May 16, 2021

想いを馳せる

素敵な誰かを羨んで、
自分もこの人のような素敵な人になろう、と真似るなら、

成功した誰かに憧れて、
自分もこの人のように成功しよう、と真似るのなら、

その人が
今何をしているか、今どうしているか、ではなく
その人が
かつて何をしてきたのか、を真似る必要がある。


輝かしい今の姿、眩しい今の笑顔、ではなく、

この人は、
これまで一体どれくらい悔しい思いをしてきたのか、

これまで一体どれくらい屈辱と孤独を感じてきたのか、

これまで一体どれくらい絶望の涙を流してきたのか。

・・・に想いを馳せなければならない。



「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」
(ゴッホの言葉)  



  



Posted by exceedblog at 23:24clip!
March 31, 2017

奇跡を起こす

たとえ今すぐに伝わらなくても、
「彼には、きっといつか伝わる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。

たとえ今一時は誤解されても、
「彼なら、きっとわかってくれる」と信じるなら、どこまでも、とことん信じる。

信じてもらいたいなら、まず、自分が相手を徹底的に信じきること。
そして、何年かかろうとも「絶対にキセキを起こすのだ」とコミットすること。


・・・奇跡の林檎自然栽培で有名な木村さんの著書より・・・

これは、わたしに賛同してくれている、ある一家の話です。
そこのオヤジさんが、「これからは自然栽培で、肥料・農薬・除草剤
を使わないおコメ作りをやっていこう」と一大決心しました。
そして、「木村、教えてくれ」ということでスタートしました。

初めの年はよかったのですが、自然栽培の性質上、やはり2〜3年目
から減収し始めました。 なにをやっても収量は上がりません。
15町歩あった田んぼのうち、7町歩は売りに出さざるを得ませんでした。

底なし沼です。
黙っていても沈むのですが、もがけばもっと早く沈みます。 時間が解決
してくれるのをじっと待つしかないのですが、それが人間には難しいわけです。

リンゴが実ってくれるまでに木村家が味わった思いを、オヤジさん家族も
味わっていました。 日に日に高まる険悪な雰囲気のなか、もともと自然栽培
に賛成ではなかった息子さんと大喧嘩になってしまいました。

「オヤジー! もう、こんな栽培やめろ。俺はきょうでやめる!」
そういって跡取り息子は家を出ていってしまいました。
それっきり音信は途絶え、生きているのか死んでいるのかもわからないまま
5年の歳月が過ぎました。

その息子さんは、東京都内の食品会社でアルバイトをしていました。
ある日のこと、係長から、
「このおコメはとても特別なものだから、くれぐれも丁寧に扱ってね」
といわれてコメ袋を任されました。

「ハイ」と息子さんは答えましたが、「俺だってむかし、コメを作っていたんだよ。
いったいどこのだれが作ったものだよ、そんな大切なコメって?」と思い、
生産者名が書いてあるラベルを見ようとおコメの袋をひっくり返しました。

そこに書かれていた名前を見た途端、涙が出てきて、気づくと膝をついて
おコメに頭を下げていました。
書かれていたのは、まざれもなく自分の父親の名前だったのです。

翌日、すぐに退職を願い出てアパートの部屋を片づけると、故郷へと急ぎました。
何年かぶりに戻った実家で父親に謝罪しました。 母親も快く迎え入れてくれました。
いまは、親子仲良く一生懸命にコメ作りしています。
泣く泣く手放した田んぼも買い戻し、23町歩まで増やしたといいます。

いつからか、生産者と消費者の距離はとても遠くなってしまいました。
でも本当は、おコメひと粒、ご飯いち膳に大きなドラマがあるわけです。
どうか、皆さんにもそれを味わって食べていただければ嬉しいです。

   << 百姓が地球を救う(著:木村秋則)より抜粋 >>



ビジネスと子育ては、根底にあるものが同じであるべき、
異なる顕れ方をしている、同じ本質のものであるべき、だと思います。


  


  



Posted by exceedblog at 11:25clip!
August 15, 2016

ソーシャルデザイン

金太郎アメは、どこまでいっても金太郎で、
途中で別の何かに変わったりなんかしない。

戦争の中を必死に生きてきた世代。

仕事ずくめで高度経済成長を必死に支えてきた世代。

今更その世代に対して、
もっと愛してほしかった、もっと大事にしてほしかった、もっと向き合ってほしかった、
もっと私の話を聞いてほしかった、、、と言ったところで、
時間は遡れないし、過去も変えられない。

