June 08, 2015

絶対に許せないもの

ずい分前の話ですが、それまで僕は「愛」という言葉を使いませんでした。

これは意図的です。

本当に大切な想いを込めずに、本当に大切な覚悟を持たずに、この「愛」
という言葉を軽々しく使う人達が大嫌いで、絶対に許せませんでした。
この言葉だけは100%の重みを理解した人にしか使ってほしくない、
それほど大切なものなんだ、と思っていました。

そして、
自分自身に対しても、まだこの言葉を使うに値する自分にはなれていない、
100年早い、と考えていたので、使おうとか使いたいとさえ思ったことが
無いほど、仕事は勿論、ブログでも、「愛」という言葉だけは一切使わない
ように、決して「愛」を語らないようにしてきました。


あなたには、絶対に許せないものってありますか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものってありますか?


人には、それぞれに大切な「想い」があります。
他の人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、自分にとっては、
絶対に踏みにじりたくない、汚したくない、とても大切な「想い」。

その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。

あなたは、まさにそこへ行こうとしているのです。
そこへ行くために生まれてきたのです。
どうしてもそこへ行きたいのです。否、行かねばならないのです。

そこに辿りつくあなたを待っている人がいるのだから。


だから、そこまで行ける自分になりたくて、ならねばならなくて、
「お前には無理だ」「やめてしまえ」「あきらめろ」と打ちのめされ続け、
「本当に価値があるのか」「本当に大切なのか」と考え込まされ続け、
本物でない(偽りの)それを手にしている人・語る人たちが絶対に許せなくて、
「まだダメだ」「まだ自分はそれに値しない」って自分自身に言い聞かせ続け、
その「純粋さ」と「大切さ」と「尊さ」を自分の中で大切に抱きしめ続け、

絶対にそこへ行ける自分になるための、最高の試練を自身に与え続け、
最高の自分磨き・自分育てをし続けて、自分を進化・成長させ続け、
もっと強くなりたいと願い続けて、生きてきたわけです。

考えようによっては、既に最高の人生を生きている、と言えるかもしれません。

ただ、そんじょそこらの試練じゃなくて、最高の試練ですから、それは
自分のパートナー、子供たち、両親、友人、先生...という、かけがえのない人
によってもたらされるため、本当にわかりづらくて、苦しいわけです。


あなたの、絶対に許せないものって何ですか?
まだまだ自分はそれに値しない、と思っているものって何ですか?

そこに、
あなたが人生をかけて「大切にしたいもの」「想いを込めるもの」があります。

  絶対に許せない → 本当はどんな想いを大切にしてほしいと望んでいるのか。
  それに値しない自分 → 私はその達人をめざして生きているのだ。

そろそろ、こんな風に置き換えてみませんか。
すべてのつじつまが合い、余計なものが消えてシンプルになります。


ずっと以前、40人ほど集まったある会合で、僕はいつものように「愛」という言葉を
一切使わずに、自分の「想い」を何度も語る機会がありました。

その後、会場に居合わせた方々が、それぞれ感想を述べてくださったのですが、
それはこんなものでした。

  「こんなに愛にあふれた人は見たことがない」
  「今日、私は本当の愛というものを知りました」
  「あなたはまさに愛の伝道師です」
  「私も大切な人を心から愛して生きていきたいと思います」
  「愛を与えてくれてありがとう」

全く予想もしなかったご感想に、僕はしばし絶句した後に、言いました。
  「僕は愛という言葉は一切使っていないし、愛を語ったこともありません」

すると、口々にこんな言葉が返ってきました。

  「いいや、愛って言いまくっていた」
  「愛のことばかりを語っていたじゃないか」
  「あなたのブログを見たけれど、愛のことばかり書いてありましたよ」
  「あなたの存在そのものが愛なんだよ」

もはや呆気にとられ、恥ずかしくてたまりませんでした。
そして、
「愛」という言葉を使っていないのに、使いまくっていると認識されて、
まだ「愛」を語るに値しないと思っているのに、「愛」そのものだと思われる
のなら、もはやそこに意地をはる(かたくなになる)意味がないばかりか、
周囲はずっと、そんな自分を承認してくれていたのだから、

むしろ、

そろそろ自分自身が認めちゃった方が楽だし、
堂々と、ハッキリと語ってしまう方がわかりやすい、と思うようになったのです。


軽々しくやる人が絶対に許せない程に、
まだまだ自分はそれに値しないと思える程に、

その「想い」を大切にして生きようとしているあなたの生き様は、

周囲から見れば、それがまさにそれそのものであり、
つまりあなたの「想い」は、既に承認されているのです。


その「想い」をどこまでも純粋に貫いた先にあるもの。
あなたにとって、とても大切なものが大切にされている世界。


それは、
「できる」か「できない」か、じゃなくて、
「やりたい」か「やりたくない」か、でもなくて、

あなたは今までもずっとやってきたし、これからもずっとやっていくんです。


その「想い」は、貫いていいんです。
その「想い」は、大切にし続けていいんです。
その「想い」は、カタチにしていいんです。

そんな自分を許してあげて認めてあげて好きになっていいんです。

あなたを待っている人がいるのだから。