March 21, 2012
今どこにいるのか
卒業・進級シーズンで、今年もいくつかの学校の校長先生をはじめ、
学級担任の先生やPTAのお母さんから、ご挨拶や学級通信などに
このブログの記事を引用させてほしい、というお話をいただきました。
転用転載につきましては、よろこんで承諾させていただきますので、
左メニューのリンク「ご感想をお寄せください」からお申し出ください。
小学生の頃から高校生の頃、進級やクラス替えの度に、いつも
「大好きなあの子と同じクラスになれますように」とお祈りをしていた
ことを思い出します。
他にも祈るべきことがあったのでしょうが、祈ったのはそればかり。
「大好きな子と毎日会えること」、「毎日は会えなくなること」の違いは
天地ほどの違いがあるように思えたものです。
大人になって、人はいつの間にか、
「そこに当たり前のように今日も大切な人がいてくれる奇跡」に感謝
することを忘れ、そのことに甘え、大切なパートナーや子ども達に
対して、ココロで寄り添うことを忘れていってしまいます。
「ココロここにあらず」
特に子ども達の小さな世界では、カタチとして話は聞いてくれても、
両親がココロで寄り添ってくれているか否かは、心の痛みとなり、
傷跡として残っていきますし、もちろん、大人だって同様です。
そこにいないココロは、どこにいるのでしょうか。
そこよりも大切な場所、そこよりも大切な人などあるはずもない。
そのことだけは、一時たりとも忘れてはいけないはずです。
大切なものを本当に大切にすること。
立派なことなど出来なくていいから、足りないことや苦手なことばかりで
構わないから、他人と比べて劣っていることばかりの自分でもいいから、
一番大切なことだけは守り通していきたいものです。
大切な人に、いつでもココロで寄り添っていること。
昔、ある学者さんから、こんな話を聞きました。
世界中には数え切れないほどの言語が存在していますが、不思議な
ことに、全ての言語で、「心は胸の内側にある」を示す言葉があるのだ
そうです。
たとえば日本語なら、「自分の胸に聞いてみな」などと言いますよね。
そしてもう1つ共通しているのは、カチンとくるのは「頭」なのだそうです。
子どもも、大人も、自分自身も、
いつでもそこに、あなたのココロに寄り添っていてほしいのです。
学級担任の先生やPTAのお母さんから、ご挨拶や学級通信などに
このブログの記事を引用させてほしい、というお話をいただきました。
転用転載につきましては、よろこんで承諾させていただきますので、
左メニューのリンク「ご感想をお寄せください」からお申し出ください。
小学生の頃から高校生の頃、進級やクラス替えの度に、いつも
「大好きなあの子と同じクラスになれますように」とお祈りをしていた
ことを思い出します。
他にも祈るべきことがあったのでしょうが、祈ったのはそればかり。
「大好きな子と毎日会えること」、「毎日は会えなくなること」の違いは
天地ほどの違いがあるように思えたものです。
大人になって、人はいつの間にか、
「そこに当たり前のように今日も大切な人がいてくれる奇跡」に感謝
することを忘れ、そのことに甘え、大切なパートナーや子ども達に
対して、ココロで寄り添うことを忘れていってしまいます。
「ココロここにあらず」
特に子ども達の小さな世界では、カタチとして話は聞いてくれても、
両親がココロで寄り添ってくれているか否かは、心の痛みとなり、
傷跡として残っていきますし、もちろん、大人だって同様です。
そこにいないココロは、どこにいるのでしょうか。
そこよりも大切な場所、そこよりも大切な人などあるはずもない。
そのことだけは、一時たりとも忘れてはいけないはずです。
大切なものを本当に大切にすること。
立派なことなど出来なくていいから、足りないことや苦手なことばかりで
構わないから、他人と比べて劣っていることばかりの自分でもいいから、
一番大切なことだけは守り通していきたいものです。
大切な人に、いつでもココロで寄り添っていること。
昔、ある学者さんから、こんな話を聞きました。
世界中には数え切れないほどの言語が存在していますが、不思議な
ことに、全ての言語で、「心は胸の内側にある」を示す言葉があるのだ
そうです。
たとえば日本語なら、「自分の胸に聞いてみな」などと言いますよね。
そしてもう1つ共通しているのは、カチンとくるのは「頭」なのだそうです。
子どもも、大人も、自分自身も、
いつでもそこに、あなたのココロに寄り添っていてほしいのです。