しばし世の中の成り行きを見守ってきましたが、様々な識者が意見や感想を述べたり
議論をしている中で、いつまでたっても納得のいく物言いをしてくれる方が現れない
ため、児童養護施設の子供たちに関わる者として、意見を述べさせていただきます。
そもそも日本のメディアには、良くも悪くも「インパクトがあればOK」(むしろ印象
は悪くてもいい)という考え方があります。
何故なら、「あれ、いいよね?」よりも「あれ、酷くない?」の方が、議論になるため
話題性が高く、宣伝効果としての情報拡散を見込めるからです。
ましてやドラマだから、フィクションとして描くことそのものは許容されるわけです。
故に、視聴率至上主義として、制作側や局側の倫理観が極めて甘くなる。
おそらくは、これだけ賛否が議論され、注目されていることで、実は「してやったり」
とカケラも自らを省みず、乾杯している様子さえ透けてきます。
しかし、多くの人は児童養護施設のことやそこに身を寄せる子供たちのこと自体を
良く知らない、もっと知ってもらう必要があることを考慮すると、この「インパクトが
あればOK」によって、まずは知ってもらう機会や議論する機会となったのだから、
施設の実態とかけ離れているという意見もあるものの、百歩譲ってそこは目を瞑ろう。
でも、施設の子供たちが偏見の目に晒されたり、いじめが起きるなどして、今よりも
生き辛くなったり、あるいは視聴することでフラッシュバックが起きたり、自殺者が
出た場合(既にいくつかの事態が報告されているようですが)、どうするのか、という
問題についての局側の説明は、説得力がないように思えます。
。。。と、ここまでの議論が延々となされているのですが、そこに物申したい。
語弊があるかもしれませんが、
偏見の目で見られる子供や施設関係者は、まだマシかもしれないとさえ思うのです。
誤解や偏見の目で見られる、ということは、
事実はそうではなく、適切な施設で守られ育てられている、ということを意味します。
でも実際に、施設内での職員による暴行や性的虐待・脅迫が、氷山の一角として多数
発覚している以上、それが偏見ではなく、実際にこのフィクションのドラマに近い
恐怖をリアルで受けている子供たちが実在するのだという事実があります。
そして、全国の児童養護施設には3万人を超える子供たちが身を寄せているものの、
親から日々虐待を受けていて、まだ保護されていない被虐待児童は10万人以上いると
言われていること。
彼らはその理不尽な暴力に耐えるために、「親は自分を愛している。自分がいい子に
なれば殴られないんだ」と、必死で自分自身に言い聞かせていたり、「自分が逃げたら
ママが殴られる」から、大事なママを守りたくて自分が虐待に耐えていたり、あるいは
どんなに虐待されても自分にとっては親だから、という思考で、告発できなかったり、
その術や発想自体を持てなかったり。
中には、児童相談所や児童養護施設の連絡先を大事に持って、それを自分の最後の砦
として、支えとして、ギリギリの精神状態で耐え続けている子供もいるのです。
もし彼らがこのドラマを見て、最後の支え・最後の砦がこういうものなんだと思えた時、
今の地獄から抜け出すために親を告発してでも脱出したとして、その先には別の地獄が
待っているのだと思えたなら、そこにあるのは「絶望」だけなのではないだろうか。
このドラマが、たとえ後からどんな展開になっても、どんなフォローが入るのだとしても、
そこでどんな「愛」のカタチが示されるのだとしても、
彼らにとっては、この第1話だけで、充分に「絶望」を与えるチカラがあるのではないか。
本当の弱者、
本当の地獄に生きる子供たち、
本当に配慮しなければならない、この議論の対象とすべき存在とは、
「誤解や偏見の目で見られる子供や施設関係者」以上に、
今なお地獄の苦しみの中を生きているたくさんの被虐待児童たちではないだろうか。
社会がその存在に寄り添い、救わなくてはならない命と尊厳。
その主たる被虐待児童たちではないだろうか。
彼らの「今」と「これから」を思う時、
賛否や議論の余地なく、「あってはならないもの」以外の何物でもないと思うのです。
局側の言い訳について。
それを本気で言うのなら、「おしん」のように、幸せな現在の主人公が回想する、という
手法を取れなかったか。たったそれだけで、全ての意味を逆転させられたのではないか。
そんなことにさえ気づけないのは、このドラマの目的がそこには無かったからではないのか。
施設関係者からの苦情について。
その立場にいるあなた方だからこそ、一所懸命に守っているという自負があるならばこそ、
今なお地獄を生きている子がたくさんいることを知っているはずのあなた方だからこそ、
本当に危惧すべき影響を示唆してくれないと、現時点では、あるべき議論と異なっている。
マスメディアの取り上げ方について。
この問題の本質を見てほしい。
取り上げるあなた方が、今なお誰にも守られていない子供たちの存在を無い者とするかの
ような取り上げ方をしていることは、局側と同じ罪を犯しているとしか言いようがない。