March 31, 2013
自分自身と分かち合う
他の人は気にしないのに、自分はそこにこだわってしまう。
他の人は受け流せるのに、自分にはそれが響いてしまう。
他の人は価値を感じないのに、自分は涙が出るほど嬉しい。
それは、それぞれが歩んできた道や見てきた世界が違うから。
楽しかったことも、悔しかったり悲しかったり切なかったりした
ことも、すべてが今の自分を構成している要素だから。
でも、もしかすると、それだけじゃないのかもしれません。
今の人生で体験したことだけではないのかもしれません。
心臓の移植手術をすると、移植を受けた方が、提供した方の
母国語をしゃべれるようになったり、提供者の故郷の風景など
を精密に描いたりできるようになることは、周知の事実です。
心臓の上部には、脳とは別の記憶組織があり、そこには
生まれてくる前からの記憶も蓄積されている可能性があるらしい。
とても辛く思えてしまうこと。それはもしかすると、
過去生でそのような苦しみを生きた体験があるから、あなたに
そう感じさせているのかもしれません。
涙が出るほど嬉しいこと。それはもしかすると、
過去生でそのように望みを砕かれた体験があるから、あなたに
そう感じさせているのかもしれません。
自分自身を肯定し、認め、受け入れる。それはもしかすると、
自分の過去生を含めて、負った傷、受けた痛み、渇望したもの
を感じ、共有することに本質があるのかもしれません。
子供の頃に負った心の傷が疼く時、
「あの時はとてもつらかったね。」
「でも、今はもう大人になったから、簡単にやれちゃうんだよ。」
「大人になった私を信じて任せてね。」
と、自分自身に言い聞かせてあげてから行動を起こすと、
無意識に自分を硬直させていたものから解放されて、本来の力を
発揮できたりするように、
過去生の記憶に対して、
「とても辛い思いをしたんだね。」
「でも、もう怖がらなくて大丈夫だよ。今は時代も環境も違うから。」
「そして、私がついているから大丈夫。」
って、彼の記憶に言い聞かせてあげられると、胸の苦しさが和らいで、
彼は全てを自分に委ねてくれたりもします。
だから、今の自分が何かを成したり、何かを手にした時に、
それが過去の自分や、過去生が求め続けていたものだったりすると、
たったこれだけのことが、どうしてこんなにも嬉しくてたまらないのか、
どうしてこんなにも涙が止まらないのか、と思えるくらい、喜びが共鳴
して、溢れてしまうのかもしれません。
もしも、
自分自身が、今を生きる自分と、過去の自分と、
そして自分の過去生と、自分を守り導いてくれている存在と。。。
そうしたもの達の集合体によって構成されているのだとしたら。
自分の本質。
想いの源泉。
川の流れの最初の一滴。
どうしても目を背けられない使命、生き方。
歓びと幸せ。
その本質は、自分の真ん中にあるのではなく、
自分自身を構成している集合体の真ん中にあるのかもしれません。
「物事の本質は、見ているところの20cm横にある」
他の人は受け流せるのに、自分にはそれが響いてしまう。
他の人は価値を感じないのに、自分は涙が出るほど嬉しい。
それは、それぞれが歩んできた道や見てきた世界が違うから。
楽しかったことも、悔しかったり悲しかったり切なかったりした
ことも、すべてが今の自分を構成している要素だから。
でも、もしかすると、それだけじゃないのかもしれません。
今の人生で体験したことだけではないのかもしれません。
心臓の移植手術をすると、移植を受けた方が、提供した方の
母国語をしゃべれるようになったり、提供者の故郷の風景など
を精密に描いたりできるようになることは、周知の事実です。
心臓の上部には、脳とは別の記憶組織があり、そこには
生まれてくる前からの記憶も蓄積されている可能性があるらしい。
とても辛く思えてしまうこと。それはもしかすると、
過去生でそのような苦しみを生きた体験があるから、あなたに
そう感じさせているのかもしれません。
涙が出るほど嬉しいこと。それはもしかすると、
過去生でそのように望みを砕かれた体験があるから、あなたに
そう感じさせているのかもしれません。
自分自身を肯定し、認め、受け入れる。それはもしかすると、
自分の過去生を含めて、負った傷、受けた痛み、渇望したもの
を感じ、共有することに本質があるのかもしれません。
子供の頃に負った心の傷が疼く時、
「あの時はとてもつらかったね。」
「でも、今はもう大人になったから、簡単にやれちゃうんだよ。」
「大人になった私を信じて任せてね。」
と、自分自身に言い聞かせてあげてから行動を起こすと、
無意識に自分を硬直させていたものから解放されて、本来の力を
発揮できたりするように、
過去生の記憶に対して、
「とても辛い思いをしたんだね。」
「でも、もう怖がらなくて大丈夫だよ。今は時代も環境も違うから。」
「そして、私がついているから大丈夫。」
って、彼の記憶に言い聞かせてあげられると、胸の苦しさが和らいで、
彼は全てを自分に委ねてくれたりもします。
だから、今の自分が何かを成したり、何かを手にした時に、
それが過去の自分や、過去生が求め続けていたものだったりすると、
たったこれだけのことが、どうしてこんなにも嬉しくてたまらないのか、
どうしてこんなにも涙が止まらないのか、と思えるくらい、喜びが共鳴
して、溢れてしまうのかもしれません。
もしも、
自分自身が、今を生きる自分と、過去の自分と、
そして自分の過去生と、自分を守り導いてくれている存在と。。。
そうしたもの達の集合体によって構成されているのだとしたら。
自分の本質。
想いの源泉。
川の流れの最初の一滴。
どうしても目を背けられない使命、生き方。
歓びと幸せ。
その本質は、自分の真ん中にあるのではなく、
自分自身を構成している集合体の真ん中にあるのかもしれません。
「物事の本質は、見ているところの20cm横にある」
Posted by exceedblog at 15:31│私からあなたへ