March 31, 2017
奇跡を起こす
たとえ今すぐに伝わらなくても、
「彼には、きっといつか伝わる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。
たとえ今一時は誤解されても、
「彼なら、きっとわかってくれる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。
信じてもらいたいなら、まず、自分が相手を徹底的に信じきること。
そして、何年かかろうとも「絶対にキセキを起こすのだ」とコミットすること。
・・・奇跡の林檎・自然栽培で有名な木村さんの著書より・・・
これは、わたしに賛同してくれている、ある一家の話です。
そこのオヤジさんが、「これからは自然栽培で、肥料・農薬・除草剤
を使わないおコメ作りをやっていこう」と一大決心しました。
そして、「木村、教えてくれ」ということでスタートしました。
初めの年はよかったのですが、自然栽培の性質上、やはり2〜3年目
から減収し始めました。 なにをやっても収量は上がりません。
15町歩あった田んぼのうち、7町歩は売りに出さざるを得ませんでした。
底なし沼です。
黙っていても沈むのですが、もがけばもっと早く沈みます。 時間が解決
してくれるのをじっと待つしかないのですが、それが人間には難しいわけです。
リンゴが実ってくれるまでに木村家が味わった思いを、オヤジさん家族も
味わっていました。 日に日に高まる険悪な雰囲気のなか、もともと自然栽培
に賛成ではなかった息子さんと大喧嘩になってしまいました。
「オヤジー! もう、こんな栽培やめろ。俺はきょうでやめる!」
そういって跡取り息子は家を出ていってしまいました。
それっきり音信は途絶え、生きているのか死んでいるのかもわからないまま
5年の歳月が過ぎました。
その息子さんは、東京都内の食品会社でアルバイトをしていました。
ある日のこと、係長から、
「このおコメはとても特別なものだから、くれぐれも丁寧に扱ってね」
といわれてコメ袋を任されました。
「ハイ」と息子さんは答えましたが、「俺だってむかし、コメを作っていたんだよ。
いったいどこのだれが作ったものだよ、そんな大切なコメって?」と思い、
生産者名が書いてあるラベルを見ようとおコメの袋をひっくり返しました。
そこに書かれていた名前を見た途端、涙が出てきて、気づくと膝をついて
おコメに頭を下げていました。
書かれていたのは、まざれもなく自分の父親の名前だったのです。
翌日、すぐに退職を願い出てアパートの部屋を片づけると、故郷へと急ぎました。
何年かぶりに戻った実家で父親に謝罪しました。 母親も快く迎え入れてくれました。
いまは、親子仲良く一生懸命にコメ作りしています。
泣く泣く手放した田んぼも買い戻し、23町歩まで増やしたといいます。
いつからか、生産者と消費者の距離はとても遠くなってしまいました。
でも本当は、おコメひと粒、ご飯いち膳に大きなドラマがあるわけです。
どうか、皆さんにもそれを味わって食べていただければ嬉しいです。
<< 百姓が地球を救う(著:木村秋則)より抜粋 >>
ビジネスと子育ては、根底にあるものが同じであるべき、
異なる顕れ方をしている、同じ本質のものであるべき、だと思います。
「彼には、きっといつか伝わる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。
たとえ今一時は誤解されても、
「彼なら、きっとわかってくれる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。
信じてもらいたいなら、まず、自分が相手を徹底的に信じきること。
そして、何年かかろうとも「絶対にキセキを起こすのだ」とコミットすること。
・・・奇跡の林檎・自然栽培で有名な木村さんの著書より・・・
これは、わたしに賛同してくれている、ある一家の話です。
そこのオヤジさんが、「これからは自然栽培で、肥料・農薬・除草剤
を使わないおコメ作りをやっていこう」と一大決心しました。
そして、「木村、教えてくれ」ということでスタートしました。
初めの年はよかったのですが、自然栽培の性質上、やはり2〜3年目
から減収し始めました。 なにをやっても収量は上がりません。
15町歩あった田んぼのうち、7町歩は売りに出さざるを得ませんでした。
底なし沼です。
黙っていても沈むのですが、もがけばもっと早く沈みます。 時間が解決
してくれるのをじっと待つしかないのですが、それが人間には難しいわけです。
リンゴが実ってくれるまでに木村家が味わった思いを、オヤジさん家族も
味わっていました。 日に日に高まる険悪な雰囲気のなか、もともと自然栽培
に賛成ではなかった息子さんと大喧嘩になってしまいました。
「オヤジー! もう、こんな栽培やめろ。俺はきょうでやめる!」
そういって跡取り息子は家を出ていってしまいました。
それっきり音信は途絶え、生きているのか死んでいるのかもわからないまま
5年の歳月が過ぎました。
その息子さんは、東京都内の食品会社でアルバイトをしていました。
ある日のこと、係長から、
「このおコメはとても特別なものだから、くれぐれも丁寧に扱ってね」
といわれてコメ袋を任されました。
「ハイ」と息子さんは答えましたが、「俺だってむかし、コメを作っていたんだよ。
いったいどこのだれが作ったものだよ、そんな大切なコメって?」と思い、
生産者名が書いてあるラベルを見ようとおコメの袋をひっくり返しました。
そこに書かれていた名前を見た途端、涙が出てきて、気づくと膝をついて
おコメに頭を下げていました。
書かれていたのは、まざれもなく自分の父親の名前だったのです。
翌日、すぐに退職を願い出てアパートの部屋を片づけると、故郷へと急ぎました。
何年かぶりに戻った実家で父親に謝罪しました。 母親も快く迎え入れてくれました。
いまは、親子仲良く一生懸命にコメ作りしています。
泣く泣く手放した田んぼも買い戻し、23町歩まで増やしたといいます。
いつからか、生産者と消費者の距離はとても遠くなってしまいました。
でも本当は、おコメひと粒、ご飯いち膳に大きなドラマがあるわけです。
どうか、皆さんにもそれを味わって食べていただければ嬉しいです。
<< 百姓が地球を救う(著:木村秋則)より抜粋 >>
ビジネスと子育ては、根底にあるものが同じであるべき、
異なる顕れ方をしている、同じ本質のものであるべき、だと思います。