今この国は、子供の頃に、充分に愛してもらえなかった大人たちで満ちている。
その大人たちに、充分に愛してもらえずにいる子供たちで満ちている。
脈々と、そういう金太郎アメが続いている。

それは、いつかどこかでハッキリと描きかえてしまわない限り、
これからもずっと、続いていく。


今の子供たちが大人になった時、
お父さん、お母さんに、「愛してくれてありがとう」と言えるように。
生まれてきた子供に、「生まれてきてくれてありがとう」と言えるように。

スタジアムで作る「人文字」のように、
1人1人の点は小さいけれど、座っている席もバラバラだけど、
同じ意図をもってそれぞれが自分の役割を果たすことで、大きなメッセージが
できあがり、その時、金太郎アメはハッキリと描きかえられる。


大切な人には、あなたがどれほど大切な存在なのかをはっきりと伝え、
愛する人には、あなたをどれほど心から愛しているかをはっきりと伝え、
彼らが、
自分の大切な人の大切なものを心から大切にして生きていけるよう、
誰からも愛されて、感謝と歓びと幸せに満ちた未来を生きていけるよう、

今、たしかに自分がここにいる今、全力で運命の1球を投げ込んでいく。


  


  



Posted by exceedblog at 02:20clip!
November 05, 2015

オリジナルを超えろ!

広告代理店時代に、当時、最高と言われたプロデューサーから言われた
忘れられない一言があります。
 
「これからの仕事で、俺の持っているモノをお前に全部見せる。
そして、本物のプロフェッショナルの面々と組ませる。 だからお前は、まず
それを全部マネろ!
ただし、
目の前にあるテクニックをなぞるな!根底にある本質をつかめ!
自分のモノにして、すべてにおいてオリジナルを超えろ!
そこまでしないなら、
超えていくコミットが出来ないなら、お前には何ひとつマネる資格はない!!


バトンを渡す側の想いが痛いほど伝わった言葉でした。

彼は、人生の最期の2年間を、病魔との闘いでもなく、延命のためでもなく、
1人の若者の成長と、その先の未来のために、全て注ぎ込んでくれたのです。


ビジネスとは、感動と感銘によるダイナミックリレーションである。


これまで生きてきて、きっとたくさんの学びを得てきたことでしょう。
ここまでやってきて、きっとたくさんの出会いがあったことでしょう。

きっとたくさんの、悔しい涙、切ない涙を流してきたことでしょう。
でもきっとそれと同じ数だけ、嬉しい涙や誇らしい涙も流してきたはずです。

その感動と感銘のバトンは、手渡すために、あなたのもとにあるのです。
あなたから次の人へ手渡してほしいと託されて、今あなたのもとにあるのです。


あなたは今、誰を超えようとしていますか?  


  



Posted by exceedblog at 03:20clip!
August 15, 2015

終戦記念日にあたって

以前にも書いたけれど、8月15日の終戦記念日については、
「戦争が終わった日」ではなくて「平和を誓う日」としての意味
を成してほしい。
 
 
  


  



Posted by exceedblog at 08:02clip!
November 08, 2014

運命の一球

 
かつて、プロ野球オールスター戦という夢舞台で、9打者連続奪三振という偉業を
成し遂げたのが、江夏選手。
 
選ばれた選手だけが出場しているため、対戦相手は猛者ばかりであり、しかも、
オールスター戦では、投手は3イニングまでしか投球することができないルールが
あるため、3イニングで計9つのアウト全てを三振で奪取したことは驚愕である
と同時に、決して破ることが出来ない記録である。
 
その記録に唯一迫ったのが、怪物と言われた江川選手。
打者を8人連続で三振に斬って取って、9番目の最後の打者を2ストライクまで
追い込み、ついに伝説に並ぶかという運命の一球で、彼はカーブを投じた。
 
結果、打者は球をバットに当てて、ゴロでアウト。
3イニングは終了し、江川選手の記録は8打者連続奪三振にとどまった。
 
 
。。。なぜストレートで打者と真っ向勝負をしなかったのか。
 
「最後にプレッシャーに負けて、かわしにいったところが江川らしい」
「そこが、ここ一番に強い江夏と、ここ一番に弱い江川の違いだね」 
「いや、誰もがストレートだと思うところだから、裏をかいた作戦だ」
「要するに、逃げたんだろ」
 
