をそらさずに認めることだ。
そして、その奥底の「本当の恐れ・不安」と向き合って消すことなんだ。
子どもの頃に誓った日から、心からの笑顔を作れない(状況にいる)子
たちの、心に灯りをともしたいと思い続けてきたが、灯りをともすとは、
自分で自分を認めてあげられる(自己肯定感)こと、そして、顔を上げて
未来に夢を馳せて生きていけること。
彼らの心の中に、
Posted by exceedblog at 09:09│私からあなたへ