August 15, 2012

【いじめ】と【虐待】

終戦の日。

戦争と同じくらい、あってはならないもの。
いじめ。 虐待。


中学生の時にクラスでいじめがあって、友達がその対象になった。

いじめをしていたのは、教師からは優等生だと思われている奴の
グループと、いわゆる不良グループの面々だった。

それが目の前で行なわれる度に止めに入ったけど、自分がいじめ
の対象にされることはなかった。
僕はガタイが良かったので、彼らもケンカで勝てそうもない相手には
逆らわなかったのか、それとも僕が生徒会役員だったからか。

でも、いじめは影でエスカレートしていった。
そこで、

教師の前では優等生面をして、裏でいじめをしていた連中について
は、彼らが実はどんなことをしていたかを1つ1つ証人をつけて
詳細レポートを作り、誰がどう見ても、かけらも疑いようの無い事実
であることが伝わるようにして、職員会議に乗り込み提出したことで、
彼らは即座に厳しく罰せられ、いじめをしなくなった。

その後、数週間彼らにシカトされたが、こちらからしつこく話しかけ
続けたところ、ついに観念して、「もうやらないから、チクらないでね」
と言ってきた。
優等生面していたボスだけは、ついに卒業まで口をきいてこなかった。


不良グループの面々には、放課後に話をつけた。
いじめを止めるよう話をすると、案の定、カタチだけの威嚇をして
きたので、僕は両手を後ろに組んで、彼らに言い放った。

「お前ら、学校では弱い者いじめをしてるけど、本当は家では自分がやられているんだろう?」
「毎晩怒鳴られて、殴られて、家では自分の居場所がないんだろう?」
「そんな毎日が情けなくて、辛くて、本当は助けてほしくて泣いているんだろう?」

大声をあげて掴みかかってきたけれど、さらに言い放った。

「いじめをやっていたのがバレたら、また家で殴られるんだろう?」
「だけど、お前らが一番怖いのは、家にいじめがバレることじゃなくて、本当は
 自分が家でいじめられてることが学校でバレることが一番怖いんじゃないのか?」
「でも安心しろ、お前らが家で虐待されてることなんか、みんな気づいてるから」
「本当は助けてほしいんだろう? だったら助けてって言えよ」

そんな意味合いの言葉を何度も何度も繰り返し浴びせ続けるうちに、
不良グループの面々は泣き崩れた。

彼らの名誉のために、その時のことはクラスの誰にも、教員にも決して
話さずにいたが、その後、
1人だけ卒業まで口をきかなかった奴がいるが、他の3人は、彼らから
週末に電話をかけてきて「一緒にトレーニングさせてよ」と言ってきたり、
休み時間や放課後に「勉強を教えてくれない?」と頼まれるようになったり
して、なんだか少し不思議な関係になった。


親からの虐待、親からの期待というプレッシャー、親が地位や名声により
甘やかして育てた、逆恨みや制裁、性的な抑圧。。。など、いじめをする側
の原因(彼らもまた被害者であること)が取り沙汰されるが、だからといって
かけらも擁護する気はない。
いじめをやっていい道理、加害者になっていい理由にはならない。

いじめをされる側の問題も取り沙汰されるが、全否定はしないものの、
いかなる理由もいじめをやっていい理由にはならない。

いじめを見て見ぬふりするクラスメートの問題。これも大きな問題だ。
同じく、見て見ぬふりをする大人達の問題。
「誰かに相談しなさい」と言うけれど、相談する相手がいないんだ。


いじめは犯罪である、ということ。
そして、いじめをしている連中は、強い、怖い存在なのではなく、
彼らこそ、本当は弱く、怯えた存在である、ということ。
ダサくてカッコ悪くて同情される、哀れな存在である、ということ。

そのことを幼少の頃から子ども達に教育して刷り込んでいくことで、
いじめの構造そのものを破壊できるのではないだろうか、と思う。

ほんのわずかなパラダイムシフトと行動の変化で全てが変わる



この夏、遠くの家から、
どこかの母親のヒステリックな声が聞こえてくるようになった。
近所中に響き渡る大絶叫で。

「なんでこんなこともわからないの?」
「あんたの頭は何のためについているの?」
「バカ、この大バカ!」
「あんたのせいで、パパをお迎えに行けない!」
「そんな頭なんてついてる意味がない!」
「あんたなんて生きてる意味がない!」
「あんたなんて生まれて来なければよかったんだ!」
「今すぐ消えて! ここから消えてよ!」

子どもの尊厳と存在価値を全て破壊する大絶叫の合間に
幼女の泣き声が聞こえてくる。

即座に通報したが、その大絶叫は20分ほどでおさまり、
駆けつけた担当者はどこの家かわからない、とのことで帰っていった。

夏になって窓を開けるようになって、我が家まで聞こえてくるように
なっただけで、もっとずっと以前から、それは起きていたのだろうか。

翌日も同じ大絶叫が聞こえて通報したが、同じことの繰り返し。
その翌日も。

警察も相談所も、近隣の家からは通報がない、とのこと。

だから言った。
「離れているここまで聞こえるってことは、近所のどこの家に訪ねても
“あそこの家です”って、皆絶対にわかっているはずだから、聞いて!」


あの母親は、育児ストレスなのだろうか。

父親は、なぜそれを放置しているのだろうか。

近所の方々は、なぜそれを聞こえないふり、見ないふりできるのだろう。
いじめを見て見ぬふりする構図と全く同じじゃないか。


大人が、社会が、虐待と向き合ってそれを無くしていかないと、
学校からいじめなんて無くなるわけがない。

子どもの心のケアは勿論のこと、親の心のケアも必要だ。
仮に子どもを保護しても、親は親、腐っても鯛、なのだ。


いじめ、虐待は、表面化しにくい。
実際は、報告されている数の数十倍あると言われている。

命を落とすケースもあるが、命はあっても心に大きな傷を負う。

その傷を乗り越え、強く生きて幸せになるケースもあるが、
大人になっても傷を癒せない人、心の傷が疼く人、自分を肯定して
あげることができにくい人が大勢いる。


日本には、毎年3万人を超える自殺者がいるが、死にきれなかった
人数や死にたいと毎日思っている人数、自己肯定感を持てない人数
まで数えると、数倍どころではすまない。

全国の児童擁護施設に身を寄せる3万人以上の子ども達の多くは
虐待により生命の危険にさらされて保護されている。
保護に至っていない虐待も数えると10倍以上と言われる。

予防、撲滅、ケア、サポート。。。の仕組み作りと意識改革が必要だ。



終戦の日だから、今回はあえて、この「無くしたいもの」について
思うところを書いてみました。


■児童相談所全国共通ダイヤル(0570-064-000)■
状況にあわせて専門職員が対応、通報者のプライバシーは守られます。