当時、プロ野球関係者、プロ野球ファンの間では、たいへん盛り上がった
懐かしい話である。
 
 
この時、僕は、数日間ずっとこのことを考え続けた。
気になって仕方がなかった。
 
怪物と言われた選手が、そのキャリアのピークの時に、この夢舞台で、
打者8人を連続三振に取るという、二度と無いかもしれない状況まできていて、
。。。なぜストレートで打者と真っ向勝負をしなかったのか。
 
ずっと考え続け、そして、ふいに気づいた。
もしかして。。。!!
 
 
それから10年経って、TV番組で、江川選手がこの件について口を開いた。
それまでは、何を言われても、何を聞かれても、笑ってごまかすだけだったが、
そこで初めて真相を語った。
 
あの時、打者も、誰もが、ストレートを投げると思っていた。
キャッチャーも、当然ストレートのサインを出していた。
そこへ、首を振らずに唯一の変化球であるカーブを投げ込むことで。。。
 
打者を三振に打ち取る。
しかし、キャッチャーが取れずにパスボール。
打者は振り逃げで一塁へ。
9つ目のアウトが取れないため、10人目の打者が打席に入る。
その打者と対峙することで。。。
 
決して破ることが出来ないはずの、伝説の9打者連続奪三振を超える、
10打者連続奪三振に挑む!
 
記録に並ぶのではなく、その先に挑む、唯一の可能性。
10人目の打者を打席に迎える夢の舞台を創り上げ、スタジアムを総立ちに
させる。。。その僅かな可能性に、全力で真っ向勝負を挑んだのだ。
 
逃げたのでもなく、かわしたのでもなく、超えるために、挑むために。
誰も想像できなかった、そこにある唯一の可能性に、全力で賭けたのだ。
 
 
後悔するかどうかは、結果よりもむしろ見つめた目線次第。
でも、そのプロセスは、いつもわかりづらくて、ただかっこ悪い。
 
わかりづらくて、かっこ悪かったけれど、僕は、その運命の一球の意図に
もしやと気づいた瞬間、鳥肌が立った。
 
 
 
今、この国は、世の中で認識されているよりもずっと窮地にある。
それはそのまま、地球全体が追い詰められているとも言える。
国という枠組みよりも大きな力による、奪い合い、騙し合い、潰し合い、の末路。
 
それに抗い、もっと強力な力を持って潰し合いの勝負を挑むのではなく、
超えられるかもしれない、その先を創れるかもしれない舞台を用意するために、

僕は、僅かな可能性に賭けて、誰よりもかっこ悪く、渾身のカーブを投げ込む。
 
 
  


  



Posted by exceedblog at 11:22clip!
August 15, 2014

向かうべき未来

【成功するための努力】と【失敗しないための努力】は、根本的に異なります。

同じように、視点を変え、求めるべき目的に照準を合わせた時、
「戦争に巻き込まれない努力」「他国から侵略されないための取り組み」
とは全く異なるものとしての、
「本当の平和を勝ち取る努力」「平和な未来の創造を成し得る取り組み」
というものを、見い出せるのではないか、と思えてなりません。

                  平和賛成!

いずれにしても未来のために時間とお金とエネルギーを投下するのなら、
この日本だからこそ、そこに向かって世界に影響を与えるべきではないのか。



解かされた封印 〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI  


  



Posted by exceedblog at 02:08clip!
June 16, 2014

それに惑わされるな!

落ち込んだ時、失望した時、人は溜息まじりに俯いて下を見ます。
そして自ら進んで、わずか1m半程の奥行きしかない、薄っぺらな
世界の住人になってしまう。

希望を持った(あるいは持とうとした)時は、目線を上げて上を見ます。
意志を纏った瞳を天に向け、どこまでも深く広がる青空を眺めます。

でもその時、つい白い雲に意識を奪われてしまう。
雲の色や状態やカタチに自分の記憶の何かを重ね、同調してしまう。

そして何かを悟った気になって、何かをつかんだ気になって、
そこまでの領域で、雲と同期したコミットメントで、歩み出してしまう。


ちょっと待って!

