October 04, 2014

夏の終わりのハーモニー

少年野球をやっている息子が、試合で負けて帰ってきて、ふてくされていた。
バッティングも守備も活躍できずに、相当に悔しかったようだ。
 
ふてくされるのも、八つ当たりするのも、本気で頑張っている証拠なのだけど、
ここは1つ言ってやらねばならないタイミングなのだろうな、と思って、ちょっと
気持ちを切り替えて怒鳴ってみた。
「ふてくされたり八つ当たりするなら、そんなもの、とっとと辞めてしまえ!」
 
2分ほどして、息子がとなりの部屋へ来て言った。
「さっきはゴメン。僕、次からもっとちゃんと頑張るから。」
 
「おう、その悔しさを練習にぶつけて、次の試合は大活躍しような。」
「もうふてくされたりしないよ。」
「大丈夫。パパなんか中三まで、試合中だってふてくされていたんだから。」
 
 
 
上手くいかなかったり、思い通りに出来なかったり、絶対やると決めたことを
やらなかったり。。。自分を成長させていくプロセスにおいては、今はダメな
自分自身に腹が立つことがたくさんあって、凹んだり、腐ったり、浮き沈みする。
 
でも、その全てが君の伸びしろで、その全てが君の可能性なんだ。
 
 
まっすぐに。
 
どこまでも、まっすぐに。
 
途中で何度転んでも、そのまま、まっすぐに進んでほしい。
 
 
 
みんな、いろいろな理由をつけて、その道をそれて行く。 
誰かにこっちが近道だと囁かれたり、その先は行き止まりだと言われたり、
姑息な手を使う者がいたり、本当にこの先にあるのかと不安になったり。。。
 
それでも、まっすぐに進んでほしい。
 
あきらめなければ、想いはきっと届く。
 
 
この夏、君たちが手にしたものを、いつまでも、ずっと大切にしてほしい。 
 
 
  



  



Posted by exceedblog at 18:05clip!
May 14, 2014

心の色

父子家庭になって1年が過ぎた。

娘は、トイレやお風呂で1人になった時に、ふと寂しさを感じるのだと言う。
そういう時、みじめな気持ちになるのだと言う。

子供たちは、自分を見失うことなく、心豊かに、優しく、明るく、のびのびと
育っているようでいて、やはり、いまだ癒されない胸の痛みを抱えている。


きっと、まだまだ時間がかかるのだろう。
切なくて、悲しい時間を経験するだろう。

でも、そのことがいつか、君をもっと大きく、優しく、強くしてくれるはずだ。
人の痛みや弱さに寄り添えて、大切な人を心から大切にできる大人に。


だから、大丈夫。
君の心の色は、虹のように美しく輝いている。

  


  



Posted by exceedblog at 04:14clip!
May 09, 2014

バイブレーションを届ける

自信が持てなくて、人と比べてばかりで、批判ばかりで、未来に希望も
持てなくて、自分の存在価値さえ見い出せなかった小学校3年生の頃。

僕が、ほんのちょっぴりの勇気と、ほんのひとカケラの自信を持てるまで、
彼は毎日、「君は何かができる」と言い続けてくれた。
「君は素晴らしい」「人の前に立て」「想いを伝えろ」と言い続けてくれた。

大きな一歩を踏み出すことができて、希望の光が差し込んで、嬉しくて、
振り返った時、彼は23歳の若さで逝ってしまった。

僕に宛てて託された、彼の最期の言葉は、「アンカーにまわせ」だった。



大切なもの。 大切なこと。 大切な人。
それを明日も大切につかんでいられる保証なんて無い

僕たちは、限りある時間の中で生きているんだ。


もしかすると、
今日のお客様が、自分にとって最期のサービス提供だったかもしれない。

もしかすると、
今夜の子供との会話が、親子で交わした最期の会話だったかもしれない。

もしかすると、
今日という日が、愛する人を抱きしめる最期の機会だったかもしれない。


それだけの想いを込めて、

それだけの感謝を込めて、

それだけの愛しみを込めて、

相手の瞳に自分の最高の笑顔を焼きつけて、「ありがとう」を伝えましたか?



