September 10, 2011
自分の幸せをあきらめない
それは本当にあるのだろうか。
この道の先にあることを信じる限り、それは決して無くならない。
いつか本当につかめるのだろうか。
追い求めることをあきらめなければ、きっといつか辿り着ける。
どうすればそこへ行けるのだろうか。
そこへ行くんじゃなくて、必ずそこへ行ける自分になること。
誰かのために、何かのためにと、いつも心美しい人であろうとする
その壮大なエゴをエゴとして認め、静かに心の湖底に沈めた時、
一遍の濁りもなくなった無垢という透明な水の中に、正直な自分の
「想いの源泉」を見出すことができる。
どんなにささやかでも、どんなに我侭でも、生身の人間としての
本当に求める「歓び」と「幸せ」が、そこにある。
あなたの目の前にいる大切な人が「幸せ」を感じられずにいる時、
あなたは幸せを生きることができるだろうか?
同じように、
あなたの目の前にいる大切な人にとって、あなたが「幸せ」を
感じられずにいるのなら、大切な人も幸せを生きられないんだよ。
だから、
あなたを大切に思う人から、
大切な人の幸せを応援する「歓び」を奪い続けるのは、もうやめて。
あなたが後ろ手に隠しているあなたの不恰好な「幸せ」の姿こそが、
大切な人の「歓び」そのものなのだから。
自分の幸せをあきらめない。
大丈夫。 最初から自分の真ん中に、それは存在しているんだ。
だから、きっと変われる。
君は幸せになっていいんだよ。
この道の先にあることを信じる限り、それは決して無くならない。
いつか本当につかめるのだろうか。
追い求めることをあきらめなければ、きっといつか辿り着ける。
どうすればそこへ行けるのだろうか。
そこへ行くんじゃなくて、必ずそこへ行ける自分になること。
誰かのために、何かのためにと、いつも心美しい人であろうとする
その壮大なエゴをエゴとして認め、静かに心の湖底に沈めた時、
一遍の濁りもなくなった無垢という透明な水の中に、正直な自分の
「想いの源泉」を見出すことができる。
どんなにささやかでも、どんなに我侭でも、生身の人間としての
本当に求める「歓び」と「幸せ」が、そこにある。
あなたの目の前にいる大切な人が「幸せ」を感じられずにいる時、
あなたは幸せを生きることができるだろうか?
同じように、
あなたの目の前にいる大切な人にとって、あなたが「幸せ」を
感じられずにいるのなら、大切な人も幸せを生きられないんだよ。
だから、
あなたを大切に思う人から、
大切な人の幸せを応援する「歓び」を奪い続けるのは、もうやめて。
あなたが後ろ手に隠しているあなたの不恰好な「幸せ」の姿こそが、
大切な人の「歓び」そのものなのだから。
自分の幸せをあきらめない。
大丈夫。 最初から自分の真ん中に、それは存在しているんだ。
だから、きっと変われる。
君は幸せになっていいんだよ。
Posted by exceedblog at 02:03│私からあなたへ