September 10, 2013

人生のピークは...

あなたが人生で最も輝いていた時期。
あなたの人生のピークは、いつでしたか?


大学生の時...新婚の時...出産した時...高校生の時...OLの時...
子供の時...スポーツで優勝した時...卒業式の時...今!...

と、多くの方が、懐かしそうに遠い目をしながら答えます。

「どうして今はこうなっちゃったんだろう」と、悲しそうな目を
してつぶやく方もいます。

「あの頃に戻りたい」「出来るなら、あそこからやり直したい」
と言う方も、少なくありません。


あなたの人生のピークは、いつでしたか?


後悔の無い人生なんてありません。
後悔という経験があるからこそ、学びと成長があります。

悔しかったり、悲しかったり、寂しかったり...消し去りたい日々。
孤独があるからこそ、止観内観があり、気付きと進歩があります。

それらは、乗り越えた時、消化しきった時に、「必要だったのだ」
と言いきれる日が必ずきます。


もしもタイムマシンがあって、過去に戻ることができるとしたら。。。
過去に戻って、人生をやり直せるとしたら。。。

もし、それをしたなら、
今、目の前にいる子供たちや、愛している人、大切な人と
出会うことのない、全く違った人生になってしまうのではないですか?



後悔があるからこそ、
二度と後悔しないように、目の前にいる大切な人を全力で愛する。

1度でも輝いた経験があるのなら、
その歓びを目の前の大切な人が得られるように、全力で愛する。

時間を遡ることができるとしたら、
今日という日をまた見たい、と思えるように、今を全力で生きる。



あなたの人生のピーク。

それは、棺おけに入る前日であるべきですよね。  



  



Posted by exceedblog at 03:20clip!
April 07, 2013

はだかの天使

はだかの天使<はだかの天使>

乳児期の高熱が原因で後遺症が残り、
特別支援学級の新1年生になった弟を
もつ、4年生のお姉ちゃんが、悩んだり
苦労しながら、子どもの目線で福祉の
問題と向き合い、親・先生・クラスメイト・
特別支援学級の子たちのと間で、少し
ずつ成長していく物語・・・1969年出版。

小学3年生の頃、この本を何度も読み、
子どもながらに「社会的擁護」「福祉」を
考え始め、それ以降、事あるごとに、
どうすればもっと世の中が素敵になるか、
自分に何ができるかを考えました。


その本が、ご縁があってまた手元にやってきたので、明後日から新学年になる子ども達に
早々に寝る支度を済まさせて、寝室で読み聞かせをしました。

途中、「お姉さんは、何が悔しかったんだろう?」「お母さんは、どんな気持ちなんだろう?」
と、子ども達とディスカッションしながら、ちょうど就寝時間に読み終えることができました。

幸いなことに、この子たちは、彼らの見せる「無垢」の素晴らしさを知っています。
だから、前の学校でも、今の学校でも、特別支援学級の子ども達ととても仲良くしています。
でも、まだ子どもだから、
その親が抱えている心労を知らないし、社会が抱える問題も知りません。

いろいろと教えてしまいたくなる気持ちを抑えて、結局、何も結論を出さず、結論を与えずに
寝かせたのですが、きっといつか、自分で、自分らしい答えを見つけてくれると思いますし、
子ども達の寝顔を眺めていると、そう確信することができます。



空が青いのは海の青さが反射しているからだそうだけど、

曇りの日も雨の日も、たとえ目に映る世界はさえなくたって

本当は、海はいつだって青い。


いつでも想いの源泉にふれている自分であること。

何を見るか、どこに立つか、自分がどうあるか、次第で、

本当の 昨日の価値、今日の意味、明日の希望、が見えてくる。



この本が書かれた時代と比べて、今では様々なケアや養護の仕組みがカタチとしてある
ものの、本質的な問題は解決しているのか、それは心で寄り添っているのか、と考えた時、
まだ依然として不充分であり、世の中はより冷たく空虚な「闇」を抱えた時代になっている
ようにさえ思います。


  


  