僕らにできることは限られている。

今日、何をやり残してしまったとしても、何を先送りしてしまったとしても、
それだけはやり遂げる。

たとえ最悪な1日だったとしても、今日もそれだけはやり遂げられたならば、
今日という日があったことに、心の底から感謝できる。



不満を言う前に、不足を数える前に、一番大切なことを、感謝を込めて、やる。

今日も、素直に、純粋に、想いを込めて、そのバイブレーションを、届ける。


  


  



Posted by exceedblog at 00:50clip!
March 05, 2014

バトンを握り締めて

子供の頃から、ずっとずっと気になっていること。
こんなんでいいのかよ、って、どうにかしたいと思っていること。


真っ暗な闇の中を生きている子供たちがいること。

毎日が悲しくて、生きるのがつらくて、それでも
きっとどこかに、暖かな陽のあたる場所があると信じて、
きっといつか、そんな自分の居場所にたどり着けると信じて、
生き続けている子供たちがいること。

そうしていつの間にか大人になって、家庭も持って、
作り笑いも目を背けることも上手になったのだけど、
本当は今も変わらない、毎日闇の中を生き続けている
あの時の子供のままの大人たちがいること。


暗闇を生きる彼らの心に灯りをともしたい
孤独を生きる彼らの未来に虹をかけたい


人は自分一人では、大したことなんかできはしない。
自分にできることの限界値なんか、言われなくてもわかっている。

それでも僕は、確かに手渡されたバトンを受け継ぎ、そして
ただガムシャラに、全力でこのコーナーを駆け抜けよう。

どんなに足が震えても。
どんなに惨めに追い抜かれても。
どんなに絶望的な取り残され方をしても。

このコーナーの先には、きっと、
最下位からだって全員をゴボウ抜きにしてゴールテープを切ってくれる
すごいアンカーが待っていてくれるんだ。

でも、どんなに彼がすごくても、
誰かがそこまでバトンを持って来なければ、スタートさえきれない。
彼もまた、自分一人では何も成せない、人間なんだ。

だから、僕はこのコーナーを全力で駆け抜ける。


あなたは今、どんなバトンを握り締めていますか?
そして今、どこに向かって全力で駆けていますか?  


  



Posted by exceedblog at 03:31clip!
December 15, 2013

Human Nature

1番最初に、この曲をアルバム「Thriller」の中の1曲として聴いた時は、
「Human Nature」というタイトルと歌詞から、寂しいナンパ男の心情を
綴った曲なのかと思って、あまり好きになれなかったのだけど、

東京ドーム初公演でのHuman Natureを観て、これはマイケル自身の
ことを投影した曲なんだと気づいた。

そう考えてみれば、City はよく She(女性)に例えられるので、曲中の
She とか Her は、街や人のいる場所を指しているのかもしれないし、
曲のタイトル自体も、女性を抱きたいという、人(男)の性(サガ)では
なくて、Nature=加工されていない=カンペキではなく不完全なもの、
みたいなニュアンスで解釈すればいいのかな、と思えてきて、

スーパースターであるが故に、華やかでありながら抱えている寂しさ。
普通に街に出て、普通に人と触れ合い、語り合い、愛し合いたい。
そうしたマイケルの気持ちを想って作られた曲なのかもしれない。

というつもりで、あらためて聴き直してみると、


  こんな風に生きるのが好きだから。
  こんな風に愛するのが好きだから。

  もし誰かが「どうして?」って尋ねたら、答えてよ。
  「彼だって(不完全な)人間なんだよ」って。

  (神様は)どうして僕をこんな風にしたのさ。


やっぱりその方がしっくりきて、そう思えた瞬間に、この曲を歌う時に
マイケルが醸し出す彼の本音というか、切ない叫びのようなものが、
自分の心の中に流れ込んできた。

ああ、そうか。
やっぱりそういう想いを込められた曲を、そういう想いで歌っていたんだ。


他の全ての曲が、エンターティナーとしてのマイケルであるのに対して、
この曲だけは、本当のマイケル自身がそこにいるのだ。

ライヴ毎に演出や振り付けを変えるけれど、この曲のラストシーンでは
必ず同じパフォーマンスをするのも、その世界観の象徴としてなのだろう。


そして、冒頭と最後の Looking Out (眺めると)の部分を、ライヴでの
マイケルは、どのライヴでも Reaching Out (手を伸ばして) と歌っている
ことに気づいた。

もう部屋から眺めるだけではいられない、直接触れずにはいられない。
そんな風に歌い上げたかったのかもしれないし、実際に変装して外出
して、SPを困らせていた、という噂も聞いたことがある。


This is it での Human Nature のパフォーマンスは評価が高いけれど、
そこでマイケルは、Looking Out と、本来の歌詞で歌っている。