あなたが見ようとしたのは、
あなたがアクセスしようとしたのは、
あなたがめざそうとしたのは、その先に果てしなく広がる空だったはず。

惑わされてはいけない。


内側の世界と外側の世界は常にシンクロしています。

「今この瞬間の自分」を起点として、
自分が「進むべき道」は、自分が「どこから来たのか」と対になっていて、
これから「どこを目指すか」は、「何から始まったのか」と対になっていて、

物理的に「受け取れるもの」、手に「つかめるもの」は、「自分自身の本質
をどれだけ自分のモノに出来たのか」と対になっています。


空を見ようとしたのに、そのはるか手前にある雲に同期してしまうことは、
自分の想いやエネルギーにはアクセスしているものの、その本当の始点、
つまり、
「想いの源泉」「川の流れの最初の一滴」には、まるで触れていないこと、

すなわち、

何も受け取れていない、何もつかめていない、何もコミットできていない、
のと等しいことなのです。


雲は、いつでも姿を変え、カタチを変え、そこに漂っています。
でもそれが問題なのではないし、そこに問題があるわけでもありません。

たとえ、どんより曇っていても、空全体を覆っていても、雨が降っていても、
その上空にはいつだって、果てしなく深く、広い、青空がそこにあります。

それを見て(感じて)、そこに意識を置く。
それは、
「想いの源泉」に触れること、「川の流れの最初の一滴」を握りしめること。

そこに真理があり、自分の真価があり、開かれる未来があります。


あなたはいつだって、青空の下で呼吸をして、成長し続けているのです。  


  



Posted by exceedblog at 23:48clip!
March 20, 2014

GIVE・GIVE・GIVE...

パートナーシップのあり方として、「GIVE&TAKE」という言葉がありますが、
その本質が、「貰いたければ、まず先に与えなさい」という、自己中心的な
「一人勝ち」に対しての平等・公平な関係を指すものであることを考えた時、
正しくはあるものの、やっぱり少し違和感を覚えてしまいます。

   何のために、どんな想いがあって、その事業を興したのか。

事業を存続させ、成功させるためには、収益をあげる必要がありますが、
どこかで手段と目的とが入れ替わってしまった時から、その事業は
全く別の何かになってしまうのかもしれません。


絶対に返ってくる、あるいは、絶対にペイフォワードされる、と信頼して、
GIVEしてGIVEしてGIVEしてGIVEして、ただひたすらその先の未来を信じて
どこまでもGIVEしていく。

その在り方を貫くことで、
周囲から「必要」とされて、対価として収益が確保されていく事業を貫く

無防備に、理想論で、丸腰のままそこに立つのではなく、、
理想を追えば追うほど利益に直結する【仕組み】をしっかり構築した上で、
待っている人達のところへ丸腰で飛び込み、与え続けていく。

「GIVE&GIVE&GIVE&GIVE...」を体顕する。

それができたらいいね、じゃなくて、それを体顕することをあきらめない。
それが一番大事なのだと思います。



23年前のこの日、1つの命・1つの尊厳を守るために、思いつく限りの
あらゆる神様に、奇跡を起こしてくれたなら他に何を失っても構わない!
誓いを立てました。
私自身の2度目のバースデーであるとさえ思っています。


あなたの事業に込められた想い、その事業の尊厳とは、何でしょうか。

最も大事なものは何なのか、何を最も大事にするのかを決めた時、
それ以外のすべては、二番目以下でしかないことに気づきます。


  


  



Posted by exceedblog at 23:47clip!
January 22, 2014

日テレの例のドラマについて

しばし世の中の成り行きを見守ってきましたが、様々な識者が意見や感想を述べたり
議論をしている中で、いつまでたっても納得のいく物言いをしてくれる方が現れない
ため、児童養護施設の子供たちに関わる者として、意見を述べさせていただきます。


そもそも日本のメディアには、良くも悪くも「インパクトがあればOK」(むしろ印象
は悪くてもいい)という考え方があります。
何故なら、「あれ、いいよね?」よりも「あれ、酷くない?」の方が、議論になるため
話題性が高く、宣伝効果としての情報拡散を見込めるからです。