Posted by exceedblog at 01:00clip!
February 24, 2013

体罰の是非について

「体罰問題」についての追記です。

※先に前記事「教育のあり方・指導のあり方」をご一読ください。


前回の記事にて、「昨今の体罰問題」について、
「どう言い逃れしようとそれは犯罪であり、一切許されない」
と書きましたが、実際には私は体罰容認派です。

その説明のためには、ここで、昨今の体罰問題の中でもう1つ
ハッキリと線引きをしておかなければなりません。


そもそも、昨今の体罰問題「体罰」として是非が問われて
いる問題は、実は「体罰」ではなく、

指導力・教育力の欠落した指導者や教師や親たちが、
体罰とか愛のムチとかシツケなどの言葉を借りて行なっている
「傷害」「いじめ」「虐待」事件であり、

本来は法によって裁かれるべき、人の道を外れる行為や
犯罪をした者に対して、法の手に委ねない(見逃す)代りに
罰を与えて悔い改めさせる、

あるいは

人の道を外れる行為や犯罪を阻止するために、説得しても
聞かない者に対して、その相手を大切に思うからこそ、自らが
暴力という手法を用いてでも、何が何でも引きとめようとすること


が、本来の「体罰」ですよね?

それでも、個人が人を裁いて罰を与えることが許されていない
以上、教師は勿論、上司や同級生や、たとえ親であっても、
やはりれっきとした犯罪なのです。

だからやっぱり、


そこに本当の「愛」があると言うのなら、

なぜ本気で学び、指導力・包容力・掌握力を身につけないのか。
なぜ安易に「犯罪」に手を染めるのか。

その愚かさを悔い改めるべきではないのか。
  と思うのです。


そこにしっかり線引きをした上で、

万が一にも、我が子が人の道を外れるような行為をした時に、
教師や指導者や周囲の誰かが、うちの子の将来を本気で思って
殴ったのなら、

私は彼らを責めることなく、「ありがとう」と言うと思う。

そしてまた、我が子が授業中におしゃべりをしていた時、先生に
ゲンコツで頭をゴチンとやられたなら、笑い飛ばしてしまうと思うし、
それで文句を言うような親は、まさにモンスターペアレンツなのだ
と思います。

(ただし、ケガするような過剰なものは論外だし、女の子に対しては
1/10くらいでお願いします、という感じですが)


<問題点のまとめ>

・今問題になっている「体罰」は「虐待事件」を指し、「体罰」ではない。
・根底に指導者、教師、親らの力不足・努力不足・責任転嫁がある。
・結果主義の誤ったリスペクトがあり、あるべきリスペクトに欠けている。
・本当の「体罰」であっても、やはり犯罪である。
・しかし教育・指導として容認される範疇はあり、すべてを問題視するべきではない。
・指導者・教師・親ら同士の信頼関係とコミュニケーションが不足している。


という前提で、この金八先生のビンタは容認します。

    


  



Posted by exceedblog at 03:53clip!
February 01, 2013

教育のあり方・指導のあり方

昨今の「体罰問題」について。

かつてスポーツやその産業に関わった者として、意見を述べます。


まず、虐待・言葉の暴力(心理的虐待)・性的虐待・無視・ネグレクト...
がDVの定義である以上、殴ったかどうか、グーか平手か、言葉だけ
で手を出したかどうか、という議論は笑止千万で、
尊厳を踏みにじった時点で全てが暴力であり、それは明確な犯罪です。

商業化されている高校野球(甲子園大会)でさえ文部科学省の管轄
であり、学生スポーツは教育の一環である、というのが大前提である
ことを考えると、教育の現場で指導者が犯罪をしたことになります。

プロスポーツや企業に至っては、まさに社会人が犯罪をしていること
になり、愛があるとか無いとかは言い逃れで、刑事罰に値します。

勿論、学校や職場やチームでの、いじめや差別も、同列です。

したがって、
「体罰が日常的に行なわれていた=犯罪の温床であった」
「一度でも体罰があった=そこで犯罪が起こった」

ということに他なりません。


このボーダーラインを引いた時、

体罰に至ってしまう指導者は、指導力・包容力・掌握力が不充分
あるにも関わらず「結果」を求めるために、本来なら、指導者自身の
「指導力・包容力・掌握力」を培い伸ばすために、指導者としてもっと
多くを学ばなければならなかった
ところを、生徒・選手・部下のせい
にして、尊厳を踏みにじるような罰を与えている、「責任のなすりつけ」
による理不尽な「犯罪」なのだ
と言い切れます。


加害者側は「ふざけただけ」でも、被害者側が「いじめられた」と感じた
なら、それは明確ないじめである。
それを踏まえて、「愛があれば・・・」と体罰を容認する人たちに言いたい。