裁判があって、ネバーランドを手放して、そして箱の中の生活に戻らされて
しまったこの頃のマイケルの心情は、その方がリアルだったのかもしれない
し、勝手な思い過ごしなのかもしれない。





すべての物事は、解釈を広く深くひろげていくと、
どこかで必ず、
誰かの小さな優しさや込められた想いを感じられる瞬間がある。


いつでも、
大切な人のそこを見て、それを感じて、大切な人を大切にしていきたい。  


  



Posted by exceedblog at 03:33clip!
November 29, 2013

孤独

1つ歳上の彼に出会ったのは、高校2年生になる春休みだ。

ありがとう。




  


  



Posted by exceedblog at 02:26clip!
July 12, 2013

不機嫌な娘

学校から帰ってきた小4の娘が、不機嫌そうにしていました。

仕事中だったので、その場はスルーしたものの、夕食の時に
何かあったのかと聞いてみました。


仲良くしている特別養護学級の子たちと一緒に下校する途中で、
その子達に意地悪な言葉を浴びせて行った子がいたそうです。
頭に来たので追いかけたけれど、追いつけなかったとのこと。


「勉強は苦手かもしれないけど、その代わり、とっても心が綺麗で
一緒に遊ぶといつもとっても素敵な顔で笑ってくれるんだよ。
誰だって苦手があって、その代わり素敵なところがあるんだよね。
どうしてそういうことがわからないのかな。 ホント頭にきちゃう。
明日、学校で会ったら、あのおバカさん達に教えてあげなくっちゃ。」

横で、ウンウンと頷きながら聞き入る小2の息子。


夕食・入浴後、何やら本棚や押入れをあちこち探し回る娘。
引っ張り出してきたのは、4月に読み聞かせした「はだかの天使」

「これを読めば、明日、どんな風に教えてあげればいいか、
いいヒントが見つかるかなって思って。。。」

我が家では、普段は9時消灯にしているのですが、この日は
特別に、読み終えるまで電気はそのままにしてあげました。


明日、この子の気持ちは伝わるのでしょうか。
跳ね返されたり、蹴散らかされるのかもしれません。

これから先も、幼い「純粋」や「正義」が踏みにじられることが
何度だってあることでしょう。


でも、どうか、
大きくなっても、そのままの感性を、そのままの優しさを失わず、
ずっと素敵なままで大人になってほしいものです。


親に出来ることは、「君はそのままでとても素晴らしい」と
言葉と態度で認め、すべてを信じて、祈ることだけです。

生まれて来てくれてありがとう。

愛してくれてありがとう。


いつも、子ども達から大切なことを教わるばかりの毎日です。  


  



Posted by exceedblog at 23:39clip!
June 09, 2013

ありのままの素敵な君で

ボブ・ディランが息子に贈ったという名曲 「Forever young」

邦題は 「いつまでも若く」。

これは英語と日本語のニュアンスの違いだと思うのですが、
親が我が子に対して「いつまでも若く」と望むとは思えなくて、
とても素晴らしい詩の世界なのに、学生時代から日本語訳に
どうしても納得がいきませんでした。

※現在、アーサー・ビナード氏による日本語訳の「絵本」が発売されていますが、
そこでは、「はじまりの日」と訳されています。



1988年にロッド・スチュアートが 「Forever young」を発表
した時(様々な物議を醸しもしましたが)、PVの映像を見て、
その年に生まれた長女の寝顔を眺めながら、