ましてやドラマだから、フィクションとして描くことそのものは許容されるわけです。
故に、視聴率至上主義として、制作側や局側の倫理観が極めて甘くなる。
おそらくは、これだけ賛否が議論され、注目されていることで、実は「してやったり」
とカケラも自らを省みず、乾杯している様子さえ透けてきます。


しかし、多くの人は児童養護施設のことやそこに身を寄せる子供たちのこと自体を
良く知らない、もっと知ってもらう必要があることを考慮すると、この「インパクトが
あればOK」によって、まずは知ってもらう機会や議論する機会となったのだから、
施設の実態とかけ離れているという意見もあるものの、百歩譲ってそこは目を瞑ろう。

でも、施設の子供たちが偏見の目に晒されたり、いじめが起きるなどして、今よりも
生き辛くなったり、あるいは視聴することでフラッシュバックが起きたり、自殺者が
出た場合(既にいくつかの事態が報告されているようですが)、どうするのか、という
問題についての局側の説明は、説得力がないように思えます。


。。。と、ここまでの議論が延々となされているのですが、そこに物申したい。


語弊があるかもしれませんが、
偏見の目で見られる子供や施設関係者は、まだマシかもしれないとさえ思うのです。

誤解や偏見の目で見られる、ということは、
事実はそうではなく、適切な施設で守られ育てられている、ということを意味します。

でも実際に、施設内での職員による暴行や性的虐待・脅迫が、氷山の一角として多数
発覚している以上、それが偏見ではなく、実際にこのフィクションのドラマに近い
恐怖をリアルで受けている子供たちが実在するのだという事実があります。

そして、全国の児童養護施設には3万人を超える子供たちが身を寄せているものの、
親から日々虐待を受けていて、まだ保護されていない被虐待児童は10万人以上いると
言われていること。

彼らはその理不尽な暴力に耐えるために、「親は自分を愛している。自分がいい子に
なれば殴られないんだ」と、必死で自分自身に言い聞かせていたり、「自分が逃げたら
ママが殴られる」から、大事なママを守りたくて自分が虐待に耐えていたり、あるいは
どんなに虐待されても自分にとっては親だから、という思考で、告発できなかったり、
その術や発想自体を持てなかったり。
中には、児童相談所や児童養護施設の連絡先を大事に持って、それを自分の最後の砦
として、支えとして、ギリギリの精神状態で耐え続けている子供もいるのです。

もし彼らがこのドラマを見て、最後の支え・最後の砦がこういうものなんだと思えた時、
今の地獄から抜け出すために親を告発してでも脱出したとして、その先には別の地獄が
待っているのだと思えたなら、そこにあるのは「絶望」だけなのではないだろうか。


このドラマが、たとえ後からどんな展開になっても、どんなフォローが入るのだとしても、
そこでどんな「愛」のカタチが示されるのだとしても、

彼らにとっては、この第1話だけで、充分に「絶望」を与えるチカラがあるのではないか。


本当の弱者、
本当の地獄に生きる子供たち、
本当に配慮しなければならない、この議論の対象とすべき存在とは、

「誤解や偏見の目で見られる子供や施設関係者」以上に、
今なお地獄の苦しみの中を生きているたくさんの被虐待児童たちではないだろうか。

社会がその存在に寄り添い、救わなくてはならない命と尊厳。
その主たる被虐待児童たちではないだろうか。

彼らの「今」と「これから」を思う時、
賛否や議論の余地なく、「あってはならないもの」以外の何物でもないと思うのです。


局側の言い訳について。

それを本気で言うのなら、「おしん」のように、幸せな現在の主人公が回想する、という
手法を取れなかったか。たったそれだけで、全ての意味を逆転させられたのではないか。
そんなことにさえ気づけないのは、このドラマの目的がそこには無かったからではないのか。

施設関係者からの苦情について。

その立場にいるあなた方だからこそ、一所懸命に守っているという自負があるならばこそ、
今なお地獄を生きている子がたくさんいることを知っているはずのあなた方だからこそ、
本当に危惧すべき影響を示唆してくれないと、現時点では、あるべき議論と異なっている。

マスメディアの取り上げ方について。

この問題の本質を見てほしい。
取り上げるあなた方が、今なお誰にも守られていない子供たちの存在を無い者とするかの
ような取り上げ方をしていることは、局側と同じ罪を犯しているとしか言いようがない。  


  



Posted by exceedblog at 00:55clip!