スポーツで薬物が禁止されるのは何故なのか、考えてみなさい。

そこに本当の「愛」があると言うのなら、

なぜ本気で学び、指導力・包容力・掌握力を身につけないのか。
なぜ安易に「犯罪」に手を染めるのか。

その愚かさを悔い改めるべきではないのか。



「褒めて伸ばす」は、部分的であり、それだけを是とするなら、机上論
であると思います。

「叱る」場面も、時として絶対に必要だと思います。

どうやって、子ども達に、選手達に、部下達に
「本気で変わろう」とコミットさせるのか、そこへ導くのか。

そのノウハウを学ばず、研究せず、実践できない人間は、教育や指導
の現場に立つ資格はない
ですし、そのような人材をそのまま教育・指導
者としてに配置・抜擢してしまう管理側もお辞めになっていただきたい、
と思うのですが、いかがでしょうか。


     ・「罰を与えてはいけない」

     ・「育てる」の本質

     ・「経営のあり方と親子愛」

     ・「いじめ」と「虐待」

     ・自尊感情・自己肯定感


今まで水面下にあった問題が、これからもっと噴出してくるでしょうし、
問題のないことまで問題視されることもあろうかと思いますが、

そうやって様々な議論がたくさんなされて、学校もスポーツも企業も、
この国の「教育のあり方」「指導のあり方」が、格段に素晴らしい文化
になっていくことを願ってやみません。


                         ※別項で追記あり  


  



Posted by exceedblog at 00:59clip!
August 15, 2012

【いじめ】と【虐待】

終戦の日。

戦争と同じくらい、あってはならないもの。
いじめ。 虐待。


中学生の時にクラスでいじめがあって、友達がその対象になった。

いじめをしていたのは、教師からは優等生だと思われている奴の
グループと、いわゆる不良グループの面々だった。

それが目の前で行なわれる度に止めに入ったけど、自分がいじめ
の対象にされることはなかった。
僕はガタイが良かったので、彼らもケンカで勝てそうもない相手には
逆らわなかったのか、それとも僕が生徒会役員だったからか。

でも、いじめは影でエスカレートしていった。
そこで、

教師の前では優等生面をして、裏でいじめをしていた連中について
は、彼らが実はどんなことをしていたかを1つ1つ証人をつけて
詳細レポートを作り、誰がどう見ても、かけらも疑いようの無い事実
であることが伝わるようにして、職員会議に乗り込み提出したことで、
彼らは即座に厳しく罰せられ、いじめをしなくなった。

その後、数週間彼らにシカトされたが、こちらからしつこく話しかけ
続けたところ、ついに観念して、「もうやらないから、チクらないでね」
と言ってきた。
優等生面していたボスだけは、ついに卒業まで口をきいてこなかった。


不良グループの面々には、放課後に話をつけた。
いじめを止めるよう話をすると、案の定、カタチだけの威嚇をして
きたので、僕は両手を後ろに組んで、彼らに言い放った。

「お前ら、学校では弱い者いじめをしてるけど、本当は家では自分がやられているんだろう?」
「毎晩怒鳴られて、殴られて、家では自分の居場所がないんだろう?」
「そんな毎日が情けなくて、辛くて、本当は助けてほしくて泣いているんだろう?」

大声をあげて掴みかかってきたけれど、さらに言い放った。

「いじめをやっていたのがバレたら、また家で殴られるんだろう?」
「だけど、お前らが一番怖いのは、家にいじめがバレることじゃなくて、本当は
 自分が家でいじめられてることが学校でバレることが一番怖いんじゃないのか?」
「でも安心しろ、お前らが家で虐待されてることなんか、みんな気づいてるから」
「本当は助けてほしいんだろう? だったら助けてって言えよ」

そんな意味合いの言葉を何度も何度も繰り返し浴びせ続けるうちに、
不良グループの面々は泣き崩れた。

彼らの名誉のために、その時のことはクラスの誰にも、教員にも決して
話さずにいたが、その後、
1人だけ卒業まで口をきかなかった奴がいるが、他の3人は、彼らから
週末に電話をかけてきて「一緒にトレーニングさせてよ」と言ってきたり、
休み時間や放課後に「勉強を教えてくれない?」と頼まれるようになったり
して、なんだか少し不思議な関係になった。