我が子の未来を想う親の心情として、「Forever young」
「いつまでも無垢なままで」 「いつまでもそのままで」と訳す
べきだと思いました。


今でも、「Forever young」がリフレインします。

まだ幼い子ども達や、もう社会に出ている娘達の未来を想う時、
献身的に支えてくれる秘書や妹に感謝し、その未来を想う時、

共有したいこと、教えたいこと、与えたいもの、伝えたい想い・・・

限りある時間の中で
出来ることなんて、数える程しか無いのだと痛感する度に、


自分にとって、かけがえのない大切な存在が

いつまでも無垢なままで
いつまでもそのままで
いつまでもその、ありのままの素敵な君でありますように  

・・・と願い、祈ります。


今のままの、ありのままで、君はもう充分に素敵なんだ。

生まれて来てくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。





君が歩む全ての道に
神のご加護がありますように

君が故郷を遠く離れていても
光と幸福が君を包みますように

君が気高く誠実な人間へと
成長していきますように

君が人から受けた助けを
別の誰かに分け与えられますように

勇気をもって勇敢に
僕の心には、いつも君がいる

いつまでも無垢なままで
いつまでもそのままで


幸運が君とともにありますように
君を導く光が強くありますように

王子様といても、放浪者といても
変わらず尊い行ないをする君でありますように

報われない愛に苦しまないように
僕の心には、ちゃんと君がいる

いつまでも無垢なままで
いつまでもそのままで
いつまでもその、ありのままの素敵な君でありますように


そしてついに君が飛び立つ時
僕は君に手渡したい

誰も教えることのできない
人生の叡智の全てを

でも君がどんな道を選んだとしても
いつだって僕は君の後ろにいる、君が勝とうが負けようが

いつまでも無垢なままで
いつまでもそのままで
いつまでもその、ありのままの素敵な君でありますように  


  



Posted by exceedblog at 13:23clip!
April 26, 2013

(Everything I Do) I Do It For You

人は1日に4回HUGされないと生きていけない、と言う。

毎日、子ども達に、さみしい思いをさせないように。
毎日、子ども達が、歓びと幸せを感じて笑顔でいられるように。
毎日、子ども達が、自分は愛されているんだと安心できるように。
毎日、子ども達が、自分は承認されているんだと自信を持てるように。
毎日、子ども達が、生まれてきて良かったと心から思えるように。
毎日、子ども達が、全ての出来事に感謝して生きていけるように。

他に何ができなくても、毎日、それを与えていこう。

  


  



Posted by exceedblog at 03:20clip!
April 01, 2013

Have you ever seen the rain

C.C.R.(Creedence Clearwater Revival)
Have you ever seen the rain 】 (雨を見たかい)は、誰もが聴いたことが
ある名曲で、これまでにも多くのアーティストたちにカバーされています。


歌詞の要点だけを雰囲気100%で訳すと、こんな感じでしょうか。

  <雨を見たかい?>

  ずっといいことなんかなくて、土砂降り続きの人生だ。

  でも、誰かが言っていた。

  「大雨の後は、晴れた空から、それはそれは綺麗に輝く水滴が降るんだ」って。

  ねぇ、君はそんな虹色に輝く雨を見たことがあるかい?

  大丈夫。 きっともうすぐ、最高の虹を見られるさ。



サンフランシスコでは、大雨の時、その雨が風に乗ってゴールデンゲート・ブリッジ
を越え、サンフランシスコ湾上空に飛ばされることで、そちらは晴れているのに
雨粒が降ってきて、美しい虹が架かることがある・・・様子をイメージして作られた曲
なのだそうですが、

この楽曲がリリースされた1971年は、ベトナム戦争が泥沼の時期で、何度も出て
くる「rain」は、戦争に使用された、辺り一面の全てを高温で焼き尽くす「ナパーム弾」
を意味する隠語でもあったことから、アメリカでは「反戦歌」として、放送禁止音楽に
指定された経緯があります。

70年以降のロックには、「泥沼化するベトナム戦争」と「ロックの祭典(ウッドストック)」
という、自由の国アメリカの光と闇を「1969年」という隠語で表す楽曲なども多いので、
その意味を感じてメッセージを読みとると、とても考えさせられるものがあります。


Have you ever seen the rain 】 も反戦歌として訳すと、こんな感じでしょうか。

  <地獄絵図って見たことあるか?>

  わかってるよ、それは止められないって。

  でも、教えてくれよ。
  あんたは爆弾の雨が降ってくるのを見たことあるか?

  俺には想像もつかないぜ。
  空から爆弾の雨が降り注いでくる地獄絵図なんて。

  俺らの国が爆弾の雨を降らせているなんて。



リリースから26年後、沈黙を破って本人は「反戦歌ではなかった」と否定しましたが、
もし本当にそうなら、それは放送禁止になった時に発信するべきことですから、
時代背景を考えると、やはり、アーティストというメッセンジャーとして、意図的に、
二重の意味を込めた楽曲なのでしょう。





世の中の支配者、既得権益層の方々に言いたい。

平和な世界を望みながら、地球上で、絶え間なく殺戮が行われ続けている事実に
ずっと耐えてきましたし、これからもそれはまだまだ続くのでしょう。

私から何を奪っても構いませんが、
どうか、妻や妹や子ども達を、あなた達の醜い争いに巻き込まないでください。  


  



Posted by exceedblog at 17:21clip!