親からの虐待、親からの期待というプレッシャー、親が地位や名声により
甘やかして育てた、逆恨みや制裁、性的な抑圧。。。など、いじめをする側
の原因(彼らもまた被害者であること)が取り沙汰されるが、だからといって
かけらも擁護する気はない。
いじめをやっていい道理、加害者になっていい理由にはならない。

いじめをされる側の問題も取り沙汰されるが、全否定はしないものの、
いかなる理由もいじめをやっていい理由にはならない。

いじめを見て見ぬふりするクラスメートの問題。これも大きな問題だ。
同じく、見て見ぬふりをする大人達の問題。
「誰かに相談しなさい」と言うけれど、相談する相手がいないんだ。


いじめは犯罪である、ということ。
そして、いじめをしている連中は、強い、怖い存在なのではなく、
彼らこそ、本当は弱く、怯えた存在である、ということ。
ダサくてカッコ悪くて同情される、哀れな存在である、ということ。

そのことを幼少の頃から子ども達に教育して刷り込んでいくことで、
いじめの構造そのものを破壊できるのではないだろうか、と思う。

ほんのわずかなパラダイムシフトと行動の変化で全てが変わる



この夏、遠くの家から、
どこかの母親のヒステリックな声が聞こえてくるようになった。
近所中に響き渡る大絶叫で。

「なんでこんなこともわからないの?」
「あんたの頭は何のためについているの?」
「バカ、この大バカ!」
「あんたのせいで、パパをお迎えに行けない!」
「そんな頭なんてついてる意味がない!」
「あんたなんて生きてる意味がない!」
「あんたなんて生まれて来なければよかったんだ!」
「今すぐ消えて! ここから消えてよ!」

子どもの尊厳と存在価値を全て破壊する大絶叫の合間に
幼女の泣き声が聞こえてくる。

即座に通報したが、その大絶叫は20分ほどでおさまり、
駆けつけた担当者はどこの家かわからない、とのことで帰っていった。

夏になって窓を開けるようになって、我が家まで聞こえてくるように
なっただけで、もっとずっと以前から、それは起きていたのだろうか。

翌日も同じ大絶叫が聞こえて通報したが、同じことの繰り返し。
その翌日も。

警察も相談所も、近隣の家からは通報がない、とのこと。

だから言った。
「離れているここまで聞こえるってことは、近所のどこの家に訪ねても
“あそこの家です”って、皆絶対にわかっているはずだから、聞いて!」


あの母親は、育児ストレスなのだろうか。

父親は、なぜそれを放置しているのだろうか。

近所の方々は、なぜそれを聞こえないふり、見ないふりできるのだろう。
いじめを見て見ぬふりする構図と全く同じじゃないか。


大人が、社会が、虐待と向き合ってそれを無くしていかないと、
学校からいじめなんて無くなるわけがない。

子どもの心のケアは勿論のこと、親の心のケアも必要だ。
仮に子どもを保護しても、親は親、腐っても鯛、なのだ。


いじめ、虐待は、表面化しにくい。
実際は、報告されている数の数十倍あると言われている。

命を落とすケースもあるが、命はあっても心に大きな傷を負う。

その傷を乗り越え、強く生きて幸せになるケースもあるが、
大人になっても傷を癒せない人、心の傷が疼く人、自分を肯定して
あげることができにくい人が大勢いる。


日本には、毎年3万人を超える自殺者がいるが、死にきれなかった
人数や死にたいと毎日思っている人数、自己肯定感を持てない人数
まで数えると、数倍どころではすまない。

全国の児童擁護施設に身を寄せる3万人以上の子ども達の多くは
虐待により生命の危険にさらされて保護されている。
保護に至っていない虐待も数えると10倍以上と言われる。

予防、撲滅、ケア、サポート。。。の仕組み作りと意識改革が必要だ。



終戦の日だから、今回はあえて、この「無くしたいもの」について
思うところを書いてみました。


■児童相談所全国共通ダイヤル(0570-064-000)■
状況にあわせて専門職員が対応、通報者のプライバシーは守られます。
  


  



Posted by exceedblog at 06:32clip!
June 29, 2012

成功する方法

深夜に娘が何度も嘔吐して、ようやく熟睡。

子どものうちはたまにあることだが、辛そうにしている
我が子に、ただ安心させてあげることしか出来ないこと、
代わってあげることが出来ないことが辛い。

いずれこの子も大人になり、家庭を持って、同じように
何よりも大切な、かけがえのない存在として子どもを
育てていくのだろう。

その時に「こんな時代に生んでしまってゴメンネ」なんて
言わせるわけにはいかない。
そんな不幸を感じさせるわけにはいかない。

震災があって、放射能問題があって。
勿論それ以前から虐待やニート問題や育児鬱問題、国際
問題、障碍・介護・福祉・経済・・・社会問題が山積みで・・・
なのに政治は混迷、もうじき次の震災もやってくる。

子どもたちが、その子どもたちと、
「生まれてきてくれてありがとう」「産んでくれてありがとう」って
言いあえる世界にするために、そういう時代を手渡せるために
何ができるか。


何かを成す方法(成功する方法)は2つしかない。

【誰にもできないようなことをやる】か。
【誰にでもできることを誰もやらないくらいやり続ける】か。

凡人である僕らが何かを成すための選択肢は、後者しかない。


  


  



Posted by exceedblog at 04:39clip!
August 02, 2011

みちしるべ

生きるとは何なんだろうか

正しさとは何なんだろうか

優しさとは何なんだろうか

愛するとは何なんだろうか


  


  



Posted by exceedblog at 11:05clip!
May 23, 2011

自尊感情・自己肯定感

財団法人「日本青少年研究所」の国際調査(平成14年)によると、
「私は他の人々に劣らず価値のある人間である」との設問に対して
「よくあてはまる」と回答した中学生は、アメリカ51.8%、中国49.3%
であったのに比べて、日本は8.8%と極端に低かったそうです。

今年、東京都教育委員会が公立の小中学生・都立高校生を対象に
「自尊感情」についての調査を行なったところ、中高生の5〜6割が
「自分」を好意的にとらえていない結果であったそうです。
また同調査結果では、小学一年生の84%が肯定的な回答をしていた
ものの、学年が上がるにつれてその割合は低下し、六年生では59%
となっていたそうです。

小学校入学時には、おおよそ自分を好意的にとらえられていたもの
が、義務教育9年間で、自尊感情・自己肯定感が大きく低下していく。

このことについては、「謙虚さ、控えめを良しとする日本の文化がまだ
根強いのが一因」とする指摘もあります。
「子供が成績を他人と比較して、すぐに『自分はダメだ』となる傾向も
見られる。これは日本だけの特徴で、諸外国に比べて自己評価が低い。
もっと自分に自信を持たせるような教育を進める必要がある」とのこと。


だとするならば、秀でた人は何もかも優れて素晴らしく、ダメな人は
何もかも劣っていてダメなんだ、という間違った認識を持たせない教育
が、学校でも家庭でも、職場でも必要なのだと思います。

つまり、
何もかも優れた素晴らしい人なんてなかなかいなくて、秀でた人は、
やはり何かが劣っていたりダメだったりしたけれど、自分の得意なことや
好きなこと、打ち込めるものを見つけて伸ばした人なんだ、ということ。
そして、
君にはこんなに素晴らしい良さと個性があるじゃないか、ということ。
だから、
君だってきっと素晴らしい何かを成すことができるんだよ、ということ。
それは、
他人と比較するものじゃなくて、自分が心から充実して満たされる未来
に向けて、胸をはって生きていいんだ、ということ。

自尊感情・自己肯定感を持つには、たとえ今の状態は不十分であっても、
たとえ他人より歩みが遅くても、自分が肯定的にとらえることができる
未来に向かっていると思えること、ベクトルを信じられることが大切です。

そして、それを教師や親が子ども達に「説明」するのではなく、「体感」
させるのであれば、大人自身が心底そのように思い、それを体顕していく
こと、見せていくことが必要なのだと思います。


先の報告の後、震災が起こりました。

震災後の様々なシーンで、日本人は素晴らしい、と世界から賞賛もされ、
我々自身も誇りに思ったことや、逆に、日本人・日本企業・日本政府の
こういう体質が最悪なんだと失望したこともあるでしょう。

いずれにしても、この国はこれから大きく変わる必要があります。
その未来を担う子ども達が、自信を持って前を向いて生きていけるよう、
まず大人が、社会を変えていかなくてはならない、まず自分自身を変えて
いかなくてはならないのだと思います。


子ども達が、「この国に、この時代に、この両親の元に、この自分として
生まれてきて良かった」と、笑顔で胸をはってくれるように。  


  



Posted by exceedblog at 03:36clip!
January 30, 2011

ポップコーンをほおばって

中学生の時、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」という曲
を聴いて、歌詞に込められた比喩とメッセージの意味を知り、
洋楽の世界にのめり込んだ。

それ以降、邦楽は一切聴かなくなったのだが、それでも大好き
だった甲斐バンドだけは聴き続け、部活を休んでライヴに行き、
ラジオも欠かさずラジカセで録音しては次回放送までの1週間
毎日繰り返して聴いた。

おかげで友人たちには、「お前の喋り方は甲斐さんそっくりだ」
と言われ続け、高校に入ると、それぞれ別々の学校へ進学した
その友人たちと洋楽のカバーバンドを組んでライヴに初出演。

ドン・ヘンリーのような搾り出す歌声に憧れて、喉をつぶして
みたり、甲斐よしひろのように右利き用のギターを左で弾く
練習をして挫折したりしながら、代々木のライヴハウスに出演
した時にスカウトされ、夏休みに某アイドルのバックメンバー
としてツアーに帯同することになった。

元々そういうキャラではないので、学校では一切伏せていたが、
こうした洋楽・甲斐バンド・ライヴという、その頃は自分の人生
において若い時のサイドストーリーでしかないと思っていた体験
は、不思議とその後の人生に大きく影響している。

今にして思えば、

夢中になったもの、夢中になってやったことが、その後の人生
を豊かにしないはずがない。
むしろ、自分にとって大切な(必要な)経験をするために、それ
に夢中になれる人生を選んで生まれてきた、と言う方が適切
なのかもしれない。

ラジオの最終回で、甲斐さんはこう締めくくった。

  嬉しかったら本気で笑え!
  悔しかったら本気で泣け!
  愛しているなら本気で愛せ!
  それでうまくいかなかったら、俺はいつでもここに居る。

この言葉は、人生を大きく変えた時に最大の後押しになったし、
今の自分の基本スタンスになっている。


次の時代を担う子どもたちに、この時代に生まれてきて良かった!
と言ってもらえるような時代を手渡したい。

子どもに最も影響を与えるお母さんたちが、
「生まれてきてくれてありがとう!」と言えるように、
「愛してくれてありがとう!」と言えるように、手助けをしたい。


誰もが夢を持てる世の中を。 誰もが愛を体感できる世の中を。


  


  



Posted by exceedblog at 01:17clip!
October 17, 2010

フリーペーパー「Horizon」

ピープルマガジン「Horizon」フリーペーパー「Horizon
12月1日創刊予定で、現在編集中。

新しい社会を創造する活動をしている方々に取材を
させていただき、素敵な記事ができあがりました。

表紙と巻頭インタビューは、パラリンピック選手の
佐藤真海ちゃんです。

ぜひ、完成をお楽しみに!


 毎日のように報道される児童虐待問題、増え続けるニート問題、いじめなどの学校問題、
 深刻な母親の育児鬱など、今、この国の子育て・教育は大きな問題を抱えています。
 同時に、高齢化の中での介護問題や障害者福祉も同様であり、まさに今、私たちが次の
 世代にどのような文化を手渡していくのかが問われています。

 ピープルマガジンHorizonでは、次世代の子どもたちに、夢のある、互いの命を認めあえる
 社会を手渡すために、現在子育て中のお父さん・お母さん、これから親となる方に向けて、
 それぞれの現場で挑戦し続ける人たちのストーリーとメッセージを紹介していくことで、
 あるべき時代の夜明けを創造していきたい! と考えています。

 ※広告収入の一部は、こうした社会貢献活動をしている団体に対して寄付されます。


 このフリーペーパーを、必要としている1人でも多くの方々に手渡していきたい!と考えて
 いますので、配布・設置にご協力くださる団体様・企業様・個人様を募集しております。


  ■経営またはお勤めしている店舗・サロン・会社に設置の他、
   イベントやPTA・学校関係などで配布していただける方

  ■100部単位で無料送付


社内配布やイベント配布で協力してくださる企業様がだいぶありますので、サロン設置や
PTA・学校・学童・幼稚園・NPO団体関連での配布・設置先を増やして、1人でも多くの
お母さんに読んでもらえるようにしていきたいです。

ぜひ、ご協力をお願いいたします。  


  



Posted by exceedblog at 07:05clip!